夕景に溶ける君と嘘

小谷杏子

1.青春がままならない〈Side.横山瑞穂〉

 いつものように昇降口へ行くと、彼が待っている。

 隣のクラスの五十嵐いがらし誠道せいどうは、私より少しだけ背が高く、私よりも線が細く、不健康そうで頼りない。

「ごめん、待った?」

「ううん。いま着いたところ」

 そっけなく言う彼に、私は苦笑い。

 五十嵐がおずおずと手を差し出してくる。私はその手を申し訳ない気持ちで取る。二人そろって校舎から出た。

 その時、

瑞穂みずほ、またねー!」

 背後から元気な声で私を呼ぶのは、友達の石丸いしまる七海ななみだった。思わぬ声に私はドキドキしながら振り返る。午後の授業ほとんど寝ていたからか七海は元気よくバスケ部の練習へ消えた。

「石丸さんって神出鬼没しんしゅつきぼつだよな……」

「そう、だね」

 本当に心臓に悪いんだから。

 私と五十嵐はそれから無言で学校から出て、駅まで歩いた。別にもう手を離してもいいのに、なぜだか駅までお互いに離せないでいる。

 手をつないでいたら、ちゃんと恋人っぽく見えるのだろうか。

 五分間。たった五分間が長く感じる。

 車が行き交う道路を横切って、制服で賑わう駅が見えてくる。電車の音が近くなると、私は罪悪感から解放された。

「じゃ、また明日」

 手を解いて、私は逃げるように五十嵐から離れる。これに、彼はぎこちない苦笑いを返してくる。

「うん、気をつけて」

 その言葉に軽く手を振って、私は駅の中へ逃げた。

 いつまでこんな生活を続けたらいいんだろう。それもこれも全部、私たちのせいなんだけど。


 入学してからしばらくは友達の七海と帰っていたけど、毎日中身のない「彼氏欲しい談義」に付き合わされるので、それから逃げるために面倒な口実を作ってしまった。

 五十嵐は、私の偽装彼氏だ。

 そもそも、私は恋愛ごとにうとくて、好きなひとがいない。なのに見栄みえを張って「彼氏できたから」なんてのたまったことから「じゃあ、彼氏見せて」から「彼氏いるなら邪魔できないね」までの道のりを歩む羽目になった。

 七海は悪い子じゃない。ただ、ちょっとノリが合わないなぁと思うだけ。だからといって、無下にはできない。

 そんな七海払いに抜擢ばってきされたのが、五十嵐だった。

 朝、駅で見かけた彼を写真に撮って七海に見せたら、勝手に調べられてSNSに『瑞穂に彼氏ができたってー!』と、まさかの写真つきで投稿された。さすがに投稿の削除をしてもらったけど、翌日になればクラスのほとんどが知るところとなり、ついに本人にまで言及されたのが一ヶ月前のことだった。

「――なんか、俺たち付き合ってることになってるんだけど」

 五十嵐はバツが悪そうに切り出した。涼しげな顔で言われると、私は怯んでしまう。

「まさか、隣のクラスのひとだとは知らず……ただ、彼氏がいないと、いろいろ面倒なことがあって」

「彼氏がいないといろいろ面倒なこと? どんなこと?」

 怒ってる、よね。やばい。ここは正直に言わないと。

「えっと……勝手に写真上げたあの子から逃げるために彼氏を偽装しました。ごめんなさい」

 素直に頭を下げる。

 すると、五十嵐は慌てて私の肩をつかんだ。

「いや、別に謝ってほしいわけじゃないんだ」

「はい?」

「実は……」

 そう言って、五十嵐は口元を引きつらせた。スマートフォンを出して、私に見せる。SNSのタイムライン。そこには、五十嵐ではない誰かのアカウント名で写真が投稿されている。そこには、私の後ろ姿があった。

「俺も、彼女いるって嘘ついてたから」

 そうして五十嵐はスマートフォンをポケットにしまい、唖然あぜんとする私から目をそらした。

「ごめんなさい。俺も、彼女がいるって嘘ついてて。そしたらそいつが俺たちが偶然並んでるとこを見つけたみたいで……」

 まさか私と同じような状況になっていたとは知らず、しかも同時期に同じような投稿をネットにさらされるなんて。これはもしや、友達に嘘をついた罰なんだろうか。

 私は頭を抱えた。そして、最低な案を思いつく。

「い、いっそ、付き合ってみる? もうこの際、本当の恋人になったほうが良くない?」

 すると、五十嵐は不満そうに眉をひそめた。

「それは無理だろ。そもそも俺、横山よこやまのこと、タイプじゃないし」

「はぁぁ? 私だって、タイプじゃないんですけど!」

「じゃあ、やめたほうがいいよ。俺たち、気が合わない」

「そうあっさり言われると余計に悔しいんだけど」

 どこまでも冷静な五十嵐。対して、私は釈然しゃくぜんとしない。勝手に私の写真を使われて腹が立っているのも含むけど、こうも真っ向から「タイプじゃない」と言われたら素直にムカつく。

「じゃあ、素直にみんなに謝る? て言うか、これって私たちが謝んなきゃいけないの?」

 元はと言えば、お互いのお節介な友人が招いた迷惑行為のせいだ。私たちが嘘をついたのも悪いけど、それで勝手に騒ぐ外野もめんどくさい。

 すると、五十嵐が呆れたように息をついた。

「普通にスルーしようよ。めんどくさいし。お互いなにもありませんって顔しとこう。めんどくさいし」

「めんどくさいを二回も言うな。私だってめんどくさいし……」

 そんな言い争いをしていると、校舎のほうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

逢引あいびき現場だー!」

 この事件の犯人、七海が登場。どうしよう、逃げ場がない。

「んもう、みんなにバレバレなんだから、堂々とイチャイチャしなさいよ!」

 誰が勝手にばらまいたと思ってるんだ。と言いたい気持ちを我慢がまんする。

「……えっと、そうなの。こちら、彼氏の五十嵐くん」

 しまった。思わず口走ってしまった。横に立つ五十嵐の顔が見られず、私は七海のノリについていくしかない。

「五十嵐くん、こんちはー! ごめんね、うちの瑞穂に彼氏ができたって聞いたから、いてもたってもいられなくてー、つい写真載っけちゃった」

「いえ……まぁ、これからは気をつけてくれれば」

 五十嵐の声が固い。罪悪感を覚え、手のひらがじっとりと汗ばんでいくのを感じながら、私はテンション高く笑った。

「あはは、もう七海ったらー」

「ごめんごめん。んじゃ、二人きりのところを邪魔じゃましちゃ悪いから。またねー!」

 手を大げさに振って七海を追い払う。姿が見えなくなり、私は作っていた笑顔をすぐに崩した。

「……横山って、あの子の前ではすげー気ぃ使うんだな」

 五十嵐が意外そうに言う。そこには同情の色があった。

「でも、それ俺もわかる。ひとごとに思えない」

 こいつ、かなりテンション低いけど、友達の前では私みたいに振る舞ってるんだろうか。下手に笑う五十嵐の顔から、私もひとごととは思えない空気を感じ取った。

「しかしこれ、本当に付き合わなきゃいけない感じ?」

 一転してめんどくさそうに言われる。私は腕を組んで考えた。

「うーん……まぁ、放課後一緒に帰るだけで、ほとぼり冷めたら別れたってことにしようよ」

「さっきから失礼すぎる提案ばかりしてくるな」

「お互いタイプじゃないんなら、別に気を使わなくても良くない?」

「……確かに」

 五十嵐は細い目を見開いて合点した。


 そうして、私たちはいまに至る――

 きちんと付き合ってるわけじゃないし、お互いに罪悪感を感じながら放課後だけ会って五分間、手をつないで帰るだけ。

 私は中学のときも彼氏なんていたことがない。だから、別れようと言うタイミングがつかめない。一ヶ月も一緒に帰っていれば謎の義務感が発生してしまい、自然に淡々と過ぎていく。

 でも、一ヶ月付き合っただけですぐ別れるのってどうなんだろう。私のクラスで彼氏がいる子たちは毎日仲良さげに過ごしているし、一向に別れる気配がない。いや、好き同士なら当たり前か。私がおかしいだけなんだよね……はぁ。困った。五十嵐といつ別れたらいいんだろう。

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