渡る世界は金と意地

よるにまわりみち

この世はお金でできている

 今から100年前。日本は世界一のになった。


 日本でしか採れない山菜や鉱石が、石油や電気以上の新たな資源となったのだ。


 当時の人々は皆大金持ちになり、余裕の生まれた日本国民からは不平不満が消え去った。


 国内外問わず、非難した人々は買収された。金に釣られない人々は金の力で黙らせられた。


 それでも、武器を持って抵抗しようとした人はいたらしいのだけれど、日本は武器を売ったり作ったりしている人を全て買収した。危険と判断されるものは片端から資源へと変わっていった。




 資源はざっと1000年分。


 日本国民は労働の全てを海外に任せ、好き勝手に生きている。




「それで、この寂れた探偵事務所への依頼はなんだい嬢ちゃん」

 そんなこの日本にいて、目の前の男はかび臭い部屋の中でひどくみすぼらしい見た目をしていた。取り込まれた洗濯物が窓際に放置され、男は一張羅だと見てわかるスーツを着ていた。


「嬢ちゃんはやめてください。私はもう高校生です」

 私はした学業で年齢を主張した。


加藤かとう九夜くや、17歳ねぇ……若いのがこの汚い事務所に来るなんて、世も末なのかね」

 自分の足で来ておいてなんだが、私は煌びやかな装飾も家事代行もないこの『戸波となみ探偵事務所』の探偵を信用できなかった。




 今の日本で働いている人はあまりにも少ない。個人の趣味や伝統芸能に関わっている人ぐらいのもので、大半の人々は無職である。


 探偵もまた同じ。趣味でしかない。


 依頼を受けて解決する本物の探偵は、私の行ける距離の中では少なくともこの戸波という男だけだった。


 私にはどうしても解決してほしい問題が、依頼があるのだ。




「なのに……」

 私はこの男にイライラを隠せずにいた。


「話を聞いてはくれないのですか!」

 机を叩きたくなる衝動を必死に堪えた。


「ルービックキューブやってるから待ってろ。もうちょっとで解けるからそのお茶でも飲んどいて」

 依頼人を前にしてソファーに寝転がり、怠け切っているのである。

 今すぐこの茶飲みをぶつけてやりたくなったが、震える肩を抑えて私は我慢した。よくやった、よくやったぞ私。


「あ、次は知恵の輪やるから」

「ふざけんな!」



 その後もパズルだのトランプだのオセロだのと、私を巻き込みながら待たせ続けた。


 結局、私は昼に来たというのに夕方まで待たされてしまった。




「それで、どういう依頼なんだ?」

 肩で息をして我慢を重ねた私に、戸波は体を起こしてようやく尋ねた。


「それは……」

 いざ言おうとして、詰まってしまった。

 躊躇いなく依頼ができると思っていたのに、私は言うことに躊躇してしまった。




「金がないから一人で歩いて来たんだろ? 昨日雨降ってたから靴に泥がついてるし、そもそも本人が直接来ること自体が稀だ」

 戸波の目つきが鋭くなった。


「そうだな……家庭の問題だな」

「……どうしてそう思ったの?」

 聞き返すと、戸波は机にあるさっきまで遊んでいた玩具を指差した。


「これで遊んでる時、不慣れだったろ。今の日本人は大抵家にいる時間が多いから、暇を潰すことに全力になるはずなんだよ。下手って奴はたまにいるがそんなんじゃなかった。家族と遊んだことがあまりないのか?」

 さっきまでとは別人のような口調で、戸波はピタリと私の事情を言い当てた。


「もちろんこれだけじゃ説明はつかない。だからもう一つ。趣味で探偵やってる奴にはひやかしや依頼人になるのが趣味の奴が来る。それが常識なんだが、待たされれば大抵の奴は飽きて帰る。お前は飽きて帰らなかったから、本物の依頼人ってことだ」

 彼は電子タバコのようなものに火を点け、ソファーに座り直した。


「真剣なのは理解できた……試すようで悪かったな。依頼を聞こう」

 くたびれた体躯を寂れたスーツに落とし込んだ目の前の探偵は、詫びるのもそこそこに本題へ入った。


「ええ……」

 おそらく、過去にひやかしが絶えなかったのだろう。彼は見るからに変わり者で、世間からあぶれた存在なのだろう。


 だからこそ、私はこの探偵に頼むのだ。



「私を、殺そうとしてくる両親から逃がしてほしい」



 私もまた変わり者で、世間からあぶれた存在なのだから。




 私は普通の家庭に生まれて、普通の環境で育ってきた。


 でも私はその普通が嫌だ。


 なにもかもがお金で成り立ってしまう世界が嫌だ。


 親にそのことを言ったら……。



「捨てられたのか」

 言い淀んだ私の言葉を、戸波は口にした。


「……金は余裕を生む。実の子ぐらいなら死んでも平気だという、必要以上の余裕がな」

 俯いている私が顔を上げるまで、戸波はずっと黙って待っていてくれた。




 親はまるで食べ終えた缶詰のように私を捨てた。


 やることがないからと、笑顔と包丁を私に向けてきた。


 だから私は、ここまで着の身着のまま逃げてきた。以前調べていたここにしか逃げ場はなかった。




「まあ、もうそろそろこっちまで来るだろうな」

 顔を上げた私に、戸波は手で部屋の奥へ行くよう促した。


 チャイムが鳴った。


「金があるんだ。追けることは簡単だ」

 私の親がここに来る。ここに来て、私を殺そうとする。





「九夜。お前は依頼料に何を払える」

 戸波が私の肩を掴んだ。


「……私の、命以外なら」

「依頼はどうする、逃がすだけでいいか?」


「……助けて!」

「わかった」




「こんにちは。娘がこちらに来ていませんでしょうか」


「ええ、来ていますよ。本人は会いたくないようですが」


「では、いくらで差し出してくれますか?」


「いや~いくらと申されましても困ります。彼女は私の依頼人ですから」


「変わった方ですね。どうしてもというのであれば、こちらはこちらで動かざるを得なく……」



 音が弾けた。



 両親と玄関で話していた戸波だったが、会話は打ち切られた。私は部屋のソファーの裏から飛び出した。




「……!?」

 その光景を見て、私はその場にへたり込んだ。


「出てくるなよ、九夜。耳を押さえて待ってろと言ったろ」

 母は包丁を持ったまま頭から血を流し、ぐったりと壁に身を倒していた。父は震え、右肩を手で押さえていた。



「銃……」

 父もやがて、ゆっくりとその身を横に倒した。





 正当防衛なのだろう。金で解決できるだろう。何も問題はないのだろう。


 それでも、私は。


「ははっ……ははは」

 笑ってしまった。




「俺は好きで探偵をやってるんだ。銃も好きでな」

 両親のを終えた戸波は、私を部屋まで運んでソファーへ座らせた。戸波は妙に高揚していて、鼻歌混じりにお茶を淹れて私の隣に座った。


「本物の探偵をしてればな、俺好みの状況を作れるんだ」

 背筋が凍った。


「俺は金に興味はない。ただ、人を撃つのが好きな異常者だ」


「……金で人を買えばいいじゃない」


「それはダメだ。撃たれるなんてこれっぽっちも思ってない人間じゃないと、満たされないんだよ」

 肩に手を置かれ、首筋を指が這った。


「金は欲望を満たすが、欲望そのものは金じゃ買えないんだよ」

 そう言って、低く笑った。



 私はとんだ勘違いをしていた。


 私はこいつが自分と同じくズレに悩んでいる人間だと思っていたけれど、そうじゃなかった。


 こいつは、ズレを楽しんでいる人間だった。



「弾丸を込めるまで、ちょっと待ってろよ」

 耳元の吐息が、私の中のなにかを弾けさせた。



 こいつは浮かれていた。


 浮かれすぎていた。



「がっ!」

 くすねていた、母の持っていた包丁を後ろから突き刺した。



「死……死ぬ……!」

 戸波は初めて狼狽した表情を見せ、そして死んだ。



「あっさり、本当にあっさりだ」

 返り血が顔にかかっていたが、ほとんど気にならなかった。




 私はこれからどうしようか。頭の中は冷え切っていて、何かがストンと落ちていた。喉につっかえていた魚の小骨が取れていく感覚と似ていた。



 私は普通の家庭に生まれて、普通の環境で育ってきた。その普通が嫌だった。


 お金で成り立つ世界が嫌だった。




「もう私は一人だ……」

 金はない。頼れる人もいない。あるのは残すはずだった命のみ。


「……ははは」

 でも、私は笑いが止まらなかった。


 金がなくても、私はこの状況で生きている!


「金がなくてもやれることを証明できるのかも……!」




 この世はお金でできている。


 私はここから、この世になにができるのか気になって気になって仕方がなかった。


 ズレているのなら、せめてやりたいことをやってやる。

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