初恋は春の香り

星海ちあき

1話

(今日からこの図書室が私の担当か)

 中学一年生、篠原結愛しのはらゆあ、本が好きな普通の女子。

 大勢でいることが苦手で、ずっと本を読んでいた。

 そのおかげ本が好きになったし、いろんな本が置いてある図書室はとても落ち着く。

 だから私は図書委員になり、今日から学校にいくつかある図書室のひとつを受け持つことになったのだ。

 ドアを開けると本の独特な香りが風に乗って頬を掠めていく。

 夕方の陽射しが窓から差し込み、オレンジの優しい光が春の暖かな香りと共に室内を満たしていた。

 入り口で止まって空気を吸っていると、紙が擦れる音がする事に気づいた。

 ゆっくりドアを閉めて、室内に足を踏み入れると、窓際の席で本を読んでいる人がいた。

 綺麗な黒髪が暖かな春の風で柔らかく揺れている。

 初めて会ったその人はとても綺麗で、儚い感じがした。




        ◇




 四時三十五分、窓際の机、真ん中の席。

 いつもの時間、いつもの場所に、あの人はいる。

 私の初恋の人は、毎日欠かさずこの図書室に来て本を読んでいる。

 二つ上の高校三年生、藤沢葵ふじさわあおい先輩、それが彼の名前。

 私は中学一年の時からずっと図書委員をして、高校一年になった今も、担当している図書室は変わっていない。

 葵先輩も変わらず、他の図書室ではなくここに来て本を読んでいる。

 先輩は滅多に本は借りないから、私は先輩と話したことがない。

 葵先輩は学校の有名人だから生徒はみんな名前を知っているけど、向こうは私の名前さえ知らないだろう。

 話してみたいと思うものの、人に話しかけることは苦手で、声をかける勇気がない。

 もっと積極的に話せたらいいのにと、今まで何度思ってきたことか。

「あの」

 心の中でため息をついていると、机に影が差して上から少し低めの声が聞こえてきた。

 顔を上げるとそこには、葵先輩がいた。

「この本、借りたいんですけど」

 あまりに突然のことで私は固まってしまった。

 委員の仕事をしなくてはいけないのに、体はびくともせず、声も喉に張り付いてしまったかのようになり、何も出来ない。

「あの、聞こえてますか?」

 先輩が私の顔を覗き込むようにして顔を近づけて来る。

「き、聞こえてます!」

 いきなり顔が近づき、慌てて立ち上がって後ろへ。

 びっくりしたおかげなのか、声が出るし体も動く。

「か、貸し出しですね」

 ほとんど人が来ない、静かな室内に、本のバーコードを読み取る音だけが響く。

 緊張で心臓が破裂してしまいそうだ。

「はい、貸し出し期間は一週間です。忘れずに返却をお願いします」

 手続きが終わり、本も渡したのに、先輩はカウンターの前から動こうとしない。

「あの、まだ何か?」

 じっと私の目を見たまま、先輩が口を開く。

「ずっと俺の事見てるよね?何か用でもある?」

 見ていたことがバレているという事実に私はまたもや固まってしまった。

 恥ずかしさと謝罪の気持ちが一気に押し寄せてくる。

 おそらく青くなっているであろう私は、恐る恐る問いかけた。

「あの、いつから、きづいていたんですか?」

「いつ?あーっと、中三くらいかな。もう三年経つのに、ずっと見られてるだけで不思議だったから、何か用があるのかと思ったんだけど」

 違うのかという顔が向けられる。

 そんな顔されても、用なんて特にないんです。というか、ほぼ最初からバレていたことに恥ずかしさが増す。

「特に用はないんです。ただ、あまり人が来ないこの図書室に毎日通ってるのが珍しくて。ジロジロ見ちゃってすみませんでした」

 正直に白状して頭を下げる。

 そんな私を見て何を思ったのか先輩は小さく笑った。

「あの、なんで笑うんですか?」

「ああ、ごめんごめん。君みたいな子は初めてでおもしろくて、つい。別に不快に思ってるとかそういうんじゃないからそんな謝らなくていいよ」

 もう一度「ごめんね」と言って、先輩はまた口を開く。

「ここに来るのは人があまり来ないからなんだ。俺、人と一緒にいるより一人でいたい派だし」

 以外だ。先輩はいつもたくさんの人に囲まれているのに。やはり人は見かけによらないんだな。

「あ、今意外だと思っただろ」

「そ、そんなことないですよ!」

 思っていることを当てられ、動揺した拍子に声がうわずってしまった。

 また笑われると思っていたのに、聞こえてきたのは少し寂しそうな声だった。

「やっぱりそう思うよな」

 先輩は微笑んでいたが、やはりどこか寂しそうだった。




 それからも先輩は毎日図書室に来るが、変わったことがひとつある。

「結愛ちゃんはどんな本が好き?」

「冒険物とか結構好きですね」

「冒険物!もっと恋愛ものとかだと勝手に思ってたけど、そっか。俺も冒険物結構読むよ」

 それは、葵先輩が話しかけてくるようになったことだ。

 理由はわからないけど、私はそれがとても嬉しい変化だと思う。

 自分では話しかけることが出来ない。けれど、話しかけてもらえれば答えることが出来るので会話ができる。自分から積極的に話しかけられるようにもなりたいものだけど。

「冒険物はいいですよね。臨場感とか迫力とかそういうのを感じられるのが最高です。他のジャンルでもあるとは思いますけど、やっぱり冒険物は段違いだと思います」

 少し興奮気味になってしまった私を葵先輩は妹でも見るかのような目で眺めている。

「本当に好きなんだね。良かったらオススメを教えて貰えない?」

「もちろんです!ここにもあるので取ってきますね!」

「あ、俺も行くよ」

 私たちは揃って本棚へと移動する。

 ずっと眺めるだけだったのに、いつの間にか一緒に本棚へ向かうことになるなんて。人生は何があるか分からないと、しみじみ思った。

「えーと、『ダイヤモンド』っていう本なんですけど、あった!」

 探している本は結構高いところにある。

 背伸びをして取ろうとしてもあと少しのところを届かない。

 目一杯背伸びをしていると、後ろから腕が伸びてきて、あっさり本を取ってしまう。

「あ、ありがとう、ございます」

「どういたしまして。届かないなら頼めばいいのに」

 微笑を携えて先輩が呟く。

「そんな、迷惑がかかるようなことはできないです!」

 ぶんぶんと手を振りながら答える私を葵先輩は笑った。けれどすぐに、寂しそうな顔になってしまう。

「俺のが背が高いんだし、迷惑にならないから頼ってくれて構わないんだけどな」

 そう言いながら先輩は本のページをペラペラとめくり出す。

「へえ、これスチームパンク?」

「そうです!私、スチームパンクのお話がすごく好きなんです!蒸気の力でいろんなものが動くとかかっこよくないですか?それに、歯車がモチーフのものも可愛くて好きなんです」

「あ、それでその髪飾り。ブックカバーもそうだったよね」

 そんなところまで見られていたことに驚くと同時に嬉しさと恥ずかしさがこみあげてきてつい下を向いてしまう。

「あ、耳まで赤くなった」

 これ以上からかわれると恥ずかしさでどうにかなってしまうと思い、慌てて話を逸らす。

「そ、それで、その本どうします?読みますか?」

「うん、今日借りて家でゆっくり読もうかな」

「じゃあ手続きしますね」

 葵先輩から本を受け取り、受付へと戻る。

 貸し出し手続きをしていると先輩が何か思い出したみたいに口を開く。

「そうだ、結愛ちゃんは『ステラ・コード』っていう映画知ってる?」

「え、それってもうすぐ公開するヴィクトリア朝のスチームパンク映画ですよね?私行こうと思ってたんです」

「そうなんだ、じゃあ俺と一緒に行かない?」

「え」

 先輩と?映画?一緒に見に行くの?

 一瞬何を言われたか理解できずフリーズしてしまった。

「先輩と映画にですか?」

「そう」

「しかもスチームパンクの?」

「そう」

「本当に私なんかを誘ってくれるんですか?」

「そう。私なんかって、結愛ちゃんだから誘うんだよ?」

「え」

 待って待って、私だからってどういうこと?いきなりすぎて頭パンクしそうなんだけど。

 私の頭の中にはてなが大量発生してぐるぐるした思考を優しい声がさえぎった。

「どうかな?」

「あ、はい行きます」

「やった。じゃあ連絡先交換しよ」

 流れのままに連絡先を交換してしまった。

 視線を自分のスマホから葵先輩に移すと、そこには今まで見たことのない、無邪気な笑顔があった。

「うわあ、今から楽しみだな。結愛ちゃんありがとう」

「お、お礼なんていいですよ。それに誘ってもらったのは私のほうですし。こちらこそありがとうございます」

 ほどなくして下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響いた。

「じゃあまた連絡するね」

 それだけ残して葵先輩は帰っていった。

「私も早く終わらして帰ろ」

 手早く施錠して、帰路に着く。




 家についてからというもの、ご飯を食べていてもお風呂に入っていても思い浮かぶのはさっきの先輩の顔。

 初めてみた表情で、とても幸せそうに、嬉しそうに笑っていた。

「あんな表情は反則だよ…」

 葵先輩と二人で映画なんて夢みたいだと思う。

 明日目が覚めて全部夢だったらどうしよう、悲しすぎる。

 タオルで髪を拭きながら部屋に戻るとLINEにメッセージが届いていた。


『映画はやっぱり初日に見たいよね?だったら早速次の土曜日にでもどう?』


 葵先輩からのメッセージを見ると、夢ではなく現実だと実感してしまい頬が緩む。

「しかも初日になんて、先輩の優しさが半端ない。もちろん大丈夫です!っと」

 早速返信をしてすぐに返ってくる返事は可愛いスタンプ。

 これも意外だと思った。

 葵先輩はあまりスタンプは使わないだろうと、勝手に思っていたから。

 私の中の先輩のイメージはまわりにたくさんの人がいていつも笑っているけど、クールでいる感じ。

 でも実際に話してみると違う部分は結構ある。

 大勢よりも一人が好きで、静かな場所が落ち着くらしい。

 メッセージのスタンプもそうだが、先輩は可愛いものが好きらしい。

 クールな感じとは程遠いが、そのギャップも私は好きだと感じてしまう。

「というか、イメージと違っても先輩は先輩だし、むしろ前より好きになってる・・・」

 葵先輩のことを考えているとそんな答えにたどり着いた。

 もともと面食いなわけではないが、先輩に関しては顔からだった。

 遠目から見ているだけで先輩のことを何も知らないなら外見から入るのは仕方ないだろう。けれど今は先輩の人柄そのものが好き。

 もしも先輩が顔に跡が残るようなけがをしたとしても、そんなことでこの気持ちは消えたりしない。むしろ支えたい。

「先輩に告白できたらいいのにな」

 そうしたら今の関係から何か変わるかもしれない、でも悪い方向に考えてしまうのもあって勇気が出ない。

「やめやめ!明日も学校だしもう寝ないと」

 考えることをやめて、私は静かに眠りについた。





 それからも私の学校生活は何事もなく過ぎていき、映画当日。

「もう先輩がいる・・・。しかもめっちゃかっこいいんですけど」

 時刻は待ち合わせの三十分前。

 緊張しすぎて早く来てしまったのに、葵先輩はすでに待ち合わせ場所にいた。

 はやく行かないといけないのに、緊張のせいか私はなかなか近くの物陰から出られずにいた。

 そんな私に気が付いたのか、先輩が手をあげながらこちらに来る。

「結愛ちゃん!早いね、まだ待ち合わせの三十分前なのに」

「先輩こそ、もういるなんて驚きました」

「あはは、待ちきれなくて早く来ちゃったんだよね」

 そんなに楽しみにしてくれていたと思うとなんだか嬉しい。

「てか、結愛ちゃんの私服可愛いね。俺の好みそのままだ」

 そうつぶやいて先輩は手で口元を隠した。よく見ると少し頬も赤いような気がする。

 そんなふうに褒められると恥ずかしい。けれど嬉しさの方が勝ってしまう。

「がんばっておしゃれしてよかった」

「俺のためにおしゃれしてくれたの?」

 口に出てしまっていたらしく、先輩は驚いた顔でこちらを見ていた。

 ああ、恥ずかしい。言うつもりなんてなかったのに、きっと今の私はリンゴみたいにまっかだろう。

 私はおずおずとうなづいた。

「まじか、やばい、すっごい嬉しい!ありがとう。じゃあちょっと早いけど行こうか」

 そうしてふたりで映画館へと向かった。





「すっごいよかったですね!最後にリアの恋が実ってよかった!」

「途中でハクたちの乗ってる飛行船が墜落していくとこはハラハラしたしね!」

 私たちがみた『ステラ・コード』はスチームパンクを題材とした恋愛ものだった。

 先輩は退屈していないか心配だったが全くそんなことはないようで安心した。

「そうだ、結愛ちゃんこのあと時間ある?一緒に来てほしい場所があるんだ」

「?大丈夫ですけど、どこに行くんですか?」

「来てからのお楽しみだよ」



 お楽しみと言って連れられたのはきれいな公園だった。

 映画が夕方からのものだったせいで、公園に着くころには陽が落ちかけて司会はオレンジ色で満たされている。

「あまり人がいなくて静かですね。なんだか落ち着きます」

「だよね。俺もここはお気に入りなんだ」

 しばらく黙ってっ立っていると、先輩は時間を気にしながら口を開いた。

「そろそろかな。結愛ちゃん、来て」

「え?わっ!」

 いきなり手を引っ張られたと思うと先輩の腕の中にいた。

 突然のこと過ぎてパニックになりかけている私を見て葵先輩が笑う。

「周りを見てごらん」

 その言葉で周りを見るとその瞬間、光の壁の中にいた。

 地面から水が噴き出し、そこにライトが当てられ光って見える仕掛けだ。

「わぁ、すごい。すごいですよ!」

 私がはしゃぎながら先輩の方を向くと、とても柔らかく微笑んでいた。

 息をするのも忘れてその表情に見惚れていると先輩が口を開く。

「あのね、結愛ちゃん。俺、結愛ちゃんのことが好きなんだ。俺と付き合ってくれない?」

 世界のすべてがスローモーションのようになり、音が消える。先輩しか目に入らなくなる。

 今、私は告白をされたの?

 私の好きな人から、私が好きだと。

 そう思うと自然に涙が零れてしまった。

「結愛ちゃん?なんで泣いてるの?そんな嫌だった?」

「ち、ちがっ。そうじゃなくて、嬉しくて。すみません。あの、わ、わたしも先輩が、葵先輩のことが好きです!三年前、初めて会った時から」

 水が止まっても先輩は腕の力を緩めない。まるで逃がさないとでもいうように。

「そっか、だから俺のこと見てたんだ。じゃあもっと早く声を掛けていればよかった。そうしていればもっと早くこんな風に抱きしめられたのに」

 そういうと先輩はこれでもかというほど強く私を抱きしめる。

「私こそ、勇気が出せなくて告白できなくて、すみません」

「謝る必要はないよ。男から告白しないと恰好つかないでしょ」

 少し力が緩み、至近距離で見つめるような形になる。

 こんなに近くにいるのは恥ずかしくて目をそらすけど、顎を持ち上げられそれも叶わない。

「よろしくね、結愛ちゃん。これからどんなに季節が巡っても隣にいてね」

「はい。こちらこそ、よろしくです。ずっと隣にいさせてください」

 春から始まったこの恋は、優しく甘い香りと共に未来へ続いていく。

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