四年に一度の殺人
三日月
01
彼女に出会ったのは二月二十九日。
その日は閏日だった。
PM 二三:四五
バイトが終わり、いつもと変わらない帰り道を僕は歩いていた。
この道は外灯も何もなく、深夜のせいか他に光源がない。その代わり仄かに輝く月が僕の足元を照らしていた。
「……寒い」
春間近、と言ってもまだ二月。調子に乗ってコートを羽織らずに外出してしまった。
一応、薄手のジップアップパーカーを着ていたのが幸いだ。もし着ていなかったら風邪をひくかもしれない。
それ程、今日は冷え込んでいた。
息を吸い込む。夜特有の空気。誰も居ない静けさと、高揚感がミックスされた匂いが体内を巡り、浸透していく。体温と気温が等しくなって寒気が無くなる、そんな気がした。
白い息を吐き出し、かっぽかっぽと静かな帰り道を進んで行く、がどうにも味気ない。
というのもここ最近はバイト、寝る、バイト、と殆ど同じような生活を繰り返していた。流石に、いや、もう飽きた。
「……音楽でも聴くか」
一旦立ち止まり、ジーンズのポケットからイヤホンを取り出す。そのまま耳につけ、端子をスマホのジャックに挿入する。スクリーンをフリックし、音楽アプリを起動させるとプレイリストの洋楽が流れ始めた。
イヤホンから音が出るのを確認し、止めていた足を再び動かしたその時――突風とピンク色の花弁が細道を吹き抜けていった。
襲い掛かる衝撃に思わず身を屈める。
桜吹雪はそのまま僕を追い越し、そのまま彼方へ行った。
「なんだったんだ?」
開花宣言はまだされていないはずなのに……奇妙だな。それにこの辺りに桜並木はないはずだし……。
外れたイヤホンをかけ直しながら首を傾げる。目の前に視線を戻すと――数十メートル先に人影が立っていた。
突如目の前に現れた影。先程は居なかったはずなのに、いつの間に現れたのだろうか。
反射的に後ずさりをする。すると奥にいるナニカがこちらの方へ近づいてきた。
『――逃げろ』
脳から緊急信号が送られる。本能か、それとも理性かは不明だが早くここから立ち去れと全身に強く訴えかけていた。
小刻みに震えている脚に力を入れるが、動かない。否、動けない。
呪われているように全く反応しない下半身。まるで誰かにしがみつかれているみたいだ。
この状況でも、鼓動は早鐘を打っている。ばくん、ばくん、とやけにうるさい心音のせいでこれが現実であると身をもって分かった。
僕が立ち往生している間にそいつとの距離は短くなる。少しずつ、それでいて確実に迫る影。半分に差し掛かった辺りで得体のしれない存在を視認できた。
影の正体は――女の子だった。
闇夜に溶け込んだ黒髪、華奢な身体、灰色に見える白いワンピース。顔つきまでは確認できないが、背丈から判断するに中学生だと思う。
正体が分かった事で一気に緊張感が抜ける。……良かった幽霊とかじゃなくて。
僕に気づいていないのか、少女は下を向きながら歩いている。
だが、彼女の右手には有り得ない物が握られていた。
「――え?」
月明かりによって鈍色に光る刀身。錆びついているのか、赤茶色の点々が浮き出ている。
彼女は小さいナイフを片手に持っていたのだ。
僕との距離が近づけば近づくほど、少女の異常さが見て取れた。
白いワンピースには所々真紅に染まり、錆だと勘違いしていたナイフには血らしきものが付着している。ハロウィンの仮装にしては季節外れだ。
僕を意に介さず、残り数メートルまで迫った少女はナイフを前に突き出した。
ここまで来れば理解力の低い僕でも、解る。
目の前の少女は人殺しなのだと。
顔を逸らそうとするが、彼女の瞳から逃れられない。
必死に逃げようとする僕をあざ笑うように少女が接近する。彼女と重なるのは時間の問題だった。
三、二、一
刹那の時が恒久に感じる。
ナイフを振り上げる少女。その姿を最後に僕は瞼を閉じた。
死を覚悟した瞬間、
『ごおん――――』
何処か鳴り響く鐘の音が閑静な住宅街にこだまする。
それと同時にぴたりとナイフが止まる。金属特有の嫌な冷たさが首筋に伝わった。
……いつまで経っても痛みが来ない。
恐る恐る目を開け、状況を確認する。広がる視界。死を覚悟したせいか、景色がモノクロに色褪せている。
そして、
少女が、人殺しが至近距離で僕の首にナイフを当てていた。
間近で見る彼女の顔は、陳腐ではあるが綺麗としか言いようがない。穢れを知らぬ白い肌、黒にも似たボルドーの双眼、唇は血を連想させる程、紅い。
こんな状況なのに彼女から目が離せなかった。
「……残念」
少女の声が微かに聞こえる。鈴を転がすような、聞いていて心地の良い声色だった。
何事もなかったかのように少女はナイフを仕舞い、一歩後ろに下がった。
そして少しだけ妖艶に、それでいて年相応のはにかんだ笑顔を僕に魅せた。
「良かったね。死ななくて」
すれ違う間際、耳元で囁かれる。そのまま彼女は僕が来た道を進んで行ってしまった。
一人取り残された僕。ふと、首元に手を添えると、
「……うわ」
これが現実だと教える為か、薄く、それでいて色濃い血が張り付いていた。
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