第5話
幽霊となって2度目の朝が来た。昨夜は美沙がうなされることも少なく、静かな夜を1人過ごした。
日が昇ってそれぞれの家から生活の音がし始めた。どうやらお隣の部屋の夫婦も起きたみたいだ。
美沙はいつも通りの時間に起きてきた。彼女は昨日と同じ洗面所から戻るとすぐに僕の写真が飾ってある仏壇に向かって長いこと手を合わせていた。
どうやら今日はどこにも出かける気分ではないらしく、ずっと家の中にいるようだ。服は昨日着ていたパジャマではなく、僕のタンスから取り出したスウェットで、度々袖を顔に持って行っては匂いをかいでいるようだ。
生前、美沙は2人でいるときによく僕の匂いをかいできた。毎回不安になって変な匂いがしないか聞くと、きまって
「変な匂いじゃなくて、良い匂いがするよ!この匂いとっても落ち着くの」
といってくれて、うれしいような、むずかゆいような気分にさせられた。
きっと今やっていることも似たようなものなのだろう。ただ、今の彼女は服についた匂いから僕が生きていた証を少しでも見つけようとしているかのように感じられる。
もうすぐで昼食の時間に差し掛かろうというときに、部屋のインターホンを鳴らす音が響いた。どうやら来客のようだ。宅配便だろうか?美沙は立ち上がるとドアの覗き窓から外の様子を伺ってそのまま鍵を開けた。
扉が開くと目の前に立っていたのは綺麗な女性だった。僕はこの人を知っている。名前は大曽根雪美さん。僕たちの会社の一個上の先輩で、美沙の直属の上司でもある。美沙のことをとても可愛がっていて、よく2人でご飯に行っては酔っ払って帰ってきていた。
いったいなにをしにきたのだろうか。
「はい、これ美味しいケーキ!表参道にあるお気に入りのお店だから間違いないよ!」
雪美さんはにっこりと楽しそうにしながら持っていた紙袋を美沙に渡すと、そのまま僕の仏壇の前に座って手を合わせた。
「もうあの事故から2ヶ月以上経つけど、少しは落ち着いた?」
雪美さんは優しい声で美沙にそう問いかけた。どうやら、僕の死んだあの事故からは結構日数が経っているようだ。雪美さんの言葉から考えると、どうやら美沙は2ヶ月以上今のような生活を続けているみたいだ。
「少しは外に出てみない?」
「まだそんな気分にはなれないです。目を閉じるとあの人との思い出が浮かんできて、どうにかしてあの頃に戻りたくなるんです」
「でも、ずっとこうしてるとどんどん良くない方に考えちゃうよ。少しでもいいからいつもとは違う景色みてみない?」
どうやら、雪美さんが今日来た理由はここにあるらしい。ずっと家に引きこもっている美沙を少しでも外に連れ出そうとしてくれているようだ。
僕は雪美さんの言葉にとても安心することができた。美沙は僕が死んでしまってから人との関わりを断ってしまったのではないかと思っていた。だが、彼女の周りにはまだ彼女のことを支えようとしてくれる人がいてくれるのだ。今でこそ彼女は事故でできた傷に耐えきれず殻に閉じこもっているが、きっと彼女の周りにいる人がその殻も破ってくれる。
雪美さんをみていると自然とそう思うことができて、安心できた。だけど、その役目を僕ができないことに対して心の中を苦いものが満たしたような気がした。
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