第86話 黒幕

 送り出した奴隷商人たちが、いつまでたっても戻らない。

 そのことに苛立ちを隠せない男がいた。 

 

 それが、王国の北部辺境に小さな領地を持つ【ハーン子爵】であった。


 脂ぎった顔と、樽と見間違えんばかりに肥大しきった身体は、貴族の悪しき部分を凝縮したかのようだ。

 

 彼は、英雄たちと魔王領域軍との大戦以前から、脈々と続いている貴族家の者で、【始王】以降の新しい枠組みを良しとしない貴族――通称【旧貴族】の一員であった。


 現在、王国内では水面下で2つの勢力が戦っている。

 それが、始王以降の統治を支持する【新貴族】と旧貴族との争い。

 

 旧態依然の【血統主義】と、大戦以降の【実力主義】との争いとも言える。


 そして今、旧貴族たちは民からも見放されつつあった。

 王国の取り組みや新貴族の噂を聞くたびに、旧貴族の領民たちは己の現状に忸怩たる思いを抱くのであった。


 旧貴族の撤廃。


 それこそが、虐げられた領民たちの心からの願いであった。



 自らが時代に求められていないことに気づかないハーン子爵は、辺境の地で王都の目が届かないのを良いことに、放蕩無頼な生活を送っていた。


 王国の定めた税率よりもはるかに高い税を取り立てては、自らの懐に収めたり、国内で魔物や天候による災害が発生しても援助を拒んだりと、【青い血】とも呼ばれる貴族とは思えないほどの振る舞いであった。

 

 当然、始王の定めた『亜人排斥の禁止』『違法奴隷の撲滅』といった人権尊重の法についても軽視していた。


 ゆえに、領内から見目麗しい少女を拐ってきたり、違法な奴隷の売買に深く関与していたりしても、己を恥じてすらいなかったのだ。

 

 彼は神経質そうに、カリカリと自らの親指の爪を噛みながら、予定どおりにならない現状に苛立つ。


 周囲に侍る側近たちは、いつ八つ当たりで殴られるのかと戦々恐々としていた。


「いつになったらアイツは帰って来るんだ!」

「そうは申しましても……」

「数年前に行方不明になったキャロル嬢を見つけたなどと抜かしていて、いつまで待たせるのだ」

「はぁ……」

「行方不明になるまでは、その美しさはフェロー家の至宝とまで言われた存在ぞ」

「左様でございますな」

「先代が身罷られて杳としてその行方が分からなかった存在だ。手駒にしておけば何かに利用できようし、まだ美貌を保っているならば、夜も可愛がってやるのも吝かではないしな……」


 数年前に行方知らずとなった少女は幼かったと聞く。

 今でもまだまだ子どもと呼ばれる年ごろであろう。 

 にも関わらず、恥ずかしげもなく「可愛がる」とのたまう主に、側近は反吐が出る思いであったが、じっと堪える。

 家族もいるこの領地で、主に逆らうことがどれほど愚かなことかを理解しているから。


 側近は、主の歪んだ性的嗜好から話題を逸らすために、話を奴隷商人に戻す。


「奴隷商人ですが、荒野を進むのにも時間がかかることですし……」

「Aランクの冒険者パーティを付けてやったのだぞ」

「荒野では何があるか分かりませんので、安全策を取ったのでは?」

「だが、もうひと月ぞ。あまりにも遅すぎるではないか!」

「そう言われましても……」

「ええい!どいつもこいつも役に立たない者ばかりだ!」


 そう言って子爵は、置かれていた花瓶を側近に投げつける。

 花瓶が額に当たり出血をするも、その側近は動じることなく頭を下げる。

 大騒ぎすれば、さらに八つ当たりが酷くなることを心得ていたからだ。


 そんなふたりのもとに、兵士が駆け込んで来る。


「申し上げます。奴隷商人が戻って参りました。ですが……」

「ですが、だと?」

「はっ、それが、その……」


 言葉を言い淀む兵士に、ハーン子爵は埒が明かないと自らその場に赴くのであった。




 








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