第85話 末路

 とある一団が、荒野を進む。


 もはや服と呼ぶことすらおこがましい、布の切れ端を身に纏い、血液や糞尿で汚れきった身体。

 

 ただただ、前へと進むことのみを運命づけられた集団。


 己の自由意志は完全に否定され、かつては、彼らが奴隷と嘲笑った者たちよりも、よりみすぼらしく、より汚い姿。


 それはまさに、幽鬼と呼ぶにふさわしい姿であった。




 そんな異形な集団に、荒野の魔物が目をつける。


 蛇の頭と尻尾、獣の四肢。

 背中には鋭い背びれ状の棘を持つ。

 その棘から出る毒は、人の身体すら容易に溶かすほど邪悪なものであった。

 

 その魔物の名は【ペルーダ】


 魑魅魍魎が跋扈する荒野にあって、上位種と呼ばれる存在であった。



 見通しの良い荒野を黙々と歩いている一群を見て、舌舐めずりをするペルーダ。


 久々の食いごたえのありそうな獲物だ。

 決して取り逃がすことがないように、魔物はゆっくりと近づいていく。


 どうやら獲物は気づいていないようだ。


 言葉にならないうめき声をあげながら、ふらふらと歩き続ける集団。

 その虚ろな目は前だけを見つめている。



 魔物は、足音を忍ばせて集団の背後に回り込む。

 狙うは最後尾の一体。


 獲物が自らの攻撃範囲に入ったことを確信したペルーダは、咆哮を上げて襲いかかる。


 鋭い前足で一気に獲物に致命傷を与える。

 まさに一撃必殺の勢い。


 だが、その爪牙は何故か獲物に届かない。


 ペルーダに伝わるのは、見えない壁でもなぐったかのような乾いた衝撃。


 恐ろしいほどに濃厚かつ強力な結界が、幽鬼たちを覆っていたのであった。


「おおおおおっ……」

「あああああっ……」


 幽鬼――粗末な身なりの男たちは、魔物が自分たちに襲いかかってきたことに気づく。


 ペルーダは、獲物に気づかれてしまったことに焦りを覚える。

 このまま逃げられてしまえば、久々のご馳走を得られなくなる。


 しかし、この男たちは、何を思ったか両手を左右に広げて何も持っていないことをアピールするばかりか、逃げる素振りすらない。


 予想とは異なる反応に、わずかに逡巡するペルーダ。


 やがて、その耳に獲物たちの必死の訴えが届く。



「…………てくれ!殺してくれ!」 

「俺の方が先だ!」

「早く早く、頼む」

「死なせてくれ!」

「この地獄から救ってくれえええ!」


 死を懇願する訴えであった。


 自ら命を絶つことすら許されていない彼らにとって、魔物の襲撃はこの地獄のような日々から逃れられるやも知れない唯一の可能性なのだ。


 この男たちは、金剛の荒鷲や奴隷商人の成れの果てであった。


 あの日、バケモノアルフォンスから必死で逃れた彼らは、自分たちが強力な強制力に囚われてしまったことに気付かされる。



 ―――雇い主のもとに向かい、自らが犯した罪を懺悔せよ


 その命令により、彼らは昼夜を問わず目的地に向かう。


 否、向かわされていた。


 疲れから休もうとするも身体が勝手に動いていく。

 そこに留まることすら許されない。


 仮にそれに逆らおうとして、耐えられぬほどの痛みを受けて意識を失ったとしても、身体だけは自動的に目的地に向かって歩いている。


 寝ることも、ものを食べることも許されず、排泄に至っては歩きながらたれ流しという有様。


 だが、そんな過酷な状況であっても死ぬことはない。


 何らかの力が働いて、死ぬ寸前のギリギリの状況で体調は維持されている。


 それはまさに生き地獄。


 常に空腹と不眠と、耐えられない疲労に苛まれる毎日。


 足の皮が裂け、疲労で骨折をしても関係なく歩き続けさせられる。

 絶え間なく続く身体の痛みが彼らの心を疲弊させる。


 奇しくも、それは以前に彼らが奴隷しょうひんとして扱った数多の少年少女たちと同じ苦しみであった。


 

 最初は子どものように泣き喚いたこともあった。

 だが、しばらくしてそうしても何も変わらないと知ると、彼らは死を望んだ。


 もはや彼らに生きる望みなど、一握の砂ほどもない。 


 早くこの苦痛から逃れたい、ただそれのみであった。


「ガアアアア!」


 幾度も奴隷商人たちに攻撃を加えていたペルーダではあったが、ついぞ謎の結界を突破することは能わなかった。


 己の力が及ばないと見るや、魔物は諦めてその場を離れる。

 不慮の事態における切り替え。


 それもまた荒野で生き抜く能力なのだ。



「待ってくれ!行かないでくれ!頼む、頼む……このままここで殺してくれええええええ!」


 奴隷商人がそう懇願する。


 何度、そう叫ぶ奴隷を嘲笑ったであろうか。

 何度、そう懇願する奴隷を無視したであろうか。



 荒野に響き渡る悲痛な声。


 だが、それを叶えてくれる者はどこにもいなかった。









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