魔術師のキスじゃ満たされない
有澤いつき
Chapter1 Scarlet Kiss
1-1 ああ、愛しの魔術師様
深い深い森の奥。マンドラゴラの鳴く小道を進んでいく。迷いやすいと言われるけれども大丈夫。小道は踏み固められたものがひとつだけ、逸れなければ間違えることはないわ。
その開けた先にあるのが、我が愛しの魔術師様の工房……木製ロッジが見えてくるはずだから。
「ごめんくださーい……」
コンコンと、控えめに木製ドアをノックする音が聴こえた。ああ、こんな辺鄙なところまで! やっぱり彼の評判は大陸中に広まっているようで、国内外問わず様々な事情を抱えた方がやってくる。決して利便性のいいとは言えない、こんな鬱蒼とした森の奥まで。
「来るまでに苦労をさせるんだから、大都会のど真ん中に工房を構えればよかったのに」
「聞こえてるぞシャル」
あんなクソうるさい騒音地帯に拠点なんか構えてられるか、と怒鳴られた日が懐かしい。それも私への照れ隠しと思えば美しきメモリーよね。
それより今は大切なお客様。私は「はあい」と高めの声で返事をし、小走りでドアに駆け寄った。
少し軋ませながら開いたドアの先にいたのは、気弱そうな印象の女性。恰幅はいいし身なりもいいからそこそこ恵まれたおうちの方かしら、なんて観察をしてしまうのは薬師見習いとしてのクセ、みたいなもの。彼も言っていたわ、薬を処方するには相手の状態をよく知る必要があるんだって。
「あの、ヴィンセントさんはいらっしゃいますか……?」
「はい、確かにここはヴィンセントの工房です。ご用件は」
私の師匠――凄腕の
「薬を、いただきたいのです」
薬師としてのお仕事。正直、一般のお客様なら圧倒的にこっちだ。
「わかりました。中へどうぞ」
私は女性をロビーに案内した。
何もない森のなかに作った工房だから、土地だけは余計にある。「魔力の流れがいい」とかなんとかで、この土地はヴィンセントお気に入りのようだ。私は魔術師じゃないからよくわからないけど。
ロビーには丸太で作ったソファーとテーブルが置いてある。ログハウス風がいいといった私の意見が採用された結果だ。元々は革張りの真っ赤なソファーが鎮座していたんだけど、あまりにスタイリッシュすぎて工房の雰囲気に合わないから私が却下した経緯がある。
「飲み物はコーヒーと紅茶、どちらにしますか?」
「あっ……じ、じゃあ紅茶で」
「わかりました。アイスでいいですか?」
「はい……」
女性の返事は尻すぼみだった。
キッチンに行く前、もう一度女性を観察する。背丈は平均で体型が横に広く「圧」がある。それなのに小さく見えるのは猫背になっているせいだ。加えて視線が定まらず常にきょろきょろとしているから挙動不審に見える。
そんな人がこんなめんどくさいところに、しかも単身で来る理由はおそらく。
「俺を錬金術師か何かと勘違いしているのか、あいつは」
「わわっ!」
背後から突然ヴィンセントの声がしてびっくりしてしまう。その近さにドキドキしながら振り返ると、そこには天才魔術師であり優秀な薬師と名高いヴィンセント・ファルツブルクのご尊顔があった。
アイスブルーの瞳は切れ長で、プラチナブロンドの髪は無造作に流している。でもそれが飾らない感じがしてたまらない! そんな顔面偏差値の高い男を間近で見たら、私の心臓も張り裂けてしまうというもの。
「おいシャル、そのだらしない顔をなんとかしろ」
「ふぇっ」
「まったく、薬師見習いに俺様からありがたーい話をしてやろうと思ったのに」
「ごめんなさい! ヴィンセントがイケメンすぎて見惚れてました」
「知ってる」
ヴィンセントが離れる。私としてはもっとべったりしていても良かったのに。でもそれはそれ、今は薬師見習いとして仕事をきちんと果たさないと。
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