第27話 心の中にぽっかりと空洞ができた
救急車の中で慌ただしく蘇生措置が行われていた。一刻の猶予もならないことは、救急隊員たちの緊迫した態度から伝わってきた。サイレンの音が俺の心臓を締め付けた。
心臓が止まった状態で運ばれてからは、すぐに叔母が到着し、俺たちは廊下で待ち続けた。
「おばさん、きっと叔父さんは助かります!」
「来夢君……そうよねえ。きっと、助かると、私も信じたい……」
「今までどんな困難も乗り越えて、ここまでやってきたんですから!」
泣きださんばかりの叔母の様子を見るのは辛かった。甥っ子の俺を、何の見返りもなく引き取り世話をしてくれた人が、今必死で生きるために戦っている。ここで、そう簡単に倒れて、最悪の場合死んでしまうなんてことがあっていいはずがない。処置室へ運ばれてからの様子は全く分からず、不安が募って行くばかりだった。扉の向こうで医師達は何をしているのだろうか。そして、どんな結果が俺たちの前に示されるのだろうか。じりじりとした気持ちを抱えたまま、時間だけが過ぎていく。
そのとき、ガタンと扉が開いて神妙な面持ちで医師が出て来た。
「先生っ! 叔父さんの容態はっ!」
「何とか一命はとりとめました。呼吸や脈拍は正常ですが……」
俺たちは、ようやく空気を吸い込むことができたような気がした。生きていてくれただけで十分だった。医師の口元を見つめ、次の言葉を待った。
「足と腕に怪我を負っています。これから緊急手術をしますので、同意書にサインをお願いします」
「手術って! どのような?」
「骨折がひどいので、骨の手術です。幸い内臓には損傷はありませんでしたので、ご安心ください」
「よ、よかった……助かるんですね。先生、手術をして体は元通りになるのでしょうか?」
「最善を尽くしますが、その後の状態については今は何とも言えません。骨がほぼ元通りになれば、リハビリ次第で歩行はできるようになるかもしれませんが……それも今は何とも……」
「そうですか……。よろしくお願いします」
その後手術が開始され、俺たちは病院の廊下で終わるのを待ち続けた。廊下に座ったまま数時間が経過した。
手術中のライトが消え、医師が俺たちの前に姿を見せた。
「手術は無事に終わりました。後は今後の経過を見ましょう」
それを聞き、俺はようやく生きた心地がした。今度は、叔母は、心細げな表情で俯いていた。意識が戻るまでの間、どうしてこんなことになってしまったのか、とずっと俺に聞いていた。一緒に現場にいながら、なぜこんな事故が起きたのか。いくら聞かれても、納得できる説明をすることができないことがもどかしかった。
そのまま病院にとどまり、叔父の意識が戻るのを待った。スマホには野乃香からのメールがいくつも入っていた。待っている間に電話で事情を説明すると、自分の心配はいらないからずっとついててあげて、という答えが返ってきた。彼女は俺の部屋にいるということだった。
「ごめん、いつ戻れるかわからないけど……」
「そんなこと心配しないで、叔父さんについていてあげて。きっと元気になるわよ」
「俺も信じてる」
信じてはいるが、全く予期しなかったことばかりが起こる。自分の力の及ばないことばかりに常に打ちのめされている。一体この先、どうなってしまうんだろう。先の見えない不安が真っ黒な雲のように目の前に立ちはだかっているような気がする。
「元気出して! 来夢がしっかりしないと、叔母さんがもっと心細くなってしまうわ。今は、叔母さんについて、支えてあげて!」
「ありがとう」
―――優しいんだな……。
それだけ言うのが精いっぱいだった。俺だけが野乃香と楽しく生活を始めて、浮かれていたからこんなことになってしまったんじゃないのか。もっと注意していれば防げたんじゃないのか……。俺は頭を抱えた。
意識が戻った叔父さんは、俺の顔を見て目だけで頷いた。その顔は、心配するな俺はもう大丈夫だ、と言っているように見えた。
ぐったりして家に帰り着いた時は、十二時を回っていた。野乃香は心配で、眠られずに待っていた。
「大変だったね……」
「こんなことになってしまって……これからどうしたらいいんだろう? これから、どうなるんだろう……」
彼女の顔を見た途端、不安な気持ちが言葉になって湧き出てきた。じっと抑えていた感情が溢れ、体が震えだした。目から、とめどなく涙が溢れてきた。
「可哀そうに……来夢……辛かったね」
野乃香の両腕に抱きしめられると、俺はいつの間にか声を出して泣いていた。その俺の頭を優しく撫でながら、彼女はいった。
「どんなことになっても、私はずっと来夢の味方だよ。傍にいるから」
「うん、一人じゃなくて、よかった」
その時、心から一人じゃなくてよかったと思えた。成り行きみたいに傍に寄ってきて、偶然のように関わってきた野乃香だったが、目の前にいる彼女は、年上の俺の事を子供のように慰めてくれている。
―――今日は思い切り甘えるしかない。
―――そうじゃないと、折れそうな俺の心は本当にぽきりと折れてしまいそうだ。
「仕事場からそのまま病院へ行って、何も食べてなかった……」
「そうだよね。これからラーメンを作ろうか。それともチャーハン?」
「ラーメンがいい。作ってくれるの?」
「当然だよ」
ようやく少しだけ笑顔になった俺に、野乃香も笑顔で返してくれた。彼女の体の温もりに触れ、冷え切った体に体温が戻ってきた。
「ちょっとだけ離れちゃうけど、座って待っててね」
一生懸命俺の体をさすっていた野乃香が、振り返りながらキッチンへ向かった。体を丸めて待っていると、スープと野菜の良い香りが鼻先をくすぐった。
「美味しそうな匂いがする」
「野菜をたっぷり入れたからね。卵も入ってるからあったまるよ」
「いい匂いがするなあ。具だくさんで、栄養がありそう」
「だって、昼から何も食べてないんでしょ? いろんなものを入れて……と」
「そうだったね」
ラーメンの香りをかぐと、空腹感で耐えられなくなった。キッチンのテーブルに移動して、出来上がるのを待った。
一口含むと、優しい醤油の香りが鼻先に広がり、塩味の沁みた麺のうまみが口いっぱいに広がった。湯気の立ち昇るラーメンを、一口一口味わうように、口に入れた。ラーメンは、心底美味しかった。
「旨いっ! こんなにおいしいラーメン食べたことないよ」
「そうお? どこにでもある、インスタントラーメンだよ」
「だけど違うんだ」
熱々のラーメンを、ふうふう言いながら次から次へとかき込んだ。スープも体を芯から温めてくれた。
「本当にうまいっ!」
「ありがと」
「最高だなっ」
「このぐらいの事で元気が出るなら、いくらでも作るよ」
「よろしく」
無我夢中でラーメンを食べ、最後にスープまで平らげた。
「こんなに喜んでくれるなんて、作り甲斐があった」
野乃香はどんぶりを持ち流しの方を向いた。俺はどんぶりを洗っている野乃香の後ろへ立ち、腕を回しウェスト辺りで両腕を組んだ。
「もう、そんなことしたら洗えないよお」
「だったら、洗わなくてもいいんじゃない?」
「来夢ったら、そんなこと言わないで。強引なんだから……」
心の中にあいだ空洞を埋めようと、顔をぴったりと背中にくっつけて、俺は手当たり次第に野乃香の体に触れた。触れている部分から、温かさが伝わってきて心地よかった。
「ず~っと触れいていようかな」
「いつもは私の方が子どもみたいなのに、今日は来夢が子どもみたい」
「野乃香の子供でもいいや。甘えてようかな」
俺は支離滅裂なことを言って、野乃香を困らせていた。
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