第20話 悩ましい夜
風呂につかりすぎた俺は、のぼせてしまっていた。下着姿の野乃香の姿が頭から離れず、なかなか風呂から上がることが出来なかったのである。ずっと入っているわけにはいかず、意を決して風呂から上がった。
「ああ~、いいお湯だった……」
俺はおっさんみたいな台詞を言いながら、風呂場のドアを開けた。目の前の光景に再び目が釘付けになった。
「う~ん、よいしょ。ああ~~、よいしょ。ふ~~、よいしょ」
「これは何を……」
「見ればわかるでしょ」
―――そうだよな、股を開いて体を前に倒して、当然柔軟運動をしているんだろう。
「体操してるんだね、いいことだ」
「そうなのよ。最近体が硬くなってきちゃって……。背中を押して、来夢! ふ~~、う~~ん、いった~いっ」
「これでどう」
「ああ、その調子」
背中の後ろに回り、軽く肩から腰のあたりを前に押すと、体が前傾してきた。だいぶ柔らかくなってきたようだ。風呂から上がってからずっとこれをやっていたのだろうか。
「はあ~、疲れた」
「俺も。今日はたくさん歩いたし、嫌なこともあったから。ゆっくり休んだ方がいい」
「本当、ここはシェルターみたいなものだものね。きっとよく眠れるわね」
―――はたしてよく眠れるのだろうか。
―――そうだといいのだが……。
親父の家で眠った時よりも、二組の布団の距離は近い。六畳一間に布団が二組敷かれているのだから。
「ふ~っ、疲れたあ」
野乃香は自分の布団にごろりと横になった。まだ眠るつもりはないのだろうけど、目をじっと閉じている。
―――こんな無防備でいいのだろうか。
―――彼女の気持ちを聞いてみたくなった。
「あのさ、野乃香」
「なに?」
「好きな人いる?」
「はっ、何? 突然、そんなことを聞いちゃって、どうしたっていうの?」
目をぱっちり開けて、両手を顔の前に当てて慌てている。
―――さて、答えはどうだ。
「好きな人……いる」
「えへへ」
「誰かなあ?」
「やだ、やだ、そんな質問、恥ずかしくて答えられない」
「じゃあ、答えなくていいけど……」
「そうだよね。そんなこと言えないよ」
「そうなの、秘密なのか……」
「まあ……いないこともないけど、付き合ってるわけじゃないし」
「へえ、付き合ってないの……」
「告白してないから……」
「してみたら?」
「……そのうち、いつか……」
ぱっちり開けた瞳はキラキラして、まるで空に輝く星のようだ。
―――まあいい。
―――この家に居なければならない状況が続く限り、これからず~っと二人で暮らすことになるのだから。
「じゃあ、そろそろ電気を消すよ」
「そ、そうね。もう時間も遅いし」
「あのさ!」
二人一緒に声を出した。
「なに?」
「先に言って」
「来夢の方から言って」
「いや、レディーファーストだ」
「私の事……」
「何?」
「寝ている間に……」
「フムフム」
「あ~~、何と言ったらいいのか……」
「手を出したりしないよ。襲わないってこと」
―――どうせそういうことだろう。
―――俺も言おうとしていたことだ。
―――寝ている女の子に手を触れたりはしない。
―――そんな卑劣な真似はしない。
―――迫る時は、正々堂々と……。
「安心して」
「信用するね」
この状況で、信用するとかしないとか、普通はあり得ないけどな。何も起こらないほうが普通じゃないんじゃないかと思うんだが。
電気を消し、暗い中で目を閉じた。昼間に疲れが襲ってきていつのまにか意識が薄れてきて……。
突然、腹部に衝撃が走った。
―――うっ、何だこの物体は。
腹の上に何かが乗っかった。思わず手を伸ばして触ってみる。柔らかく生暖かい感触に重量感が加わっている。生き物が俺の体の上に乗っている。いや、生き物ではない!
―――これは!
暗がりの中で、じっと目を凝らす。
―――あっ、誰かの顔がこちらを向いている!
だけど、ここにいるのは……野乃香しかいない。
何と、生き物の正体は野乃香の太ももだった! しかも顔がこちらを向いて、腕までもが俺の胸元に乗っている。羽交い絞めにされた獲物のように、俺はじっと体を固くした。
―――何もしないでくれって言ってたのに、これはないだろう!
「う~~っ、重いっ」
小声で言ってみたが、起きる気配はない。す~す~と寝息が聞こえてくる。その寝息が俺の顔にかかり、悩ましい寝顔がこちらへ迫ってくる。ド~ンと乗せられた太ももは俺の体を挟み込むようにピクリともしない。熟睡している状態だ。だが悪くない体勢だ。顔だけそちらへ向けた俺は、ついでに腕もそちらへ延ばしてみた。まるで抱き合う格好になっている。このまま両腕を体に回したら……。当然野乃香は驚いて、飛び起きるだろう。だが、こちらも寝ぼけたふりをしていればいい。
「う~ん、むにゃむにゃ……」
片腕を野乃香の体に回す。風呂上がりに見たブラジャー姿が瞼に浮かぶ。
「あ~ん、むにゃむにゃ」
バタンと、足と腕を振り回して反対側に寝返りを打った。ようやく俺の体が解放され、手足を伸ばした。す~っと深い眠りに落ちた。これで朝まで安眠できるはずだった……。
のだが、再び俺の体に覆いかぶさるように、片腕片足が絡みついてきた。
―――重いっ!
今度こそ持ち上げてどかそうかと思いきや、俺の肩に野乃香の胸がくっついてきた。
―――な、な、な、何だよこれは!
―――誘惑してるのか!
パジャマの胸元からは、谷間が見えている。横向きになっているので、両側から押しつけられ、ぐっと盛り上がって見える。俺はゴクリと生唾を飲む。暗さに慣れた目はほんの少しの灯りでもその姿を捕らえることができた。
肩には胸のふくらみが当たっている。そして、太ももは俺の下腹部をガシッと捉えている。
―――よ~し、どうせ熟睡してるんだ。
―――このまま朝まで抱き合ってるかあ……。
腕を伸ばし、しばし胸の谷間に魅入っていた。
―――近い!
口元からほんの数センチのところに胸のふくらみがある。時折それを押しつけられたり、離れて行ったりを繰り返す。汗をかきながら、うつらうつらしているうちに外は明るくなってきた。とても眠るどころではない。
だが、いつの間にか眠っていたのだろう。どこかからよい香りが漂ってきて、ふんふんと鼻歌が聞こえてきた。耳元で、甘く囁くような声がする。
「起きてねえ!」
「あ、あれ、いつの間にか眠ってたのかな」
「何言ってるのよ。ず~っとよく眠ってたじゃないの」
「そうかあ? 俺はず~っと起きてたような気がするが……何か覚えてない、昨日の夜の事」
「な~んにも覚えてないよ。お陰様で、よく眠れた」
―――そうだったのか。
―――覚えてなくてよかった。
どうやら俺だけが悶々とした夜を過ごしていたようだった。野乃香のあっけらかんとした顔を、俺は目を細めてじ~っと見てしまった。
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