第13話 ようやく親父の家に着いた
親父の住む家はバス停から歩いて五分程のところにあった。指示されたバス停で降りると、目の前に小さな雑貨屋が一軒あり、その周りは畑だった。食料品店があるかどうかわからなかったので、念のため食料品を駅前のスーパーで買ってきた。その周辺には数件の家があり、少し行くと田畑以外何もなくなった。隣の家までは、それぞれ数百メーターぐらいありそうだ。そんな道をたどっていった。
すると、生け垣のある一軒の古い家が見えてきた。ここに違いない。住所と親父の言っていた場所を特定すると、その家だった。
「着いた―っ! ここかあ、親父の住んでいるうちは」
田舎の一軒屋は、想像以上に古かった。それに、今にも壊れそうだ。
「本当に、こんなところに住んでいるのか……物置小屋みたいだけど……」
「そんなこと言っちゃ悪いですよ。立派な家じゃないの……」
「今日はここに止まるんだけど、覚悟はできてる?」
「まあ、大丈夫です。立派な、家だから」
―――はあ、そうかなあ。
実際は野乃香も、焦っているのだ。部屋数がいくつかありそうな家ではあるが、いかにも古い。
家を出発してからほぼ半日余り。ようやくたどり着いた家は、主を無くし、しばらく放置されていた一軒家だった。農場の経営者の知り合いで、年老いた老夫婦が住んでいたが、数年前には老人ホームに移り住み、廃屋となっていた。その数年間誰も住んでいなかったという廃屋を、居住に耐えるように電気や水道を復活させ再び使えるようにした。
「しかし、お化けでも出そうだな。それに、全部窓が閉まってる。まだ帰って来ていないようだ」
「そうねえ。夜になったら、怖いかな」
来夢は、前もって聞いていたひっくり返しになった植木鉢の下から、玄関のカギを取り出した。
「これで開くはずだ」
「ウォーっ、いよいよですねえ!」
「さあ開けるぞ!」
「ドキドキします!」
―――急に俺の事を兄貴だと思って、敬語を使っている。
鍵はすんなりと開き、玄関をガラガラと開けた。昔ながらの家で、玄関の戸が引き戸になっている。俺のアパートとは比べようもないほど広い玄関とホールがあった。しかし、隅の方には蜘蛛の巣が張りめぐらされている。忙しくてそこまでまだ手が回らないのだろう。
「きゃ~っ、蜘蛛の巣が張ってる~~っ!」
「驚くことじゃない。田舎ではよくあることだ。家の中に虫が入ってくるのは、全然珍しいことじゃないから、いちいち悲鳴を上げないように」
「そ、そ、そ、そうなの~っ!」
―――田舎に来たことがないのか、この子は。
―――ちゃんと泊まれるのか、心配だな。
「上がって、ひと息ついたら、掃除をしよう。親父も、なかなかそこまでは手が回らないんだろう」
「はいっ。窓も開けましょう」
玄関を上がって、一つ目の扉を開けた。そこは台所兼食堂になっていて、色々な大きさの鍋や、調味料が乱雑に置かれていた。
「これじゃあ足の踏み場もない。隅の方へ追いやろう」
「そうですね」
二人で、大きい鍋に小さい鍋を重ねたり、何が入っているのかわからない謎の調味料の瓶などを、大きい物から隅へ移動させていった。異様に大きな花瓶などもあり、中には正体不明の虫が見えた。
「よいっしょ。重いなあ」
「私も持ちます」
「せーのっ!」
「よいっしょ―」
運び終わると、雑巾でとりあえず見えるところだけ拭いた。ひとしきり力仕事と掃除をして、二人でちゃぶ台のある部屋で、座布団の上にぺたりと座り込んだ。
「長かったなあ。もうこんな時間だ」
「う~ん、あたしも。疲れた―」
俺はごろりと畳の上に転がった。上を見ると、天井の染みがヘビがくねくね這っているような形に見えが、疲れが出て来て瞼が自然に閉じた。
ふっと気がつくと、外から入ってくる光が、オレンジ色に変わっていた。
―――あれあれ、もう夕方になってしまったかな。
時計を見ると、四時過ぎていた。
―――そして、あれ、野乃香は……。
やっぱり、隣で横になって眠っていた。座布団の上に頭を乗せている。すーすーと息をする度に、胸元が規則的に上下している。俺は、押入れを開け毛布を引っ張り出し、体に掛けた。まだ気がつかずにすやすや眠っている。俺は至近距離で、顔を観察した。閉じた瞼の奥で、眼球が時折動いている。それに伴って、口元や頬がかすかに動く。
―――何か夢を見ているのだろうか。
「う~ん」
「……起きたの?」
「ふ~、うん」
「……あれ」
―――まだ眠っている。
「う~ん」
体をくいッと捻り、横を向いた。
―――まだ眠っている。
俺は、人差し指を頬の傍へ近づけた。そのまま指を制止させる。じ~っと顔を眺めていると、野乃香がくいっと体を動かした。その瞬間頬が俺の指に触れた。野乃香にしてみれば、何かに頬を押されたわけだ。
「うっ、何っ! 虫っ?」
「アハハハハ……、やった!」
「もう、驚いたよ……。虫が来たのかと思った!」
「そうやたらとは来ない」
「そうなの……ふ~ん」
彼女は、目をこすって下から俺の顔を見上げている。じ~っと顔を見上げてから、ようやく体を起こした。
「もう! なによう。寝ている間ずっとあたしの顔を見てたのね?」
「そんなわけない。俺も寝てたんだ。さっき起きたところ」
「本当? あたし、何か変なこと言わなかった?」
「別に……」
野乃香は、俺に疑いの目を向けている。目がスーッと細くなっている。
「ああ、寝るんじゃなかった。ああ、もう、絶対何か言ってたんだ。教えてよ!」
「教えて欲しい?」
「ああ、寝言いってたんだ。教えて!」
「それはね」
「それは?」
「来夢、っていってた」
「ああ、やめて、やめて。ああ、もういいよ」
「嘘だよ」
「だよね」
―――だから、聞かないほうが良かったんだ。
別に何も言ってはいなかったが、俺はもったいぶっていった。
―――しかし、こういう時の反応もおかしいんだよな。
「わあ、もう夕方になっちゃった。一時間以上寝てたんだね」
「長旅で疲れたからな」
俺は、急に喉が渇いたことに気づき、冷蔵庫から冷たいお茶を持ってきてグラスに注いだ。
「のどが湧いたな。飲もう」
「ありがと」
そう言って、グラスを両手でしっかり握るとごくごくと続けて飲んだ。ほとんど残りわずかになり、グラスを置いたので、俺はさらにお茶を注いだ。
「喉も乾いてたんだね。どうぞ」
「ありがと」
再び、ごくごく飲んだ。
「ふ~っ、冷たいお茶が美味しいねえ」
野乃香は、べったりと畳に足を投げ出してお茶を飲んだ。こんなところでぐびぐびお茶を飲んでいても、不思議と様になってしまう。窓からは、夕日が差し込んで部屋の中はオレンジ色に染まっていた。
「ただいま。もう着てるんだな」
ガラガラと扉が開き、親父の懐かしい声が聞こえた。部屋へ入ってくると、俺の顔を見るなりいった。
「来夢、元気だったか? おっ、お客さんを連れてきたのか?」
「うん、同級生の竹芝野乃香さん。旅行がてら、田舎に行ってみたいって、一緒に来たんだ。田舎が珍しいんだ」
「友達かあ。よかったじゃないか」
高校を中退してからずっと、社会人としか付き合いがなかった来夢に友人ができ、心から喜んでくれている。
「竹芝野乃香です。よろしくお願いします。大変なところにお邪魔しちゃって、すいません」
野乃香にとっては、精一杯考えて言った言葉だ。来夢は、それを察していった。
「緊張しなくていいよ。こんなところだし、気楽にね」
「そうだな。むさくるしいところだけど、ゆっくりしてってください」
「そんなことは、ありません。広いから、ゆったりできます」
野乃香は、本心から言った。古いとはいえ、十分なスペースがあり、三人が暮らしてもゆったりできるだけの広い空間がある。ただし、雑草の陰から虫が飛び出してきたり、地面を謎の昆虫が這っているのには、戸惑っている。
「さあ、夕飯でも一緒に食べて、お風呂に入って、ゆっくりしよう」
「そうだな。駅前のスーパーで食料品をたくさん買い込んできたから、俺たちで何か作るよ」
「おお、よろしくな」
父親は、着替えをするために廊下へ出て行った。俺と野乃香は、今日はとっておきのカレーライスを作ることにして、キッチンへ行った。
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