第2話 白金の輝き

 オリトン国の北に位置する村、イズールド。背中には山を背負い、東には鬱蒼とした森が広がるのどかな村だ。

 だが今は、平凡な村には似合わない殺伐とした空気が漂っていた。


「ここにリンディ・ラミラがいるのは知っている。大人しく渡してもらおう」

「しつこいわね。そんな子は知らないと言ってるでしょう」


 村の入り口では、四人のアルタイル兵が集まった住民達と対峙している。

 先程から頑なに兵士の言葉にしらを切っているのはエバンの母、ミーザだ。


「ミーザさん。ここは従った方がいいんじゃないかしら」

「何を言うの……!?」


 近所に住む女性に耳打ちされ、ミーザは目を剥いて小声で返した。


「だって……そもそもあの子、この村の子じゃないでしょ?」

「だからって……!」

「それに、村に残っている男たちは魔物退治に出てるのよ。女子供だけでどうしろって言うの」

「……それは」


 その通りの言葉にミーザは口籠った。

 兵士にならずイズールドに残る男は、村の周りに寄ってくる魔物を警戒しているのだ。


「さっきから何を話している?」


 はっとして兵士に向き直ると、一人が剣の柄に手をかけようとしているところだった。


「我々を邪魔しようと言うならば──」


 人々がどよめく。

 村人達の視線の先で、その兵士はついに白銀の刃を抜き払った。

 きらめく剣先に誰もが息を飲んでその場から動けなくなる。


「ミーザさん……!」


 先程より鋭い囁きが耳に届く。

 住人達の眼差しを痛いほど感じる。ミーザに決断を促しているのだ。


 殺気立つ兵士達の様子に、あの少女を迎えに来た訳ではないことぐらいわかっていた。だからこそ渡すわけにはいかないのだ。

 能力のために家族と引き離された彼女を哀れに思い、もう一人の子供のように接するようになっている今ではなおさらだ。


(あなた──あなたがここにいてくれたら…!)


 隣国との戦の最中に尊い命を奪われたエバンの父。

 いつも笑顔を絶やさず、明るく前向きな人柄で、人望もあった。

 いつもミーザを支えてくれた。

 いつも家族を愛してくれた。

 今はもう見ることのできない夫の姿を思い、ミーザは顔を覆った。


「待て!!」


 静まりかえった村に、突如として凛とした声があたりに響く。まだ若い声だ。

 ミーザは震える手をゆっくりと下ろして、おそるおそる振り仰いだ。

 わずかに小高くなっている丘の上に二つの人影が立っている。それは今、ここにいてはいけないものだった。

 茶髪の少年と、赤みを帯びた桃色の髪の少女。

 見間違えるはずがない、自分の一人息子とその幼なじみだ。


「私はここよ。村の人達には何もしないで」


 リンディはいつになく厳しい瞳で兵士を見つめる。


「来ちゃだめだと言ったでしょう……!?」

「みんなを残して逃れるかよ!!」


 母の声にエバンは負けじと叫び返した。


 その姿が、在りし日の夫の姿と重なる。

 今も生きていたのなら、そう言ってくれるのではないかと思ってしまったのだ。

 生き写しのような息子の眼差しに視界が滲む。


「……エバン」


 ミーザは激情を押さえるために再び手で顔を覆った。

 ‬

「おまえがリンディ・ラミラだな。大人しく付いて来てもらおう」

「おまえ達にリンディは渡さない!」


 一歩前へ進み出た兵士にそう返すなり、エバンは丘から飛び降りて持っていた父の剣を引き抜いた。

 直後、頭の中に声ともつかない、響いてくるような「言葉」を感じる。


(なんだ、今のは……『金聖きんせい』? この武器の名前か……!?)


 金色の刃をまじまじと見つめてみても、当然のことながら返事はない。

 だが、初めて手に取ったというのに、不思議と馴染むような気がした。


「そちらがその気なら……容赦はしないぞ」


 剣を向けられた兵士が構えを改める。

 エバンも金の剣を両手に持ち替えて腰を落とした。


「望むところだ!」


 切迫の睨み合いの刹那、二人は同時に駆け出した。

 兵士の斬撃を金の刃で受けて軌道を変える。

 それだけで腕が痺れるようだった。思わず目を見張る。

 普段木刀を振り回しているエバンにとって、真剣で人と対峙するのは初めてなのだ。


 そうこうしている間に次の一太刀が襲いかかる。一時の油断もならない。

 エバンは横薙ぎに振るわれた攻撃を後ろに跳躍することで避けた。


 そこまで見届けたミーザは、はっとした。村人達へ振り返り呼びかける。


「みんな、家へ入って!」


 声を聞いた瞬間、村人達は蜘蛛の子を散らすように自分の家へ逃げ込んでいった。




 剣と剣がぶつかり合う音が響く。

 エバンは代わる代わる斬り込んでくる兵士達に必死に応戦した。

 その最中、視界の端に兵士の一人が村の中へ入り込んで行くのを捉えた。リンディのいる丘の上へ向かっているのだ。


「待て!」

「おまえの相手は俺だぞ」


 後ろを振り返るエバンに、対峙している兵士が忠告する。

 心は駆け出したくとも、目の前の敵がそれを許さない。

 ‪‬思わず歯噛みした。自分がもっと強ければこれほど手間取らず、幼なじみの元へ駆けつける事ができるだろうに。


(カイトスみたいに……あの時のカイトスみたいに、もっと強くなれたら──)


 黒い刀に呼びかけ、あっという間に魔物を斬り伏せた傭兵の姿が浮かぶ。

 まるで、相棒にでも命を預けているような信頼を感じた。


(俺も、俺にもこの剣が答えてくれたなら……)


 どうか力を貸してくれ、と祈るように柄を握りしめる。


「吠えろ、金聖!!」


 その声に、金の刃が輝きを増した。

 エバンは叫んだと同時に、鍔迫り合いをしていた兵士の剣を押し返す。

 さらに続けて大きく一閃する。すると金聖は衝撃波のようなものを放ち、四人の兵士全てを吹き飛ばした。

 地面に叩きつけられた兵士達は情けない呻き声を漏らしている。


「エバン!伏せてて!」


 間髪入れず、丘の上から凛とした声が降ってくる。

 エバンは何の疑問も持たず腕で目を庇った。


「照らせ白凛はくりん!ライトオーバー!」‪


 眩い光が周囲を満たす。

 照らされた兵士達は立ち上がろうとした矢先、目を眩ませ蹲った。

 白い杖を持つリンディは先程から詠唱の準備をしていたのだろう。すぐにでも援護できるように。

 しかし、予想を反する事が起きた。

 光を浴びた兵士達が次々と力なく倒れてゆくのだ。


「えっ、どうして!?」


 焦ったリンディは丘を器用に滑り降り、エバンの側へ駆け寄った。


 その折、リンディの首から下げられているレグルスのカギが光を纏っているように見えた。目を疑ったが、瞬きした瞬間に元の金のカギに戻ってしまった。

 気にはなったが、太陽が反射しただけかもしれない、とエバンは思う事にした。


「私、目眩しをしようと思っただけなの。攻撃したつもりはないわ」

「わかってる。俺にもさっぱりだ」


 エバンは足元に転がる兵士の一人を観察した。

 ぐったりと動かない。しかし顔色が悪いというわけでもない。


「気絶してるだけみたいだ」

 ‬

 戸惑っていると、後ろから心配そうな声がかかった。


「一体何があったの……?」


 家へ戻らず、近くの木の陰から様子をうかがっていたミーザだ。


「わからないんです。私の目眩しの魔法で倒れてしまって……」


 今度は三人で顔を合わせて困惑する。

 全く原因がわからなかった。


「ここは……」


 かすれた声に、エバンは金聖を構え直す。

 倒れていた兵士達が緩慢な動きで身を起こし始めた。


「俺達、何してたんだ……?」

「ここは……イズールド?」


 起き上がった兵士達は辺りを見回し、エバンらと同じように困惑する。

 先程までの殺気はきれいさっぱり消えていた。


「俺達はシリウス砦へ行ったはずだ。そこでカンザ司令官やボイド博士に会って──」

「……その後が思い出せん」


「あの」


 兵士達の会話がぴたりと止む。

 視線が声の主である少女に集まった。


「詳しく話してもらえませんか?」


 話していいものか、と四人は顔を見合わせた。

 しばし気まずい空気が流れた後、仲間に頷きかけて一人がリンディに向き直った。


「最近、隊長の様子がおかしかったんだ。リンディ・ラミラをなんとしても捕らえなければならない、と。何故なのか問いかけても答えはない。それどころか、従おうとしない者は片っ端からシリウス砦へ連れて行かれた」


 おそらくこの四人の中のまとめ役であろう黒髪の兵士は、苦渋を滲ませながら続けた。


「そんな事を命令するような方ではなかった。……シリウス砦から帰ってからだ。連れて行かれる仲間達もシリウスから帰れば理不尽な命令に歯向かわなくなった」

「俺達もそうだ。あの砦から帰ってからついさっきまで、逆らってはいけないと暗示されたみたいに命令を遂行していた」


 もう一人の兵士が口を挟むと、残りの兵士達もそれぞれ頷いた。


「もしかしたら、心を操られていたのかもしれません」

 ‪「何?」


 リンディの言葉に今度は眉をひそめる。


「あなた達の心を読もうとした時、『何か』が邪魔をしてできませんでした。その『何か』は私の魔法で何故か消えたみたいですが……。おかげで今はみなさんの心がわかります。嘘は言っていない事も」


 少女に見つめられた兵士は、ぎょっとして居心地悪そうに身動ぎした。裸で立っているように感じたのだろう。


「レグルスの力のおかげだったりしないかな?」

「えっ?」

 ‬

 唐突な発言にリンディは目を見張って隣の幼なじみを見た。


「さっきリンディが魔法を使った時、そのカギが光ってるように見えたんだ。そのせいかな、って思ったんだけど……」


 その場にいる全員に注目されて、エバンは次第に口籠った。

 それでも照れくさげに頭を掻いて思いついた希望を言葉にする。


「もしも、これが本当なら……操られた奴を戻せたら──リンディは追われずに済むんじゃないか?」

「しかし中には自分の意思でその少女を狙う者もいるぞ」


 黒髪の兵士がすぐさま反発する。

 エバンも負けじと言い返した。


「それは俺がなんとかする。リンディは誰にも渡さない」

「エバン……!」

 ‪

 断言されて、リンディの頬が朱に染まる。


「その様子じゃ、止めても無駄だな」

「当たり前だ」


 ふんぞり返りそうな勢いの物言いである。

 そんな息子の姿に、ミーザは自然とため息を漏らした。エバンの性分はよくわかっているのだ。


「必ず戻るから心配しないでくれ、母さん」

「エバン……。気をつけて行くのよ」


 他に言葉はいらなかった。ミーザは息子を信じている。

 緑色の瞳が真っ直ぐ見つめてくる。父親と瓜二つな眼差しだ。


「リンディを守って、一緒に帰ってくるよ」


 エバンは一切の陰りのない微笑みでそう言った。

 眩しいほどの強い意志に、母ひしっかりと頷きを返してみせた。

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