深淵

シロクマKun

第1話



 その時、僕はめちゃくちゃ後悔していた。


 塾でもたついて帰りが遅くなっちゃった分、お母さんに小言を言われるのが嫌で、近道なんてしなければこんな目に合わずに済んだのに。


 今、僕は不良っぽい3人組に取り囲まれていた。


 この人気ひとけのない夜の公園で。


 この公園を抜ければ僕の家はすぐそこなんだけど、ここはちょっと悪い奴等がたまる場所でもあった。

 出来るだけ足早に公園を通り抜けようとしてた僕だけど、チラチラと空中を漂う赤い光につい、興味を持ってしまった。

 その光に誘われるように近付いた僕は激しく後悔する事になる。


 ドタバタと地面を駆け回る足音。

 まだ幼い、甲高い笑い声。


 そこで僕が目にしたのは、小学5、6年くらいの男子が三人、おのおのがタバコをくわえ、ふざけてそのタバコの火で空中に字を描こうとしていた姿だった。


 僕の存在に、三人はすぐに気が付いた。はしゃぎ回ってたのがピタリと止まる。


「お前、何見てんだよ⁉」


 一番体格のいいヤツが、声に怒りを込めて凄んできた。多分、タバコを吸ってた罪悪感より、変なカッコ悪い姿を見られたって事の方が、彼らの怒りを買ってしまったように感じた。

 その怒りに恐怖を覚え立ち竦む僕は、あっという間に三人に囲まれてしまった。

 

「おい、何か言えよ⁉」

 多分リーダー格であろう、正面の体格のいいヤツが、火の付いたタバコを僕の顔のすぐ前まで持ってくる。それだけで僕の足はガタガタ震え、まともに喋る事もままならなかった。


「あ、あっあっあ……」

 僕は粗雑な暴力的な人間に圧倒的に弱かった。

 ただただイジメを受けるだけの人間だった。 

 自分に暴力的な言動や行動が向けられると、途端に体がガチガチになり、逃げる事さえできない有様だった。 


「何コイツ? めっちゃ震えてるんだけどwww」

 右後ろに回り込んでたノッポが笑いながら言う。

 僕の余りにもヘタレな様子に三人組は、タバコを吸ってるのを見られたという危機感はすっかり飛び、逆に獲物を見つけた肉食獣の様な威圧感を身に纏い始めた。


「どうしたの〜、ボクちゃん? 怖いんでちゅか〜?」

 リーダー格が嘲るように笑いながら、僕をからかう。

 そんな時、左側に回ってたちょっと背の低いヤツが僕の顔を覗き込みながら言った。

「なぁコイツ、4組に来たヤツじゃね?」

「4組って、6年4組か?」と、リーダー格。

「あっ、本当だ! ちょっと前に隣のクラスに来たヤツだよ?」

 ノッポも僕の顔を見上げて確信したみたいだった。

 リーダー格が僕を上から下まで見て、その視線が胸の辺りで止まる。


 その視線の先にあった物、それは紐でぶら下げていた塾の入館証だった。

 それには塾の名前と、僕の名前、そして僕の顔写真が印刷されている。

 普段は塾にいる間だけ首からぶら下げてるんだけど、今夜は外すのを忘れてた。

 ヤバい、隠さなくてはと思ったが僕は腕さえ動かせなかった。

 次の瞬間にはもう、入館証は容赦なくリーダー格に奪われていた。


「ふーん、鈴木貴浩……か」リーダーが僕の名前を読み上げる。

「そうそう、そんな名前だったよ」

 チビがまるで手柄を上げたかのように、嬉々として言た。


「鈴木クン、偉そうに塾なんか行ってんの? なぁお前、塾とか行っていいと思ってんの?」リーダーが威圧的に僕を睨みつける。

 他の二人が、そうだそうだと囃し立てた。


「じゅ、塾はこの学校に来る前から行ってるんだ。で、でももう辞めるつもりだから……」

「ふーん、ならコレいらないよな?」と、入館証を目の前でヒラヒラさせるリーダー格。


「い、いや、それはないと困るから……」

 入館証自体は無くしたと言えば、再発行してもらえるだろう。お母さんにはひどく怒られると思うけど。

 それより心配なのは、こんな奴等に何か悪用されないか?って事だ。それに、ウチの学校は、夜に塾に行く事なんて許可してないし。それを言いふらされたら、とってもまずい事になる。


「返して欲しいか? ならタバコの事はチクらないよな?」

 リーダー格がそう言いながら、顔をぐいっとと近付けてきた。


「う、うん。い、言わないし、僕は何も見てない……」


 三人が三人とも、醜悪な笑いを浮かべた。僕はこういう笑い方をする人間が心の中で何を考えているか知っている。自分よりも圧倒的に下の人間を見つけた時、何をしても決して逆らわない存在を見つけた時、そして、その人間を操れる何かを手にした時、心に闇を持つ人間は歓喜に震えるんだ。


「言葉だけじゃ信用できないからな。取り敢えずコレは預かっとく」

 リーダー格がニヤニヤ笑いながら、そう僕に言った。


 それは僕にとっては死刑宣告にも等しい言葉だった。







 自宅マンションに到着し、どんよりした気分でオートロックを解除していると、後ろから慌ただしい声がした。


「あーっ、待って待って! 私も入れて」

 振り向くと、綺麗な女の人がかけて来て、僕にぶつかる寸前で止まるところだった。


「調度良かったー。バックの中から鍵探すの、面倒なんだよねー」

 そう言いながら、女性は僕に笑いかける。


「サヤ姉……、あっ、吉澤先生、こんばんは。」

 僕は言い直しながら挨拶した。


「はい、こんばんわって、学校じゃないんだから、いつも通りサヤ姉でいいよ? タカヒロ君」


 彼女は2年生のクラスを受け持つ先生なんだけど、お互いの母親同士が友達という事もあり、昔から家族ぐるみで付き合いのある人だった。僕の事を弟のようにかわいがってくれるし、僕もこの綺麗なお姉さんの事が大好きだった。勿論、学校ではなるべく自然にふるまってるけど。


 僕等は一緒にエレベーターに乗り込んだ。サヤ姉は8階、僕は12階だ。

 狭いエレベーターの中で、ふいに女の人のいい香りがした。

 サヤ姉がぐっと顔を近付けてきたからだ。上目遣いに僕を見ながら言う。

「タカヒロ君、顔青いよ? 何かあった?」心配そうに僕の顔を覗き込む。

「な、何にもないよ。」僕はサヤ姉の綺麗な目をまともに見れなかった。


「そう? 新しい学校は慣れた?」

「う、うん、まだちょっと……かな。」


 そう言ってるうちに8階に着いた。


「何でも相談してね? じゃ、おやすみ、また明日」

 僕に優しく微笑みながら、サヤ姉は降りていった。







 家に着いたら案の定、お母さんの小言が待っていた。


「遅かったわね、タカヒロ? 心配しちゃうでしょ?」姿は見えないけど、キッチンの方から声がする。


 僕はその言葉を無視して、さっさと自分の部屋に逃げ込んだ。

 部屋の中では、おじいちゃんが待っていた。


「おお、タカヒロ、帰ったか。お母さんは怒ってるがな、男の子はアッチコッチ遊び回るくらいがいいんだぞ?」

 そう言っておじいちゃんは笑った。 

僕はおじいちゃん子だ。おじいちゃんは昔消防士やってて、体もガッチリしてるし、すごく頼りになる。僕はお母さんや、サヤ姉には相談できない事でも、おじいちゃんだけには話せた。おじいちゃんは何でも話を聞いてくれるし、その都度的確なアドバイスもしてくれる。僕は迷わず、今日あった事をおじいちゃんに相談した。


 おじいちゃんは黙って僕の話を最後まで聞くと、静かに口を開いた。


「タカヒロ、お前はどうしたい?道は2つだけ。戦うか、逃げるか、だな。それだけは自分で決めなさい。どっちを選んでも、おじいちゃんが全力で味方してやるから。一度、ゆっくり考えてみなさい。」


 そう言うと、おじいちゃんは部屋から出て行った。







 朝、起きた時には僕の心は決まっていた。

 逃げ続けるのはもう嫌だった。僕はおじいちゃんに訴えた。

 戦いたい、って。

 おじいちゃんは満足そうに僕の頭を撫でてくれた。

 そして、僕が今日すべき事を教えてくれた。

 僕はおじいちゃんのアドバイスを実行するべく、朝御飯も食べずに飛び出した。出る時、お母さんが何か喚いていたけど、そんな事は気にしない。



 ◇



 昼休みの給食を終えた時、三人組が僕に接触してきた。そのまま、人気のない倉庫裏に連れて行かれる。 


「コレさぁ、3万で引き取ってくれない?」

 リーダー格が塾の入館証をヒラヒラさせながら、僕にそう持ち掛けてきた。


『こういう連中はどんどんつけ上がっていく』

 

 お爺ちゃんが言った通りだから、僕も動揺する事はなかった。お金を払うのを承諾し、受け渡す場所と時間を伝える。

 三人は完全に僕を見下しているのか、まるで疑うことなく、その取引を受け入れた。

 時間は今夜8時、場所は昨日の公園だ。


 僕は静かに決意を固めた。





 ◇




 夜空にぽっかり浮かんだ月がやけに綺麗だった。


 午後8時少し前、僕は公園の北の1画に来ていた。

 昨日と同じ公園内ではあるけど、場所は少し違っている。

 ここは工事中と書かれたパネルで囲われた、立入禁止の場所だった。


 パネルの反対側は、所々ベロンとめくれたり、大穴が開いている金網で、そのすぐ後ろはかなり急な崖になってる。


 その金網の穴の位置を確認していると、入り口付近のパネルがズラされ、三人組が中に入ってきた。案外、時間に対して律儀なようだ。

 僕の姿を見つけると、途端に顔にニヤニヤが張り付いた。


「よお、ちゃんとお金持ってきてくれたんだ?感心、感心」

 まさか僕が裏切るとは夢にも思ってないんだろう。リーダーはかなり上機嫌だった。肩を怒らせて、ゆっくり歩いてくる。


「入館証は?」

 僕が尋ねると、リーダーは上着のポケットから無造作に取り出し、顔の前でヒラヒラさせた。


「じゃぁ、約束の6万と交換な?」

「6万? 3万の約束だよね?」一応、抗議を試みる。

「はぁ? 聞き間違えだろ?最初から6万だよ、6万」


 こういう輩は、最初に3万をあっさり了承したと見るや、もっと吹っかけてやれ、って思考になるんだそうだ。僕は三人組との距離を測りながらゆっくりと近付いていった。相変わらず三人共、人を見下した様な薄ら笑いを浮かべている。ある程度の距離を空け、僕は立ち止まった。

 残りの距離は相手に接近させる。それは、アイツ等を出来るだけ雑草のない地面に誘導する為だ。 

 徐々に近付いてくる三人。慎重にタイミングを測る僕。


 そして、僕はいきなりリーダーに向かってダッシュした。


 完全に油断していたリーダーは何の対応もできず、まともに僕の体当たりくらった。体格の差もあり、当たりはかなり激しい。そのままの勢いで真後ろに倒れ込む。後頭部を地面に強打したのか、ゴキっという嫌な音がした。



 素人にはタックルで充分、お爺ちゃんのアドバイス通りだ。


 一緒に倒れ込んだ僕は素早く立ち上がりつつ、相手のダメージを確認した。 

 リーダーは白目を剥き、体は異常な痙攣を繰り返している。頭にかなり深刻なダメージを受けていると思われた。


 僕は残る二人に向き直る。二人とも、何が起こったかまだ良く理解できていないような表情だった。僕は躊躇する事なく、ノッポに向かってダッシュする。

 ノッポも僕のタックルをほぼマトモに食らい、右則頭部よりに地面に倒れた。また骨が砕ける嫌な音が響いた。 


「がっ、ぐっ」

 ノッポは気を失うまではいかず、異様な声を発しながら苦しんでいる。


 残るチビは、アワアワ言いながら背を向け、逃げようとしているところだった。僕は勢いをつけ、容赦なくチビの背中からぶち当たる。違いすぎる体格差の為か、小さなチビの体は面白いように吹っ飛び、金網にまで届いた。 

 そのままうまい具合に大穴の部分を突き抜ける。

 この金網の向こうは、建物で置き換えると3階から4階分くらいの高さの崖で、その下は細い道路になっている。


 チビが金網を抜けた後、少しの間があって、グチャっという音が聞こえた。

 金網の穴から下を覗くと、暗くてハッキリしないが、道路に横たわる人影と、薄っすら広がる黒い何かがかろうじて見えた。多分、血だろう。


 僕はまだ痙攣を続けているリーダーに近付いて、胸のポケットにある入館証を確認する。間違いなく、僕の塾の入館証だった。入館証を自分のポケットに仕舞うと、僕は痙攣しているリーダーを担ぎ上げた。 

 

 ふと気付くと、僕は笑っていた。可笑しくて、楽しくて仕方なかった。


 僕は笑いながら、リーダーの体を金網フェンスの穴に投げ込む。

 何かが激しく擦れるような音がした後、またグチャっという音が聞こえた。


 もう僕は満面の笑顔でノッポに近づく。

 ノッポは意識はハッキリしているらしく、なにやら激しく喚いていた。

 コイツは縦に長いし、暴れて運びにくいから、持ち上げてすぐ、そのまま地面に落としてやった。頭が先につく角度で落としたから、ゴリっていう、首辺りの骨が逝った音がした。さっきまでうるさかったのが静かになる。もう一度持ち上げ、フェンスの穴から下に落とした。 


 穴から下を確認する。

 道路に人影が三つ。いや最早、「人」ではなく、単なる肉の塊だろう。


 どうだ? 最後は必ず僕が勝つんだ。そう、僕が正義だから。


 僕は最高に幸せな気分で全力で家まで走った。



 ◇




 朝、僕はとても清々しい気分で目覚めた。

 こんなに気分がいいのはどれくらい振りだろう。

 玄関で靴を履きながら、お母さんとお爺ちゃんに

「行ってきます!」と挨拶した。


「行ってらっしゃい、車に気を付けるのよ?」

「おお、行ってきなさい」


 姿は見えなかったけど、お母さんとおじいちゃんが返してくれた。





 エレベーターで降りていると8階で止まり、サヤ姉が乗ってきた。


「おはよう、サヤ姉」僕はにこやかに挨拶する。

「おはよう、タカヒロ君。あれれ?今日は元気だね?」

 サヤ姉が僕の顔を覗き込みながら言った。

「え? そうかな」

「うん、元気なのはいい事だわ」


 何気ない会話をしながら一緒にエレベーターを降り、マンションを出る。

 遠くの方でパトカーのサイレンの音が聞こえた。


「そうだ、また今夜も晩ごはん差し入れに行くね?」と言うサヤ姉に

「うん、いつもありがとう」と笑顔を返す僕。


「気にしないで。 だってタカヒロ君?」

 

「……え?」


 サヤ姉は綺麗でとても頭もいいんだけど、時々訳のわからない事を口にする。僕が一人暮らし?とんでもない。

 僕にはお母さんもおじいちゃんもいて、ずっと一緒に住んでるのに。

 あれ?そういえば、お母さんってどんな顔だっけ…?

 おじいちゃんってどんな声してたっけ?

 頭がモヤモヤした時、僕は決まって心に蓋をする。

 曖昧に笑いながら、サヤ姉の言葉を右から左に受け流す。


 ……事故で……もうすぐ一周忌……


 曖昧に返事していると、サヤ姉はいつも困ったような顔をして黙り込んでしまう。暫く沈黙が続いたまま歩いていると、またサイレンの音が聞こえた。


「……さっきからパトカーのサイレン多いよね? 何だろ?」

 サヤ姉が独り言のように呟く。

 僕は薄っすら笑っているだけだった。




 やがて僕らは小学校に着いた。


 サヤ姉が、いや、吉澤先生が僕の背中をポンと叩く。


「じゃあ、今日も頑張ろうね、タカヒロく……」


 言いかけて、吉澤先生はペロッと舌を出した。


「いっけない! 学校じゃ、ちゃんとしないとね?」

 そう笑いながら、吉澤先生は改めて僕に言った。







「さあ、今日も頑張りましょう。 鈴木先生」
















 完











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深淵 シロクマKun @minakuma

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