episode12 野盗とデモンズイーターと①

「なぁ先に楽しんでもいいか?」

「慌てるな。こいつはもう俺たちから逃げられはしない。楽しむ時間はあとでいくらでもくれてやる」

「じゃあ今はこれくらいで勘弁してやるか」


 ヌメヌメとしたものが頬を上下する不快感にセフィリナ・フォン・バーンシュタインツが重い瞼を開くと、霞む視界に愉悦に満ちた禿げた男の顔が映し出された


「──……イタッ⁉」

「おっと」


 状況を理解し条件反射で飛び起きたセフィリナは、しかし、次の瞬間には右肩に走った激痛で叫び声を上げてしまった。


「そりゃこんなところまですっ飛ばされれば痛みくらいあるだろうさ」

「大人しく掴まっておけば無駄に怪我なんかすることもなかったのにな」

「とりあえず鳴き声を上げられるくらいには元気でなによりだ」


 セフィリナを囲むようにして立つ男たちは、醜悪な笑みを垂れ流し続けながら好き勝手なことを言っている。ここでセフィリナは直前の記憶を思い出した。


(そうだ! 道に立っていた人たちを私は避けようとして!)


 慌てて街道に目を配れば乗っていた馬車は派手に横転しているものの、人が倒れている姿を見つけることはできなかった。


(よかった。どうやら轢かずにすんだみたい……)


 ホッと胸を撫で下ろしていると、無精鬚の男がセフィリナを覗き込むようにして言った。


「おいおい。なにこの状況でホッとした顔をしているんだ? 普通は泣いて命乞いをすることろだろう」

「すっ飛ばされたときに頭でも打ったんじゃないの?」

「くたばってなければなんでもいいさ」


 セフィリナは男たちをキッと睨みつけた。


「よくも、よくも御者と護衛を殺しましたね!」

「そりゃ歯向かってくる相手は誰であろうと殺すさ。しっかし俺が言うのもなんだがよ。護衛だったらもうちっと腕の立つ奴を揃えておけや。それなりに気合いを入れて仕事に取り掛かってみればこの体たらく。はっきり言って拍子抜けだぜ」

「兄貴違う。そいつは違うぜ。あいつらはそこそこの腕を持っていた」

「そうか?」

「そうだよ。俺たちを基準にしたら駄目だ」


 言った隻眼の男はこれ見よがしに肩を竦めて見せた。


「……それで、わたくしをどうしようというのです?」

「それはお前が一番わかっていることだろ? それとも俺の口から直接聞きたいのか?」


 兄貴と呼ばれたリーダーらしき大男はニタリと笑う。

 バーンシュタインツ家はジェスター王国の四侯四伯に名を連ねる名家中の名家。たとえ娘が悪漢の手に落ちようとも要求を飲んだとあっては、武によって今の地位を築いたバーンシュタインツ家にとっては末代までの恥となる。

 まして父であるバルムがそれを許容するとは到底思えなく、故にセフィリナは声高に告げた。


「わたくしを拉致して身代金を要求しようとしても無駄なことです。武門の誉れたる我がバーンシュタインツ家があなたたちのような輩に屈することは絶対にありません」


 男たちは互いに顔を見合わせると、今度は小馬鹿にしたようにくつくつと笑い始めた。


「なにがおかしいの!」

「そりゃおかしいさ」


 言いながら大男はセフィリナの前にしゃがみ込んだ。


「あんたのことは事前に調べ尽くしている。たとえば毎週シュメールの街の女神像に祈りを捧げに行くことは当然として、父親であるバーンシュタインツ候に溺愛されている、なんてこともな」

「……全ては用意周到の計画だったということですね」


 女神テレサが降臨された地として知られるシュメールの街は、星都ペンタリアから馬車で三十分程の距離にある。星都から近いということもあって治安も悪くない。なによりも屈強な護衛を二人伴っているという安心感が今回の件を招いた感は否めなかった。


(ハリス、アラン、オリヴァー……)


 己の迂闊さにセフィリアは唇を痛いほど噛み締めた。


「そういうことだ。果たしてバーンシュタインツ候は目に入れても痛くない娘を見事見捨てることができるのか、これは見ものだな」

「それでも、それでもお父様はお前らなぞに屈しはしない!」

「これを届けても愛しのお父様は同じことを言えればいいけどな」


 にやにやと笑う禿げの男がいつの間にか麻袋を手にしている。麻袋の底は赤黒い染みが広がっている。

 麻袋の中身がなんであるのか、セフィリナは瞬時に察した。

「それでも! それでも!」

「苦労知らずの貴族様にしては中々頑張るねぇ。まぁ万が一断られたならお前を奴隷商人に売りつけるだけだ。元侯爵令嬢でしかもかなり美人とくれば、奴隷商人は喜んで高値を付けてくれる。俺たちに損はないんだよ。どちらにせよ俺たちがたっぷりと楽しんだ後での話だがな」

「放しなさい! この薄汚い下郎が!……」

「その薄汚い下郎に命を握られている今の気分はどんなもんだ? え? 気高き侯爵ご令嬢様よッ!」

「キャッ!」


 髪の毛を乱暴に掴まれたまさにその時、セフィリナの耳に小鳥のさえずりのような声が滑りこんできた。

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