過去からのメール

ヤタ

過去からのメール

 空飛ぶ電車に乗って、ふたつの駅を越えたさきにある街の路地裏の一角に、その古ぼけた店はあった。

 オンラインショップでのネットショッピングが常識化したこの世界で、めずらしく実店舗で経営していて、ガラケーやスマートフォン、タブレットといった昔の携帯端末――いまは骨董品のようなものを取り扱っている、一部のコレクターのあいだでは有名な店だった。

 じっさい、彼女も店内に足を踏み入れると、すぐにあれこれと物色しはじめていた。


「なにかお探しかい?」


 店の奥に移動して見えなくなった姿を追いかけようとしたところで、声をかけられた。

 ふりかえると、禿げた頭の初老の男性が、杖をついて立っていた。


「いえ、ただの付き添いです」僕はたずねた。「失礼ですか、お店のかたですか?」

「ああ、そうさ。いまはもう使われなくなった、無意味な電子端末を集めてる変わり者の老人さ」


 初老の男性が皮肉げな笑みをうかべ、店内を見回した。そう広くないスペースには、いろいろな形とさまざまな色の携帯端末が、びっしりとならべられている。


「どうして集めようと思ったんですか?」

「たいした理由じゃないが」老人はいった。「こいつらが可哀想に思えてきたんだ。あれほど使われて、一時期はひとり一台があたりまえの時代だったのに、いまじゃあだれも持ってない。それどころか、あの程度の機能しかないんじゃあ不便でしかない、といわれる始末だ」

「いまは、頭のなかで処理できますからね」僕はいった。


 脳の中枢に電子チップを埋め込み、そこからオンライン上でデータがやりとりできる時代に、外部端末を使っての通信は、たしかに不便でしかなかった。

 そんな話をしていると、店の奥から彼女が戻ってきた。その手には、薄くて長方形のかたちをした白色の携帯端末――スマートフォンとよばれるものを持っていた。


「このお店、凄いわ。なんでもそろってる。これだけの骨董品を集めるなんて、きっとここのオーナーはとんでない変わり者ね」声は弾んでいた。その目が僕のとなりに向けられた。「そちらは?」

「このお店のかた」と僕はこたえた。

「とんでもない変わり者のオーナーさ」と老人。

「あ、ごめんなさい」彼女はぺこりと頭を下げた。

「いや、いいよ。たしかにおれは変わり者だからな」にやりと笑ったあと、白色のスマートフォンに目をやった。「お嬢さん、そいつが欲しいのかい?」

「はい。売ってもらえますか?」

「もちろん。ここにあるのはすべて売りもんだからな。それにしてもお嬢さん、あんた目が利くな。そいつは限定販売されたレアもんだぜ」

「だから選んだんです」彼女はいった。「あ、もしかして高かったりします?」

「多少はな」と老人が値段をいった。


 彼女はしばし中空を見上げたあと、うん、それなら払えるな、とつぶやき、財布から、三枚の紙幣を取りだした。


「へえ、こいつはおどろいた」受け取った老人が大きく目を見開いた。「フクザワユキチの一万円札なんざ、子供のころに見たきりだぜ」

「彼女、古いものが好きなんです」と僕。

「いや、いい趣味してるよ、あんた。こいつはおつりだ。とっときな」


 老人がポケットから大きめのコインを取りだして、彼女の手のひらにのせた。桐が彫刻されたそれを見て、彼女は声をあげた。


「もしかしてこれ、五百円硬貨ですか。わたし、初めて見ました。ありがとうございます」声は弾んでいた。


 老人がおかしそうに笑う。


「そんなものをもらって喜ぶなんて、お嬢さん、あんたもそうとうな変わり者だな。ま、いいか。とりあえず、まいどあり。大切に使ってくれよ」

「もちろん」彼女は満面の笑顔でうなずいた。「ありがとうございました」


 僕らは店を出た。空は快晴で、だが汗が噴きだしてくるほどの暑さではない。真夏のこの時期、熱中症防止のため、天候を操作する機械で温度を調節しているのだ。


「これからどうする?」僕はたずねた。

「電車、何時からだっけ」

「いま、調べてみるよ」


 彼女からの問いかけのあと、僕は頭のなかで時刻表のアプリを展開して、予約時刻を確認した。混雑防止のため、普通電車でさえ予約制なのだ。

 ふたりの頭上を空飛ぶ車が通りすぎていったあと、僕はこたえた。


「あと三十分あるね」

「それなら、どこかで休んでいきましょう」あたりを見渡した彼女が前方を指差した。「そこに喫茶店があるわ。あそこにはいりましょう」

 僕はいった。「きみは、そのスマートフォンをいじりたいだけだろ?」

「うん」と彼女。そこには、新しいおもちゃを買ってもらった子供のような笑顔があった。


 喫茶店にはいり、窓側のテーブル席につくと、すぐにウエイトレスがやってきた。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」


 僕らの目の前で、ウエイトレスがなにもない空間にメニュー表を展開した。高度なホログラム技術と光学設計から生まれたこの空中ディスプレイは、いまや世界中の主流となり、紙媒体は隅のほうへと追いやられていた。


「えっと、アイスコーヒーで」彼女はこたえた。

「僕もおなじものを」

「かしこまりました」


 空中ディスプレイを消去したウエイトレスが優雅に一礼して去っていったあと、彼女はすぐに白いスマートフォンを取りだした。まるで、クリスマスの次の日の朝、靴下のなかのプレゼントをあける子供のように。


「あ、充電がきれそう」


 スイッチを押して、タッチパネルを指でスライドさせてロックを解除した彼女が、画面を見て、声をあげた。


「あのオーナー、充電してなかったな」

「まあ、あれだけの端末があったからね。ひとつだけ、充電を忘れたものがあってもしょうがないよ」

「つまり、そのひとつに当たったラッキーなスマホなわけだ」


 すべてを前向きにとらえるのは、彼女の長所のひとつだった。

 スマートフォンの電源をおとしてから、彼女は、自分の左右の鎖骨の真ん中にあるくぼみを指でひっかいて、そこにあるカバーをはずし、なかから白いコードを引っ張りだして、スマートフォンと接続した。われわれの体内には、緊急充電用の有線ケーブルが備えられているのだ。

 人間が、ヒューマノイド、と呼ばれるようになってから百年が過ぎた。

 すべての生物におとずれる老化という現象を克服したのは、人類の叡知の賜物だった。皮膚は特殊シリコンに、筋肉は合成樹脂に、骨はチタン合金に。心臓をはじめとする臓器には、細胞工学と遺伝子工学によって開発されたバイオマテリアルによる人工臓器によって、半永久的に機能するように。さらに、脳の記憶を司る海馬に極小の高性能チップを埋め込むことで、脳の劣化に関係なく、つねに記憶を記録として保存するとこができ、いつでも閲覧することが可能となった。

 まるで、アンドロイドのようだ、というテレビのコメンテーターの言葉によって、当時のネット上で、ヒューマンとアンドロイドの造語、ヒューマノイドが誕生し、いつしか、それがわれわれ人類の新しい名称となっていたのだ。

 アイスコーヒーが運ばれてきた。


「ごゆっくり」と一礼したウエイトレスが去ったあと、僕はストローに口をつけた。


 苦い味が口のなかに広がった。味覚に合わないものを感じるのはひさしぶりのことだった。味による個人差をなくすため、レストランやカフェといった飲食店では、まずはじめに生体情報を確認してから、その個人に合った味付けの料理が提供されるのだ。機械のシェフによって。

 すべての情報が徹底的に管理されたこの世界では、犯罪はなくなり、戦争もなくなり、すべてが平和になった。窓の外を見ても、人々はきめられたレールの上を歩くように、ぶつかることなく進んでいる。GPSからリアルタイムで送信されてくる位置情報のもと、それぞれが最適なルートを移動しているのだ。

 コーヒーに口をつけた。

 こんなふうに合わない飲み物を口にするのはいついらいだろうか。頭のなかの思い出というフォルダから記憶にアクセスすると、三件、見つかった。すべて彼女と一緒のときだ。そういえば、彼女との付き合いも長くなる。ふたりの外見は二十歳ほどだが、おととし、金婚式を迎えたばかりなのだ。

 そんなふうに記録をながめていると、前方から小さな声があがった。


「どうしたの?」僕はたずねた。

「ほら、見て。メールがひとつ残ってる」


 彼女がスマートフォンのディスプレイをこちらに向けてきた。乱雑にならべられたたくさんのアプリのアイコンのなか、メールのアイコンの右上に小さく、1、とある。


「消去し忘れたのかな」

「ねえ、開いてみてもいい?」

「ウイルスチェックはした?」

「もちろん」うなずいて、彼女はスマートフォンを指で操作しはじめた。


 タッチパネルの上を白い指がなめらかに移動したあと、ディスプレイを軽く叩く。


「差出人はAldo・・・・・・、あ、これ、メールアドレスか。タイトルはなし」彼女はいった。「このメールを読んでいるということは、おそらくきっと、世界は管理されて、争いはなくなり、平和な時代になっているのだろう。そのなかで生活しているきみに、あるいはきみたちに、この言葉を贈りたい。ようこそ、すばらしき新世界へ!」

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