初恋は猫とともに

古新野 ま~ち

第1話 キモい男、山田肇

 山田肇やまだはじめのトラウマのひとつが「女子」である。現在の彼は大学生で恋人もいるため目の前の人物は男女問わず対等な人間であるという意識を持つようにしているが、高校生だった頃、女が何か言おうものなら体内に毒ガスが充満したかのように息苦しくなり腹が立っていた。


 彼が自分を省みたときに、その苦痛の由来は、藤倉仁菜ふじくらになであることが明瞭だった。


 藤倉は親しい友人にはジーンと呼ばれていた。あだ名があるくらいには、周囲と打ち解けていた。気さくで男女の区別なく接し、上級生の恋人がいて、順風なスクールライフ。


 一方の山田は向かい風に揉まれていた。その原因は四つある。


 第一に馬鹿だった。「つ」と「っ」の使い分け方が曖昧だった。英語の時間、「Do you know」を「どうゆーの」と発音してしまった。他にも挙げればキリが無いため紙幅の都合で割愛するが、笑われ者だったのである。


 第二に、肥満デブだった。ただの肥満と思うなかれ、医者に食事制限を言い渡されるほどである。ゆえに運動が苦手であり、彼が走れば、跳べば、踊れば、嘲笑する者が必ずいた。


 第三に、長躯ノッポすぎたことだった。背の順で1つ前のクラスメイトの頭は鎖骨あたりにある。身の回りの机やロッカーが低いため猫背になる。肥満デブ長躯ノッポ、他の生徒より十分な質量で存在感だけはあった。しかし親近感はなかった。


 第四に、彼は転校生であった。地元の小学校で出来た人間関係のなかに突如として現れた。「怪物」と陰で言われていたことを後に知った。


 山田肇にとって藤倉はトラウマであるわけだが、そうなる前は正反対であり、藤倉仁菜の溌剌とした様に心を奪われていた。


 遠回りの通学路を選んで藤倉の家の辺りを歩くようにしていたほどだった。「怪物」のあだ名に違わぬストーキングをし始めても、クラスで顔を合わせることすらない。はなしかけるきっかけもない。


 彼の通学路の風景は、前方に藤倉が歩いている。ショートカットの髪が風になびいている。右肩にかけた学校指定の鞄の底がスカートにあたっている。そこからのびる足は程好い肉付きで、歩くたびに揺れていた。


 彼は、ふくらはぎの揺れを見るためにこの道を通っていると言っても過言ではなかった。


 ある日、いつものように前方の彼女を見つめていた。カモフラージュ程度に英単語帳を手にしていたように彼は記憶している。


 いきなり藤倉が振り向いたのだ。突然のことに、山田は息が詰まる思いだった。

 すぐに英単語帳に目を落とした。

 恐る恐る顔を上げると、彼女の姿がなかった。見回しても、同じ制服の中学生はたくさんいるが、その中に藤倉仁菜の姿はなかった。


 走って逃げたのかなと山田は考えた。間違いない。僕がキモいから逃げたんだ、と心臓を握りつぶされたかのごとき苦しさにとらわれた。

 ふらつき歩いていると、背後から猫の鳴き声がした。

 振り返ると、藤倉が三毛猫を抱えていた。

 彼女は三毛猫を抱えて、通学路を逆走していった。



 ――あれは藤倉の飼ってる猫が逃げたに違いない。逃げた猫を偶然見つけ、捕まえて、一度帰宅したんだ。良かった、僕がキモいから逃げたんじゃなかった。

 山田は言い聞かせるように、心中で呟いた。足どり軽く教室についた。

 藤倉仁菜は数分遅刻をした。彼女は「少し寝坊しました」と言っていた。

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