第470話 男しかいない世界


「倉石さん、どうしてここに?」


 その問いは無視して、倉石さんは白金に声をかける。


「ガッネー。かなり酷いわね、この状況」

「なに、イッシー……。笑いにでも来たの?」

「違うわ。うちのBL編集部へ琢人くんを連れて行きたいだんけど、いいかしら? ほら、一応あなたが担当でしょ?」


 どうやら倉石さんは、俺を引き抜きたいようだ。

 白金から、その許可を得たいのか?


「DOセンセイを連れて行きたいならどうぞ、ご自由に。うちではセンセイのこと面倒きれないし」

 酷い言われようだ。

 あんなに長い間、仕事をやってきた仲なのに。


「そう。なら琢人くんは今からフリーなのね? 後で返して、なんて言わないでよ」

 倉石さんの忠告に、白金は鼻で笑う。

「ふっ、言わないわよ。私だって……こんな終わり方、望んでないもの」

 僅かだが、白金の瞳に涙が浮かぶ。


 これには俺も黙って、見ていられなかった。

 もう一度、白金の前に立ち、深々と頭を下げる。


「白金、今までありがとう! お前のおかげで……俺はミハイルと出会えたし、愛し合う喜びを知った。ちゃんと完結できなくて、すまん!」


 しばらく沈黙が続く。

 恐る恐る、頭を上げてみると……。

 鬼のような形相で睨む白金がいた。


「な~にが、愛し合う喜びを知ったですって! のろけやがって! ガキのくせして結婚とか、ふざけたこと言うんじゃないですよ! DOセンセイのアホっ! クソウンコ作家! お前の母ちゃん、腐女子!」

「こんのっ……」


 最後までガキだな、白金は。

 でも、こんなことを平気で言い合えるお前だから……俺は信じてみようと。


「さっさと出てけ! 給料泥棒っ! 早くミハイルくんにお尻を掘られちゃえ!」


 と思っていたが、そこまで言われる義理はない。

 むしろ激しい苛立ちを覚えている。


「ふざけろ、ロリババア! 俺は攻めだ、バカっ! お前は職無しになるから、今度こそ合法的にロリピンクな店で働けるな!」

「なんですって! ウンコ作家のくせして!」


 結局、最後までケンカ別れになってしまった。


  ※


 その後、呆れた倉石さんに首根っこを掴まれて、強引にエレベーターへと放り込まれる。

 BL編集部は、すぐ上の階だ。


 チンという音と共に、ドアが開くと。

 そこには真っ赤なバラが、部屋中に飾られていた。

 各デスクの上に花瓶が置かれていて、色は白で統一されている。


 入口には、大きな垂れ幕を掲げており。

『祝! 琢人くん、ミハイルくん婚約おめでとう!』

 と書いてあった。


 俺が編集部へ足を踏み入れたと同時に、拍手喝采が巻き起こる。

 全員、大人しそうな女性。

 黒髪に眼鏡の人が多く感じる。


 しかしその瞳は、獲物を狙う狩人のような鋭い目つきだ。

 頬を紅潮させ、興奮気味に手を強く叩いている。


「ご婚約おめでとうございます! 琢人さん!」

「本当にいたんですね、マジもん作家がっ……」

「早くインタビューさせて下さい! 編集長!」


 みんな鼻息を荒くして、俺を囲み始める。

 まるで盛りのついた猫だ。

 怖すぎっ!


 しかし、そこは飼い慣らした、編集長の倉石さんが止めに入る。


「ストーップ、みんな! 気持ちはわかるけど、まだダメよ。彼、ちゃんと契約していないし……そのために歓迎会を準備したんじゃない?」


 そう注意された腐女子の皆さんは、しゅんと落ち込む。


「ごめんなさい。あの動画を見たら、早くお二人を絡めたくて……」

「そうですね。ミハイルくんを裸体にしたイラストで我慢ですね」

「今はダウンロードしたキス動画の音を楽しみます」


 どいつこいつも、変態ばかりじゃねーか!

 人の嫁をネタにするな!


 落ち着きを取り戻した社員と作家たちは、自分のデスクに戻る。


「ごめんなさいね、琢人くん。あの動画がバズって以来、うちの編集部では、琢人くんとミハイルくんの話で盛り上がっているのよ」

「はぁ……ところで俺に何の用ですか?」

「それなんだけど、奥の応接室に入ってから話しましょ♪」


 倉石さんに背中を押されながら、編集部の一番奥にある応接室へと連れていかれた。

 分厚い壁で覆われた一室。

 ドアにも鍵がついていて、プライバシーに配慮されている。


 部屋の中に入ると、ガラス製のローテーブルと大きなソファーが二つあった。

 ゲゲゲ文庫とは大違い。

 見るからに豪華で、座り心地も良さそう。


 柔らかいソファーに腰を下ろすと、倉石さんが近くにあったエスプレッソマシンを使い、本格的なコーヒーを淹れてくれた。

 どこから、こんな金が……。


 倉石さんも向い側のソファーに座ったところで、話を始める。


「琢人くん……改めてなんだけど。“気にヤン”は打ち切りになりそうね」

「はい。俺としては、まだ書く気あるんですけど……。白金を含む編集部としては、続刊は難しいそうです」


 自身で作ったカフェラテを、優雅に飲んでみせる倉石さん。


「クリエイターとしては、打ち切りが一番辛いところよね……。琢人くん、ゲゲゲ文庫ではあなたを腫れ物扱いにしているけど。知ってる? あなたはこっち界隈では、英雄視されているのよ」

「は?」

「知らないのね。あの動画で確かにDO・助兵衛や作品の“気にヤン”は炎上した。面白半分で小説やマンガを買う輩もいるようだけど……それはごく少数。本当に数字を動かしたのは、全国の……いや全世界の腐女子たちよ」


 真面目な顔をして、いきなりアホなことを語りだしたので。

 さすがの俺もブチ切れそうになった。


「何を言っているんですか? 自業自得とはいえ、今回の告白動画で……俺は作家として、致命傷を食らったようなもんですっ!」

 思わず前のめりになる俺を見て、倉石さんは静かに手を挙げる。

 

「聞いて。琢人くん、私はあなた達の恋愛を、茶化すつもりは一切ないわ。むしろ力になりたいの。結婚をしたいんでしょ? なら将来に向けて、ちゃんとしたお金が必要でしょ?」

「うう、それはそうです……」


 そう答えると、倉石さんは目を光らせてニヤリと笑う。


「琢人くん~ BLはマジで儲かるのよぉ~ ラノベなんかとは段違い。しかも今回の騒動で腐女子たちは、あなた達に注目しているわ。そういう目で読みたくて、“気にヤン”がバカ売れしているの。品薄で争奪戦らしいわ」

「え? ウソでしょ?」

「本当よっ! だからこのまま、あの作品を打ち切りにするのは、勿体ないと思うの! だから、うちの編集部で再デビューしない? 琢人くん」


 俺は長年、自分の育ってきた環境を忌み嫌っていた。

 BLまみれの家も、店も全部。俺の妨げでしかない。

 母さんも、ばーちゃんからも……逃げたくて必死だった。

 その俺が……BL作家になるだと?

 笑わせるぜ。


 ソファーから立ち上がり、断ろうとした瞬間。

 何を思ったのか倉石さんが、電卓を取り出す。


「うちに所属しているマンガ家さんの年収がね……まだ一年経ってないけど、えっと約3千万円ぐらいかしら?」

 それを聞いた、俺は即答する。

「やります! なんでも書きます!」

「本当~? 良かったぁ、じゃあまず“気にヤン”は改題しましょう。そして大幅なテコ入れ。男性しかいない世界に変えて欲しいの♪」

「え……何でですか?」


 俺の問いに、倉石さんは背筋が凍るような冷たい声で答える。


「当たり前でしょ? どこのBL作品に女が出しゃばるのよ、私も“気にヤン”を実際に読んだけど……サブヒロインが超ウザいわ。殺意しか湧かないわね」

 こんな怖い倉石さん、初めてだ。

「……でも、現実に起きたことを基に書いたので」

「仕方ないわねぇ。じゃあサブヒロインを全員、男に性転換しましょう。それなら良いわよ♪ 女という邪魔な生き物がいない世界♪」

「う、ウソでしょ……」

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