第350話 男の娘裁判


 ミハイルの誤解は解けたが……。

 まだ彼の状態が良くなったわけではなく。

 真っすぐに立てないで、フラフラとしていた。


 だから、俺が部屋に戻ってベッドで横になるよう促した。

 さすがのミハイルも素直に従ってくれたが。


 部屋の扉を閉める際、優しく微笑んで。

「来てくれて、ありがと☆」

 と頬を赤らめた。


 なんだか、先ほどの“事故”を思い出してしまう。

 あの小さな可愛らしい唇に、触れてしまったのか……。

 自然と右手が自身の唇へと上がり、指先で感触を確かめる。


 思い出しただけでも、頬が熱くなる。

 身体中が燃え上がるように、体温が急上昇。


「ち、違う……俺はノンケだ……」


 と自分自身を言い聞かせるように、呟くと。


「何の気だって?」


 背後から甲高い女性の声が聞こえてきた。

 振り返ると、コックコートを着た仕事上がりのヴィクトリアが立っていた。


「ぎゃあああ!」


 思わず叫んでしまう。

 まるで、幽霊を見たかのように。

 当然、ヴィッキーちゃんは、鬼のように怒り出す。


「や、やかましい! ここはあたいの家だ! なに泥棒を見た住人みたいな顔してやがんだ!」

「すみません……」

 

 冷静さを取り戻そうと、呼吸を整える。

 しかし、未だに心臓の音はうるさく、頬も熱い。


 俺の異常に気がついたのか、ヴィッキーちゃんが顔をしかめる。


「坊主? お前もミーシャの風邪でも貰ったのか? 物凄く顔が赤いぞ」

「いえ……俺のは、違います……」

「ふぅん。ま、いいや。あたいは今からシャワー浴びるからさ。あがったら、酒に付き合え」

「え?」

「逃げるなよ。話があるんだ」

「は、はい……」


  ※


 大きなローテーブルの上に置かれたのは、グツグツと音をあげる鍋。

 博多名物、もつ鍋だ。

 以前も、この家へ遊びに来た時。これを御馳走になったが。

 毎晩、こんな濃ゆいものばかり食べているのか?


 ミハイルはまだ自室で寝込んでいる。

 頭痛が酷いようで、時折、壁越しに唸り声が聞こえてきた。


 ヴィッキーちゃんは、11月も近いと言うのに「風呂上がりだからな」とタンクトップにショーパン姿だ。

 タンクトップの紐はゆるゆるだから、ブラジャーが丸見え。

 弟が風邪を引いたのに、防御力ゼロ。

 さすがは元伝説のヤンキーか。



 もつ鍋を取り皿によせて、晩酌を始めるヴィッキーちゃん。

「ほれ。お前も食え」

 なんて言いながら、ストロング缶をがぶ飲みする。

 次の瞬間には、新しい缶を開けるエグい飲み方。

 お茶ですか?


 俺はあまり食べたくなかったので、出してもらったブラックコーヒーをゆっくり口にする。

「あの……話ってなんですか?」

 そう問いかけると、ヴィッキーちゃんの箸が止まる。

「話か。なぁ……あたい、前にも言ったよな? ミーシャの無断外泊はダメだって」

 ドスの聞いた声で俺を睨みつける。

 やべっ。そうだった。

 前もアンナモードで外泊させた時に、偉く怒ってたもんな。

 これは謝罪しておかないと……。


「あ、はい……すみません」

「ほう。素直に認めるんだな。まあミーシャも年頃だから、色々とあるんだろうな。だろ? 坊主」

 ギロッと睨みをきかせる。

 俺は背筋をビシッと正して「はいっ!」と答えた。


「まあな。ミーシャも坊主と出会って、何か色々と変化があるんだろうな。よく笑うし、よく泣くしな……」

 犯人はお前だろ? みたいな顔でじーっと見つめてくる。

「そ、その……この前のことでしたら……」

 なんか良い言い訳が思いつかない。

 ヴィッキーちゃんは深いため息をついたあと、こう言った。


「なあ、坊主。お前、女物の……ブラジャーとかパンツに興味あるか?」

「へ?」

 思わずアホな声が出る。

 そりゃ、興味はあります……とは答えられない。


「ちょっと待ってろ」

 ヴィッキーちゃんは自分の部屋に入ると、何かを持ってきた。

 可愛らしいフリルがふんだんに使われたピンクのブラジャーとパンティー。

 見覚えがある。

 は! これ、アンナが着ているやつだ!

「……」

 テーブルの上に載せられた下着を見て、固まる俺。

「あたいは男じゃないから、分からんが……。思春期の奴はこういうのを欲しがるもんなのか?」

「そ、それは……」

 まずい。姉のヴィッキーちゃんに女装を知られてしまえば、今後の取材に支障をきたしてしまう。

 どうにか、この場を乗り越えないと……。

 考えろ! 集中するんだ。仮にも作家だろ、俺は。

 作るんだ、今こそ。この場で、フィクションを!


 

 深呼吸した後、俺はこう語り出した。

「めっちゃ欲しいですね。かく言う俺も女性の下着を保有しております。真空パックに保存し、ハァハァするために男の子は、必要なんです」

 すまん、ミハイル。

 これしか、思いつかなかった。

 真実を聞いたヴィッキーちゃんは目を見開き、絶句する。

「な、なんだと……」

 驚く彼女を良いことにたたみかける。

「いいですか。ミハイルも15才なんですよ。これぐらいの性癖を持っていても、正常です。それに彼は前も言ったように、“大きなお人形”で夜な夜な遊んでいたでしょ?」

「ま、まさか……」

「そうです。ドールちゃんに着せて、楽しんでいる可能性があります」

「えぇ……」

 涙目でうろたえる姉。

 だが、俺は断固として、このフィクションで押し通す。


「これ以上、ミハイルの性癖をむやみに詮索しないほうが良いと思います」

「そ、そうなのか? あたいは女だから、よくわかんなくて……」

 この人。弟のことになると、偉く弱気だな。

 よし、じゃあ最後に脅しを入れておくか。


「あんまりご家族にやられると、ミハイルはグレて家出しますよ!」

「そ、そんなぁ……わかった。もうしないよぉ……」

 肩を丸めて、俯くヴィクトリア。

 勝ったな。


「ははは。年頃の男なら、ブラジャーとパンティーで、スゥハァするのは普通ですよ! 普通です!」

 笑ってごまかせ。


 こうして、ミハイルとアンナの秘密は守られたのであった。

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