第109話 煩悩の世界

「ええ、あと3分後にを開場しまーす」

 メガホンを持った若い男性スタッフが、大きな声で叫ぶと歓声がわく。


「ヒャッハー! ショタ狩りじゃあ!」

「ヒョォォォ! 今期の薄い本はたまらねぇぜ」

「てめーら、他の組の奴らに取られるんじゃねーぞ! タマ獲る覚悟で行けや!」

 注意:全員女性の方です。



「な、なにが始まるんだ? タクト……」

 ヤンキーでもこの狂乱を見れば、後退りしてしまうのだな。

「ふむ、これは彼女たちの戦争だからな」

 間違いではない。

「戦うの? 激しいアトラクションなんだな……」

 顔面真っ青で辺りの女性陣にドン引きするミハイル。


「フッフフ……ハッハハハハ! 時は来た!」

 股を広げて、両手を宙にかかげる北神 ほのか。

「おめぇら、死ぬんじゃねーぞ」

 眼鏡をかけなおし、ドヤ顔で拳をつくる。

 どうぞ、あなただけで死んできてください。


 アナウンスがかかる。

『ただいまより、第41回めんたいコミケを開始します。どうか慌てずに入場してくださ……』


 だが、そんな注意を気にするハンターは誰もいない。


「グオオオオオ!」

「ガルルルルル!」

「ワンワンワン!」

 注意:人間です。


 北神 ほのかも例外ではない。

「キシャアアアア!」

 ビーストモードに変身されたようです。


「タクト、怖いよ。周りの女の子たち、病気なの?」

 永遠に治らない不治の病なので、そっとしてあげておいてください。

 彼女たちには認知療法も有効ではないのです。

 今、現在症状を緩和したり、ワクチンなどないに等しいのです。


「まあ俺にしがみついとけ。ここは修羅場と化す」

「え……」

 絶句するミハイル。

「辺りをよく見てみろ。彼ら彼女たちは普段は大人しいが、一たび同人界に現れると皆バケモノと化す。そう、ここは戦場なのだよ。オタクにとってな」

 俺に言われてミハイルは周りの紳士や淑女を眺める。

 皆、目が血走り、息が荒い。

 手負いの獣のように。


「なんか怖い……みんな病院行かなくてもいいの?」

 俺の左腕にしがみつき、身体をブルブル震わせる。

「もう手遅れさ。ここが奴らにとっての一番の治療方法だ」


 前列から奇声と共に、人波がドバァッと流れ出す。

 もちろん俺たちが前に進もうとするが、その前に後列の人たちが無理やり押し出す。


「止まってんじゃねーぞ! ゴラァ!」

「早く行けよ、バカヤロー!」

「チンタラしてんじゃねー、ぶち殺すぞ!」

 注意:全員女性です。


「ご、ごめんなさい……」

 謝る伝説のヤンキー『金色のミハイル』

「ミハイル、謝るぐらい暇があったら早く進め。それがここのマナーだ」

「う、うん」

 健気にも俺の指示に従うミハイル。

 そうだ、ミハイルは俺が守る。

 命に代えても。


「どけどけ! ワシの邪魔する奴は許さんのじゃあ!」

 白目をむきながら、口から泡を吹きだす北神 ほのか。

 新種の危険ドラッグでも使用されてません?


    ※


 会場内に入るとあっという間にオタクや腐女子たちがドーム内の各ブースに散らばる。

 お目当てのサークルや人気アニメコーナーに走り出す。

 全員、手には複数の野口英世を手に握りしめている。


 北神 ほのかも俺たちを残して、一人で勝手に狩りをはじめだした。

 

 博多ドーム、本来は野球を主に利用される施設だ。

 だから球場の中は客とサークルで埋め尽くされているが、観客席は誰もいない。

 この混乱の戦場に初心者のミハイルを連れていくのは至難の業だ。

 少しほとぼりが冷めるまで待とう。


「なあミハイル、お前買うものか決めているのか?」

「え? 今日は遊園地で遊ぶんでしょ」

 まだ騙されていたのか。

「いいか、このアトラクションは健全なものではない。よって幼い子供が気軽に近づいてところじゃないんだ」

 言うて俺も赤ん坊の頃からおんぶされて来ていたんだけどね。


「そうなの? 危険なの?」

「当たり前だ、ちゃんと資格を持った人だけが許される。甲乙丙こうおつへい、全ての危険物を取り扱いできる人だけだ」

「そっかぁ……すごいんだな、コミケの人たちって!」

 いや感動しちゃダメでしょ。

「まあとりあえず、買うものは決まっているわけでもあるまい。しばらく俺たちは観客席で休もう」

「やったぁ! オレ、博多ドームに来たの初めてなんだ☆」

 ヤダ、泣けてきたわ……こんなところに純情な少年を連れてきてしまった自分が愚かであることに。


 俺たちはオタクや腐女子たちとは逆行して、観客席の方へ進む。

 その際、近くにいたスタッフから今日の参加サークルやイベントが記されたマップやスケジュールをもらった。

 今日は野球もライブもない。内野席も取り放題だ。 

 誰もいない席に二人して仲良く座る。



「なあ、なんであの人たちってあんなに必死なの? なにを買っているの?」

 ナニかを買っているんだよ。言わせるなよ、恥ずかしい。

「ミハイルは知らなくていいと思うぞ。ま、しばらくすれば人は減る」

 俺はあほらしいとドームの上を見上げた。

 博多ドームは開閉式の屋根だ。だが、普段は閉まっている。

 天候がいい時や地元の球団『南海なんかいホークス』が勝利したときは青空やたくさんの星が拝めるのだが。

 コミケの時はどこか空気がどんよりしている。

 というかむさ苦しい。


「タクト、さっきのマップ見せて☆」

「おお、ほれ」

 ミハイルは目をキラキラ輝かせて、マップを見る。

「うーん、ギャルパン? 俺ギャイル? キメセク? なんのことだろう……」

 作品自体は興味を持っていいが、ここのは二次なんで聞かないであげておいてください。


「あっ、見て見て、タクト!」

「どうした?」

「これ、オレの大好きな『ボリキュア』がある!」

 ミハイルが指差したマップの中には確かにその名があった。

「ああ、それな……」

 どう説明したもんか。


「抱き枕が売っているんだって☆」

 急にテンションあがったな。

 だが、お前の知っているボリキュアではないと思う。

「ミハイル、あんまり期待するな……公式が売っているわけではないんだよ」

 というかお前、抱き枕で寝たいの? ガチオタじゃん。

「そうなの? ボリキュアストアが出展してるんじゃないの?」

 首をかしげるミハイル。

「公式が出展できるわけないだろ。社内問題だし著作権侵害だよ」

「ふーん、じゃあファンの人が好きで作ってんの?」

「そう言うことだ。ここは無法地帯、一歩でも足を踏み外してみろ、作品にトラウマができちゃうぞ」

 ソースは俺。

 というか、かーちゃん。


「よくわかんないな。でも、ボリキュアなら見てみたい!」

 ヤバい、連れてくるんじゃなかった……。

「ま、まあいいんじゃないか? 実際の商品が見本として飾られていると思うからあとで行ってみるか」

「うん、いこいこ☆」

 しーらないっと。



 ミハイルの熱意に負けてしまい、俺たちはボリキュアのブースに行くことにした。

 マップに載っていたサークルを見つけると、既に長蛇の列。


「すごいな! さすがボリキュアだよ、タクト☆」

 いや、真のボリキュアファンなら公式で買えよ。

 ミハイルは何も知らず、紳士たちの後ろに並ぶ。


 俺はしれっと前の方に飾ってあった抱き枕を覗いてみる。

 やはり不安が的中した。


 ボリキュアのラブリーな戦士たちがぐっしょぐっしょに濡れており、衣装が破れていた。

 18禁か……ミハイルにはハードルが高すぎる。


 どうしたものか、俺が頭を抱えて悩んでいるその時だった。


「すいませーん。ただいまで売り切れになりました! ありがとうございます! ネットでも販売してますので!」

 良かったぁ、なくなって。


「ええ! 売り切れちゃったよぉ、タクトぉ」

 唇をとんがらせるミハイル。

「そう落ち込むな、今度ボリキュアストアに連れてってやるから」

「ホント!? なら許す☆」

 許されてよかった……。


 在庫がなくなったことを知って、ため息や舌打ちをする紳士たち。

 皆、肩を落として散らばる。

 その中に見慣れた姿が……。


「あ、トマトさん」

 そう俺の小説のイラストを担当している絵師、トマトさん(25歳、童貞)

「げっ! DO先生! なんでこんなところに!?」

 こういう時なんて答えを返したら良いのでしょうか。

「ボリキュア、好きだったんすね……」

 汚物を見るように見下す。

「こ、これはイラストの勉強のためにですね…」

 抱き枕で?

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