第32話 二つのコーヒー


 スマホのアラームで目が覚める。


 瞼を開いた瞬間、俺の目の前にはブロンドの少女が一人……と思いたかったが。

 古賀 ミハイルだ。

 寝息をすぅすぅと立てて、枕元にいる。

 

 元々、シングル用のベッドだ。

 もう少しで唇と唇が重なりそう。

 それぐらい俺に安心しきっている。信頼の証とも言える。

 こいつが本当に女だったら、俺は今頃……。


「あっ、おはよ☆」

「お、おはよう……」


 目と目が合う。

 やましい気持ちがあっただけに、気まずい思いが宙を舞う。

 だが、それよりも『この時間』に浸っていたい。

 俺は息を呑んだ。

 このまま、こいつの唇に触れたら、きっと。


「タクト? 大丈夫か……仕事遅れるよ?」

「あっ! そうだった!」

 ミハイルの言葉がなかったら俺は陽が昇るまで、彼を見つめていたかもしれない。

「すまん、ミハイル。悪いが行ってくる!」


 俺の言葉にミハイルは腰をあげた。

 下におりるので、どいてくれたにすぎないが。


 かなでを起さないように、静かに二段ベッドからおりる。

 タンスで簡単に着替えをすます。

 腕時計と自転車の鍵を手に取り、階段をおりていく。


 一階は当然、閉店している美容室なので、裏口から外へと出る。

 家の壁際に立てかけている自転車のサドルに腰をかけると、誰かが俺を呼びとめた。


「タクト……」


 振り返れば、ルームウェア姿のミハイル。

 春とはいえ、午前3時だ。冷えるだろうに。(ショーパンなだけに)


「どうした?」

「あの……い、いってらっしゃい!」

「お、おう……。いってきます」


 ペダルをこぎ出すと、別れ際のミハイルの顔を思い出す。

 彼は微笑んではいたが、寂しげな表情だった……。

 なぜだ?

 そして、俺自身は早く仕事を片づけて、自宅に帰りたいという欲求にかられる。



 いつもより早く『毎々まいまい新聞』真島まじま店に着く。

 このことから焦りを感じる。

 店長が驚いた顔をしていた。


「どうしたんだい? 琢人くん……元気ないの?」

「え? 俺がですか?」

「うん。なんか大事なものでも落としたような顔しているよ? いつもの、ひねくれた顔じゃないな」

「大事なもの……」


 脳裏に浮かんだのはミハイルの顔。


「ち、違いますよ!」

「そんな、怒らなくても……ひょっとして好きな子でもできた?」


 微笑む店長。

 この人は小学校のときから俺を知っている。

 六弦ろくげんとかいう父親よりも、接している時間が長い。

 そのため、母さん以上に俺の心情を見分けるのがうまい……というか鋭い人だ。


「好きな子なんて……いるわけ……」

 言葉に詰まる。

「その顔、図星みたいだね。曲がったことが大嫌いな琢人くんを射止めた子。僕もあってみたいな」

 会わせられるか!

 相手は男ぞ?

 店長、ドン引きでしょうが、絶対!


「僕は応援しているよ、琢人くんの恋」

 なにそれ? なんか前もそんなプレッシャーかけられなかった?

「ま、まあいってきます……」

「気をつけてね!」


 バイクに乗ってから、記憶が飛んでいた。

 ミハイルのことばかり考え、正直どの家に配達したかも、ろくに覚えていなかった。

 気がつけば、自転車に乗って帰路につく。



 いつもより急いで帰っていた。

 帰り道、コンビニで暖かいコーヒーを2つ買う。

 1つはブラックの無糖。

 だが、残りはミルクたっぷりの甘いカフェオレだ。


 それらを買いそろえると、自宅に急ぐ。

 真島商店街の門構えが見えたころ、人影を感じた。

 一人の少年がこちらを向いて、立っている。



「ま、まさか……」

「おかえり☆」


 ミハイルは身体をブルブルと振るわせて、腕を組んでいる。

 その姿を見るなり、俺は自転車から腰を下ろした。

 手で自転車を押しながら、ミハイルとの距離をつめる。


「ミハイル……ずっとそこで待っていたのか!?」

「うん☆ 商店街見てたりした」


「バカ野郎!」

 思わず、自転車を道端に投げ捨てた。

 ガシャンという音が静かな商店街に響き渡り、ミハイルはビクッとする。


「タクト……?」

「夜中は変なヤツがいっぱいうろついているんだ! 危ないだろが!」

 俺は興奮気味に叫んでいた。

 怒鳴っているという表現のほうがあっている。


「ミハイル……お前みたいな……カワイイ子がいたら」

「カ、カ、カワイイ?」

 いいかけて気がついた。

 あ、男の子のだから心配ないか!

 俺は一体なにを危惧していたんだ?


「すまん……忘れてくれ」

「う、ううん。オレこそごめん……」

 ミハイルは顔を赤くしている。

 寒いのだろうか? いや、そんな表情には感じない。


「なあ、冷えただろ? 飲むか?」

 カフェオレを差し出す。

「あっ☆ これって、オレが大好きなやつなんだ☆ ありがと、タクト☆」

 その笑顔で、疲れも怒りもすっ飛びました。


「じゃ、乾杯☆」

「コーヒー同士で乾杯か」

「いいじゃん☆」

「まあ……な」


 俺とミハイルはコーヒーを飲みながら、日の出を楽しんだ。

 仕事あがりの一杯てのが、こんなに美味いなんてな……。

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