作家エージェント名古屋支店の事件簿

しまおか

プロローグ

 あの日はとても寒い日だった。手はかじかみ、唇も乾燥してひび割れしていたことを思い出す。

僕達はかつて住んでいた家の前に立った。外観は全く変わっていなかったが、久しぶりに入った部屋の中は整理されていたことを覚えている。おそらく来客があるためだったのだろう。

 思い返せば以前は掃除好きだった母により、いつも綺麗に整頓されていた。しかし妹が生まれてから両親の喧嘩が激しくなるにつれ、雑然としていった。僕が父に連れられ家を出た頃は、まるでゴミ屋敷のようになっていたはずだ。

 弁護士を連れた父が上着を脱いで居間の座布団に二人で座った。大きなテーブルを挟んだその正面に母と先方の弁護士が座る。エアコンの暖房以外に石油ストーブが焚かれていたため、部屋の中は汗ばむほど暑かった。

「お前はあっちへ行ってなさい」

 父に言われて奥の部屋に入ると、しばらく会っていなかった小さな妹がポツンといた。

哲也てつや涼子りょうこと遊んでやって頂戴」

 そう母に声をかけられたが、父がそこで怒鳴った。

「そんなことをする必要はない。そいつはお前の妹なんかじゃないんだ」

「二人とも私が産んだ子供です!」

 母が言い返すのを穏やかに話しましょうと弁護士達が宥めてからは少し静かになった。

 部屋には色んな物が散乱していた。おそらく母が居間のものを、取りあえずここに押し込んだらしい。もう一度怯えるような目で僕を見ていた妹に視線を向けると、彼女の顔や腕や足には多くの痣を見つけた。まだ母は暴行を続けているらしい。

 再度周りを見渡すと、母がいつか購入してきた手錠を二つ見つけた。これを使って涼子を居間のテーブルに括りつけていた母の姿は、まだ脳裏に焼き付いている。あれは母の実家から運んだ大きな木の切り株のような重いもので、和風の居間にマッチしていた。母のお気に入りだったこともあり、両親は結婚当初から使っていたようだ。そこに座って家族三人で食事をしていた時は、家族団らんの象徴でもあった。

 しかし妹が生まれてしばらくすると、あのテーブルは彼女を固定する重しの役割へと代わった。脚と台との間に隙間があり、そこへ片方の輪を通すとテーブルか手錠を壊さない限り外すことはできない。

大人でも抜け出すことは不可能だ。ましてや小さな妹にとっては居間が牢獄に思えたとしてもおかしくなかった。

 しばらくすると、居間から再び怒鳴り声が聞こえた。もう嫌だ。母もそうだが妹を置き去りにし、僕だけを連れて家を出た父の事も大嫌いだった。あんな二人は死んでしまえばいい。そう考えた僕は居間へそっと入り、まずは油断していた母親の手に、その後父親の手にも手錠をかけた。もちろん母が涼子にやっていた通り、もう片方の輪は重いテーブルの脚にかけた。

 これで簡単には外せなくなった。鍵は雑多な奥の部屋に投げてしまっている。探すにしても相当な時間がかかるはずだ。

「おい、何するんだ!」

「はずしなさい!」

 両親と弁護士達の言葉を無視し、僕は知りたかったことを母に質問した。その後奥の部屋にいた妹の手を引いて石油ストーブを蹴倒し、無造作に置かれていた衣服をストーブの上に被せてから走って部屋を出たのである。

 背後では大騒ぎになっていたが、僕達は必死に逃げて家の玄関を飛び出した。そして少し離れた場所で寒空の中、妹と抱き合って暖めあった。しばらくすると弁護士達も玄関から飛び出してきた。家の窓から煙と火が見えた。気が付けば、家の周りに多くの人が集まっていた。

やがてサイレンの音が近づき、救急車やパトカーまでやってきた。僕は弁護士達に囲まれたまま家と両親が炎に包まれている様子を眺め、警察に連れていかれるまでずっと妹を抱きしめていた。

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