第40話『飛耳長目③-ヒジチョウモク-』
小金井が宮准教授の部屋の様子を確認すると、宮准教授と
小金井は袋を長机に置くと飲み物やお菓子を並べながら「今、どういう話になっているんですか?」と宮准教授に訊く。すると宮准教授は難しい顔で首を捻る。
「取り敢えずあの人を探さないことにはなあ……。そもそもまだ学内にいるかも不明だが」
そう呟きながら困った顔をする宮准教授。
確かに。鹿嶋美須々が社会学部棟の広場から消えてもう一時間以上経っている。学外に逃げている可能性は充分にある。
顕人もその可能性を考えていると、買ってきた紙パックのフルーツジュースを飲んでいた函南が意外そうな顔で口を開く。
「警備部に
「あー……第一区野外担当の古橋さん」
函南の言葉に、顕人は『函南に気がある』という形容し難い肩書きを押し付けられている警備部の職員のことを思い出す。
宮准教授も古橋さんの存在を知っているのか「あー、古橋なあ」と納得したように頷く。
「取り敢えず行ってみますね、ほら二人共」
函南はそう言うとフルーツジュースを飲みきって紙パックを捨てる。声をかけられた顕人と晴臣は慌てて出る準備を始める。晴臣は「まだ湿ってる……」とぼやきながらパーカーを着る。
函南は「ほら行くよ」と二人を急かしながら先に部屋を出てしまうので、二人も急いで部屋を出ようとする。
顕人が扉を開けると、宮准教授は「西澤、滝田」と声をかける。
二人が振り返ると宮准教授は複雑な表情で二人を見ていた。恐らく鹿嶋美須々の処遇を決めかねている、そういう顔だった。
具体的に、彼女のことを室江に告げるかどうか、そういうことだろう。だけどこれに関しては宮准教授に決定を任せるしかない。
それでも彼が腹を括らないといけない状況になるのだろう。それは宮准教授も理解しているようで「あの人が学内にまだいるようなら連絡くれ」とだけ呟く。
顕人は大きく頷くと、晴臣と共に部屋を出た。
***
第一区の警備部駐在室は図書館の中にある。図書館に入って一階の奥に向かうと、『警備部』の表札が掲げられている。
函南は雑な手付きで扉を三回ほど叩くと中から返事もない内に扉を開ける。
「失礼しまーす」
函南はそう言いながら遠慮なしに警備部に入るので、顕人と晴臣もそれに続く。
警備部の室内は十畳程の広さで、室内には大きなモニターがあり、その前にはデスクが二つと椅子も二つ置かれている。恐らく通常は二人で勤務しているのだろう。だがどういうわけか、今は一人しかいない。
黒い警備服を着た男性が、椅子に深くもたれかかかるように座っていたが、函南が室内に入ってくるとこの世の終わりのような顔をした。
その表情はどう見ても『函南に気がある』という雰囲気ではない。
しかしながら函南は全く気にする様子もなく男性に近づいて「お疲れさまです」と満面の笑みを浮かべる。
「古橋さん、後ろのは後輩。ちょっとお願いがあるんだけど、今日一緒の当番の人はどうしたの?」
函南は男性にそう呟くと、彼は心底面倒臭そうに函南と顕人達を見る。
この人が古橋さんなのか。
年配の警備員が多い気がするが、この人はまだ若く見える。宮准教授と同じくらいだろうか。……いやしかし、宮准教授は実年齢よりも若く見える節があるから、きっと宮准教授より若いのだろうと、顕人は勝手に決め付ける。
それにしても、どう見ても『函南に気がある』は嘘だろうと思う。やっぱり勘違いでは? 顕人はそう結論を出して、函南と古橋のやりとりを傍観する。
「今買い出しに行ってる」
古橋はやはり面倒臭そうに呟くと、煙草を取り出し一本口に咥え、学生がいるにもかかわらず遠慮なく火をつけて煙を燻らせる。
「久しぶりに牛丼食べたいって話になったから駅前に行った。後半時間は戻らないと思うけど……何? お前が来ると大抵俺にとって嫌なことが起こる」
そう言いながら古橋は煙は吐き出す。あからさまに迷惑そうな古橋だが、函南はそれに気がついて無視しているのか、または気が付いていないのか、「半時間! それだけあれば大丈夫だわ!」と嬉しそうに笑う。
気付いてもいてもいなくても酷い話だと顕人は目の前のやりとりに、会って数分の古橋に同情をしはじめる。
「監視カメラの映像見せて欲しいの。学内に不審者がいるの! それを探して」
「はあ? 学内に不審者? 昨日の奴か?」
そう言いながら、テーブルにあるキーボードを操作し出す。
『昨日の奴』とは間違いなく昨晩顕人と晴臣が襲われた件だろう。学内の生徒が不審者に襲われたのだから、当然その連絡は学内の全警備部に伝わっている。
古橋は函南に「何処の何時の映像?」と訊くので、函南は「此処一時間か二時間前の正門周辺」と答える。
面倒臭そうにしていた割に協力的だ。不審者の件があったからか。
二つのモニターはそれぞれ十六分割にされており、恐らく第一区で担当している監視カメラの映像をそれぞれ映しているようだった。古橋は自分が座っている椅子の前にあるモニターの真ん中当たりを指差し「あれが正門のカメラ」と顕人達にわかるように教えてくれる。
それぞれの映像には撮影時間が出ており、古橋は函南に言われた通り二時間前からの映像を再生し早送りで流し出す。
函南と顕人は正門の監視カメラの映像を食い入るように見つめるが、鹿嶋美須々らしき女性は中々映らない。
「通らないわね」
「まだ学内にいるってことでしょうか」
「そういうことなのかな」
函南と顕人がぼやいていると、突然晴臣が古橋の座る椅子の背もたれを叩いて叫ぶ。
「あの画面! 戻せます?!」
そう言いながら、顕人達が見ていたのとは別のモニターの下の方の分割映像を指差す。光源がないせいか全体的に暗い映像で、顕人にはそれが何処のカメラの映像かわからなかった。
「歩道八番だな。ちょっと待って」
警備部の古橋は当然何処のカメラから把握しており、すぐに映像を少し戻してくれる。
「歩道八番って何処?」
函南が訊くと、古橋は「社会学部棟から食堂に向かう歩道」と言いながら再生を開始する。皆、晴臣が指差した分割映像を見つめるが、暗すぎて全くわからない。
だけど晴臣は「今通った!」と言い切る。
その声に函南と古橋と顕人はそれぞれ顔を見合わせてもう一度戻してもう一度再生する。一瞬、影が揺らぐように見えなくもないが、それが鹿嶋美須々であるだなんて到底言い切れない。
「えっ、本当に通った? 私には見えない……」
「俺も」
函南と古橋は目を細めて見るが、二人にはその映像から人の姿が見えない。
顕人も二人と同じだが、木々の暗闇の中から彼女の後ろ姿を追いかけて走る晴臣の姿を見ているせいか、恐らく晴臣には鹿嶋美須々が見えているのだろうと納得する。
函南と古橋は首を傾げていると、その映像に別のものが映り込む。
白い体毛の大きな犬が今しがた鹿嶋美須々が走っていたと思われる道を走っていったのだ。
鹿嶋美須々の姿は見えなくても、僅かな光源でもはっきりと見えるサモエドの姿に皆驚く。
「コバルト総督……!」
函南はモニターにやや食い気味で叫ぶ。
顕人もまさかあのサモエドが映像に映り込むとは思わずただただ驚く。
社会学部棟の広場からいなくなったが、もしかして鹿嶋美須々を追いかけていった、なんてことが起こってるのか? いや、まさか。
「すみません。この歩道に監視カメラあります?」
顕人が古橋に声をかけると、古橋はすぐに「その二つ上」と別の分割映像を指差す。するとその直後サモエドが走り抜ける。
「あの映像、戻せますか?」
「はいよ」
古橋は顕人に言われるまま映像を戻す。この映像も光源が少なく全体的に暗いが、恐らく晴臣に見えるだろう。案の定、晴臣は「通った。奥の道に走っていった」と呟く。
「奥の道? って何処に続いてるんですか?」
「あれは歩道九番だから……ゴミ集積場に続いてる」
古橋の言葉に、顕人は昨日晴臣と一緒にゴミを捨てに行くときに通った道だと思い出す。
ゴミ集積場……何故あんなところに。
顕人は考えるが、函南は納得したように「今日のゴミ回収は終わってるから誰も入ってこないから隠れるにはもってこいね」と呟く。
「でも、今日は『オープンキャンパス』の準備してるからまだ誰か持ってくるんじゃないんですか?」
「今日の最終のゴミ回収は四時半でそれ以降に出たゴミは持って帰るか、明日また出しに行くことになってるの。明日も準備日だから今日は早めに撤収する団体が多いから今日はもう殆ど帰ってるんじゃないかな」
函南はそう言った後で「でも、多分、社会学部棟の広場ではまだ軽トラックの片付けとかしてると思うけど」と乾いた笑いを浮かべる。それを聞きながら、顕人は何となく申し訳ない気持ちになりつつも、『サモエド管理中隊』と『自転車愚連隊』が協力して軽トラックの片付けをし終わった後でどうなったのという興味はある。
あんなに協力的なら、武力抗争に発展しないだろう、普通。
そんなことを考えていると、映像を見ていた晴臣が「あっ、コバルト総督が戻ってきた」と呟く。
その言葉に皆が再び『歩道九番』のカメラ映像を見ると、先程走り抜けていったサモエドがゆっくりとした足取りで奥の道から戻ってきて、歩道の真ん中で止まった。座るでもなくただ四足で立ち尽くしている。
「どうしたのかしら、コバルト総督」
「もしかして誰かが来るの待ってるとか?」
「まさか……」
函南と顕人はそう言いながら画面に視線を戻す。古橋も早送りで進めてくれるが、映像のサモエドは微動だにせずその場にいた。とうとう映像が現在の時間まで進み等倍再生に戻るが、サモエドはまだそこにいた。
「取り敢えずゴミ集積場に行く感じかしら」
函南がそう意気込むと、突然彼女の紺色のツナギのポケットから賑やかなメロディーが流れてくる。慌ててポケットに手を入れてスマートフォンを取り出すと、函南は青い顔をして警備部の部屋を出る。
もしかして『サモエド管理中隊』の仕事をサボっているのがバレたのでは?
顕人はそう思いながら函南を見送ると、これはチャンスだと思いながら古橋に声をかける。
「古橋さんって函南先輩と仲が良い、んですよね?」
思わずそう尋ねると、古橋は顕人達が最初にこの部屋に入った時のような暗い表情に変わる。そして「そう見えるのか?」と重々しく呟く。
ほら見たことか、やっぱり『函南に気がある』は嘘じゃないか。
古橋の表情に、顕人は「函南先輩はそう言ってたんで」と呟くと古橋は深い溜息を漏らす。
これはもう何か弱みを握られている顔だ。一体どんな弱みを握られているのか。
顕人は思わず古橋に同情するが、古橋は「仲が良いとか昔じゃあるまいし……馬鹿じゃないかあいつ」と何処か含みのある言い方をする。
昔? それはまるで函南が大学に入学する以前から付き合いがあるような言い方だと顕人は思うが、それについて訊こうとした瞬間、部屋の扉が乱暴に開けられ函南が悔しそうな顔で戻ってくる。
「うわあ、サボってるのバレたよ! 戻らないと!!」
函南はそれだけ言うと溜息をついて項垂れる。
嘆く函南に顕人と晴臣は「お疲れさまです」と声をかけるが、古橋は好い気味だと言いたげに声を殺して笑う。函南はそれに気がつき「腹立つなあ」とぼやくが、古橋は全く気にする様子もなく新しい煙草に火を灯した。
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