第35話『震天動地⑩-シンテンドウチ-』

 西澤顕人にしざわあきと滝田晴臣たきたはるおみが社会学部棟に向かって走り出した頃、学生自治会『サモエド管理中隊』所属の文学部三年生・函南彰子かんなみしょうこは汗だくになっていた。

 彼女は午後になって暫く明後日の『オープンキャンパス』の準備を設営本部でしていたが、その後はまた放置自転車の撤去に駆り出されていた。

 社会学部棟付近の歩道に放置されている自転車を集めてきて軽トラックの荷台に自転車を並べていくのだが、正直辛い。

 自転車を軽トラックの荷台に上げていくのは相当な力仕事で、既に紺色のツナギが暑くて上の部分を抜いて袖を腰に巻きつけている状態だった。中に来ていたTシャツも既に汗まみれ。本音を言うとこういう仕事は男子生徒にして欲しいが、男子生徒は男子生徒で中央広場のステージ設営を行っているのだ。あちらもかなりの力仕事だ。それならこっちの方がマシなのかと、軽トラックの荷台に揺られながら社会学部棟の方へ来たが、始めるとこっちはこっちで力仕事でへとへとになってしまった。


「後何台ですか?」

 函南は首にかけていたタオルで額の汗を拭う。

 すると自転車を歩道から押して帰ってきた文学部四年の先輩女子が「まだまだあるよ」と陰鬱な表情で呟くので、函南は肩を竦めて溜息をついた。

 始めてから既に数時間が経ち、大凡二十名の学生自治会のメンバーが社会学部棟から工学部棟までの間の歩道に駐輪されている自転車を社会学部棟の方へと集めて来ているが、どうやらまだ終わらないらしい。


 社会学部棟に限らず、どの学部棟でも建物の周囲には開けた場所があり、ベンチや花壇が設けられている。準備をすれば此処でも設営ステージを作ることもでき、学園祭などは各学部棟横に特設ステージを作ってそれぞれイベントを進行したりもするが、今回の『オープンキャンパス』ではそれはせず、確か此処ではフリーマーケットが行われると函南は記憶していた。

 こちらの方まで学内外の人が集まるでの、違法自転車が点在する学内を晒すことができずこんな時間になっても作業を続けているという訳だ。


 フリーマーケットの準備自体は明日かららしいが、他の学生の通行の邪魔になってはいけないという理由から、学生自治会は社会学部棟の敷地の端の方に軽トラックを停めて作業をしていた。

 既に此処まで乗り入れた軽トラック四台の内、三台にはかなり際どい積み方をして自転車がもう乗せらない状態にはなっている。自転車の上に自転車を積み重ね、それを最終的にロープで固定している状態だ。その高さは運転席のルーフキャリアを遥かに超えている。この状態で公道を走ろうものなら、即警察に止められてしまうだろう。学内であるから見て見ぬ振りをされるという状態だ。

 今作業しているメンバーの内、三分の二程が自転車を歩道から運んできて、残りのメンバーが軽トラックに積み込んでいる。


「もうちょっとしたら陽が暮れそうですし、先にライトの準備します?」

「そうねえ。とりあえず今日中にこっちは終わらせなきゃいけないし、あとどれくらいかかるかわかんないし、ライトつけようか。一応電灯あるけど、こっちまで遠いしね」

 そう言いながら、文学部四年の先輩女子が腰を叩く。この広場にも電灯はあるが、どうしても建物に近いところに多く設置されているため、端で作業している学生自治会を照らすには遠い。そのため、予め野外で使える一メートルほどの大きさのスタンドライトを学生課から借りてきていたのだ。コンセントがなくても、電池パックを充電していると六時間程は使える優れもので、LED仕様なのでとても明るい。

 それを軽トラックの近くに設置していると、回収に言っていた生徒達が自転車を押して戻ってくる。

 それに気が付いた積み込み作業をしていた生徒が「どんな感じ?」と訊くと、回収班の一人が肩をすくめた。


「こっちから工学部は粗方片付いたけど、体育館方向はまだ手が着けられてないからなあ。あっちは最悪明日朝一からやるしかないかもしれないな」

 そうぼやくのを聞いて、周囲の生徒の士気が下がる。それを察して慌てて「とりあえず今日のところは此処に集めた自転車積み込んで終了しよう」と付け足すと、学生自治会の生徒達は今日の作業の終わりを感じて最後の頑張りを見せようとする。


 そんなときだった。

 工学部棟へ続く歩道から大凡二十人程の人間が走ってくる。

 彼らは皆、顔の下半分をタオルで隠しヘルメットを被っていた。そして全員ではないが、何人かは白線引きを持っている。

 それを見た函南の脳裏に『自転車愚連隊』が過ぎる。

『自転車愚連隊』は学生自治会『サモエド管理中隊』が自転車を積み込みをしている近くまで来ると、恐らくリーダーを思しき男が高らかに宣言する。


「『サモエド管理中隊』の諸君、執行業務誠にご苦労! しかしながら、一時的に自転車を撤去する行為は無駄であると何故気が付かない! 『オープンキャンパス』で仮初の美しい学内を見せたところで、新入生が入学したら真実を知る羽目になる! それならありのままの学内を見せることが、受験生達の学校選びにより明確な判断基準を設けられるというものではないか! 来年入学して落胆させるよりも、今学内の真実を知ってもらい、それでも入学してくれる猛者を迎えるべきではないか!」

 そんな声が社会学部棟の広場に響く。

 幸い広場にいるのは学生自治会と『自転車愚連隊』のメンバーのみ。他の生徒が物見遊山感覚で見学もしていない。

 彼らの宣言を聞いていた学生自治会のメンバーだったが、今回の作業リーダーだった男子生徒が一歩前に出てこれを迎える。


「そもそも学内での自転車使用は認められていない! 授業に間に合わないと猛スピードで走行する者も後が立たず、歩行者が日々危険に晒されている! 我ら学生自治会『サモエド管理中隊』は学生の安全な生活を守るためにも違法自転車を放置することは絶対にしない! 違法自転車の根絶を目的とするものである! よって来年の新入生が落胆することは有り得ない! 総員、モップ構え! 水源、確保!」

 学生自治会の作業リーダーがそう他のメンバーに告げると、皆、軽トラックに積んでいたモップブラシを構える。何人かは花壇近くに置かれているガーデンホースを掴み、そのそばにある蛇口で開放する。

 すると、『自転車愚連隊』も白線引きを持っていないメンバーは何処から調達したのか透明なライオットシールドと防犯用のさすまたを構える。

 しかしよくよく確認すると、一人だけ、ペンキ塗りなどで使うような柄の長いローラーと白いペンキバケツを持っている者がいた。

 そのペンキバケツの存在に学生自治会のメンバーはどよめく。

 その響めきに『自転車愚連隊』のリーダーは不敵に笑った。


「ふっふっふ。これまで闇雲に白線引きという手段しか取れず、貴君きくん等に遅れを取ったがそれも終わりだ! 今回は最終兵器を出させてもらう! 我々『自転車愚連隊』はそこの駐輪自転車を取り返し! この社会学部棟広場に新たな駐輪場を作ることを此処に宣言する!」

『自転車愚連隊』のリーダーがそう告げると、ローラーを持ったメンバーがペンキバケツの蓋を開けて準備を始める。

 それを見て学生自治会のメンバーは焦りだす。

 まさかこの期に及んでペンキなどという卑怯な手段に出るとは……! あんなものを使われたら、線を消すのにどれだけの労力を費やすか。

 しかし学生自治会の作業リーダーはその響めきを打ち消すように皆を鼓舞する。


「狼狽えるな! ローラーを持っている奴は一人だ! ローラーさえ封じれば白線引きなど水で押し流せば良い! 総員準備は良いか!」

 その言葉に両メンバーが自分の持つ武器を構える。

 そして次の瞬間、両メンバーが衝突する。

 学生自治会のメンバーはペンキローラーを持つ者からローラーとペンキを奪うべく。『自転車愚連隊』のメンバーは駐輪場予定地から学生自治会のメンバーをライオットシールドで押し出し、そして別働隊は軽トラックに積まれた自転車を取り返すべく駆け出す。

 まさに騒乱状態だ。


 函南はガーデンホースを構えて、ペンキバケツ目掛けて放水する。

 あのペンキが油性なら、直接バケツに水を入れるのは良くないはずだ。ペンキが使い物にならなければ線は書けないはずだ。

 その放水に対して、『自転車愚連隊』のメンバーがペンキを守るべくライオットシールドで水を塞ごうとするが、学生自治会のメンバーたちがそれを阻止する。

 水と白線引きの白い粉、罵声、喧騒があたりに響く。

 そうしている間に『自転車愚連隊』のメンバーが自転車を積み終えた軽トラックに到着して自転車を固定しているロープを解き出す。


「軽トラックに張り付いたぞ!」

「自転車を守れ!」

「今の隙にペンキを!」

「そうはさせるか!」

 罵声が響く中、突然自転車を積み終えていた軽トラックの一台のエンジンがかかる。しかしながら皆自分の目の前のことでいっぱいいっぱいで誰も気が付かなかった。

 エンジンのかかった軽トラックは勢いよく発進するが、あまりの積荷の重さにスピードが出ず、それどころかバランスも悪く少し蛇行運転し、スタンドライトを倒し、乗せいていた自転車を落としながら、広場を突っ切るように走っていく。

 突然軽トラックが動き出し、広場に突っ込んでくる事態に、両メンバーを慌てて軽トラックを避けたので、幸い轢かれた者はいなかった。しかし軽トラックは近くの街灯にぶつかり、そのまま転倒してしまう。


 その場にいた全員が、何が起こったのかわからず転倒した軽トラックを凝視する。

 先程の喧騒は何処へ行ったのかと思えるほど、静かになった。

 しかしすぐに両メンバーは軽トラックを運転していた人間の存在に行き当たる。


「だ、大丈夫か?!」

「何人か手を貸してくれ!」

 そう言いながら、学生自治会も『自転車愚連隊』も関係なく運転手を助けようと軽トラックに駆け寄る。函南はガーデンホースを握り締めてその成り行きを見守る。


 すると転倒した軽トラックから、誰かが這い出しくる。

 それは、学生自治会でも、『自転車愚連隊』のメンバーでもなかった。

 その人物は、上も下も黒の服を着て、頭からフードを深く被っていた。

 暗くなりつつあったこの場を倒れたスタンドライトと街灯が照らすが、その人物の服装と相まって、不気味に影が浮かんでいるような異様な光景だった。


「大丈夫か、怪我は? 立てるか?」

 近づいた学生自治会のメンバーが問いかけると、その影は立ち上がりゆっくりとフードを脱いで彼らを見る。


 それは女性だった。

 黒い髪の女性が彼らを見ていた。

 しかしその場にいた彼らは女性ではなく、その背後の影に釘付けとなる。


 そこには大きな化物がいた。

 倒れた自転車や軽トラック、そしてその場にいる人達の形が色んな角度からライトで照らされ一つの大きな影絵を作っていた。

 その影絵は社会学部棟の影に張り付く大きな獣だった。


 大きな四足歩行の獣の影が蛇のような尻尾を振っていたのだ。

 その光景に皆唖然と社会学部棟の壁を見ていた。

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