第31話『震天動地⑥-シンテンドウチ-』

 西澤顕人にしざわあきと滝田晴臣たきたはるおみがロッカールームの入口から女子トイレに入った『あんりちゃん』が出てくるのを待って数分が経った。

 しかしながら、どうも出てくる気配がない。ただただ静かで不気味だ。

 その静けさから、顕人は昨日田村八重子たむらやえこが消え失せてしまった出来事を思い出して嫌になる。もしかしてこの女子トイレには女子生徒だけが知ってる秘密の通路でもあるんじゃないのかという気分になってくる。

 顕人が女子トイレを見ながら唸っていると、晴臣は怪訝そうに「どうしたの、眉間に皺が寄ってるよ」と聞いてくる。顕人は肩をすくめて渋々口を開いた。


「田村八重子に撒かれたの、此処の女子トイレなんだ。嫌な思い出しかない」

「あー、昨日の」

「何だろうな、昨日といい今日といい、この出てくる感じがない様子は」

「考えすぎじゃないかな?」

 ロッカールームに潜みながら二人がそんな話をしていると、漸く女子トイレから誰かが出てきて晴臣は「ほら」と声をかけてくる。

 顕人も安堵するが、出てきた人物をみて言葉を失う。


 出てきた女性は、明るい茶髪でなければオレンジ色のワンピースも来ていなかった。

 黒い髪に黒いメガネ。白いワイシャツに黒のズボン。

 就職活動中の学生かと思ったが、その姿に顕人は見覚えがあった。


「田村八重子……」

 顕人は思わず女性の名前を呟く。いや、『美須々さん』と呼ぶべきなのか。

 顕人は硬直しながら、ロッカールームの入口から身を隠すように彼女を見つめる。

 何なんだこのタイミングは。

 どうして彼女が此処にいるのか。

 そんなことを考えている顕人を余所に、晴臣は出てきた田村八重子を見ながら驚くべき言葉を言い放つ。


「ねえ、あの人、『あんりちゃん』さんじゃない?」


 その言葉に顕人は思わず晴臣を凝視するが、晴臣はその視線をまっすぐ見つめ返す。

 晴臣は真剣だった。真剣に、驚くような台詞を言い放ったのだ。

「待て待て待て待て待て。今のが『あんりちゃん』さん?」

「体型とか、顎の感じとか同じじゃない? あっ、見失っちゃうよ?」

 晴臣はそう答えながらも、ロッカールームから出て黒髪黒メガネの女子生徒を追いかけ始める。

 だけど顕人はその言葉を飲み込むことができず、困惑した表情で晴臣を見る。


「絶対か?」

「歩き方も同じだと思うけど。ほら、靴も同じだ」

 そう言って晴臣は田村八重子の履く靴を指す。黒いチャッカ・ブーツを履いているが、女性のファッションに詳しくない顕人は、そもそも『あんりちゃん』がどんな靴を履いていたか見ていないし、田村八重子が履いている靴と同じかなんて到底わからない。

 だがしかし、晴臣が言うならそうなのだろう。

 つまり、彼女は、『あんりちゃん』であり田村八重子ということか。いや、待て。田村八重子は『美須々さん』でもあるのだ。

 そんなことを考えていると何だが頭がこんがらがってくる。

 整理しきれないぐちゃぐちゃな思考で、顕人は前を行く黒髪黒メガネの女性をおいかける。



「……もしかして、昨日女子トイレから姿を消したように見えたのは、今みたいに着替えたから?」

「そうじゃない? アキ、女子の骨格とかまで確認しなさそうだし」

「普通は誰もしない」

「僕は何となく見ちゃうけどな」

 そう言って数メートル先の彼女を見る。

 確かに昨日は、黒髪黒メガネの女性だけを探していた。服装だけで判断していたから、昨日は気が付かなかったのだ。


「昨日は俺が後をつけてるのがバレたから逃げられたってことなのか」

「どうだろうね。じゃあ今は、どうして、ってならない?」

「どういう意味だよ」

 まだ状況受け止めきれていないせいか、顕人は晴臣が言わんとしていることが理解できない。


「だって、今は、僕達が後を追いかけてるなんて知らない訳でしょ? 別に距離を離される感じも僕達を撒こうとしている様子もないし」

 晴臣はそう言いながら教室棟の玄関ホールへ向かって歩く田村八重子を見る。足取りは緩やかだし、階段やエレベーターを使って顕人達をやり過ごそうとしている様子もない。

 彼女は、自分を追いかけている二人に今のところは気が付いていないはずなのだ。


「じゃあどうして、今、変装と言えるような着替えをしたのかって思わない?」


 確かに。

 彼女は別にこちらを認識している感じはない。

 つまり。

「普段からああいう変装をしてるってことだよな」

「多分ね」

「でも……理由がわからない」

「確かに」

 顕人の嘆きに晴臣は頷く。

 何故そんなことをしているのかがわからない。

 そもそも『あんりちゃん』は荒瀬川の彼女だ。

 そして『田村八重子』、もとい、『美須々さん』は、荒瀬川が目の敵にしている室江の関係者だ。

 何故こんなどちらとも関係を築きながらそれを隠しているのか。

 ……全くわからない。


「とりあえず今は……、なんて呼ぶべきだと思う?」

「『あんりちゃん』さんじゃないよね、今は。田村さんで良くない?」

「じゃあとりあえず今は田村さんを追いかけよう。わざわざ着替えてまで何をするのか知りたい」

「実は何処かのサークルに所属してて、その設営を手伝いに行く、とか?」

「それならいっそそれでも良いけど……」

 顕人は肩をすくめて、田村を追いかける。

 田村は玄関ホールを抜けてそのまま教室棟を出てしまう。晴臣の言う通り何処かの設営準備に行くのだろうかと思ったが、彼女は部活等の団体が設営作業をしている歩道の方とは反対の方へと歩き出す。

 方向としては社会学部棟がある方角だ。そしてその更に奥が工学部棟がある。

 田村はそちらへ向かう幾つかの歩道の内、人通りが特に少ないものを選んでいた。ただでさえ土曜日ということもあり、生徒の数が少ないのに。それだけ人目を気にしているのだろうか。

 顕人と晴臣は、歩道をしっかりとした足取りで進む田村を追いかける。しかしあまりに人通りがなさ過ぎて、二人は歩道ではなく、歩道の周囲を点在する樹木の影に隠れながら進んでいた。


 社会学部棟に近づくにつれ、歩道の脇に自転車を見るようになってきた。

 顕人は普段この歩道を使わないのだが、この辺は『サモエド管理中隊』の手がまだ届いていないのだろうか。中には歩道に堂々と駐輪している自転車もあり、通行人の邪魔だし景観も良くない。


 そうこうしている内に田村は社会学部棟の前までやってくるが、彼女は棟には入らずそのまま歩道を進み続ける。

 この辺の地理をあまりよく知らない顕人は晴臣に「この先は工学部棟だけか?」と訊く。

「工学部棟は一番奥。その運動部の部室とか体育館とかグラウンドとかあるよ」

「運動部の部室……」

 晴臣の答えに顕人が一番引っかかったのがそれだった。

 もしかして、彼女はバスケ部の部室を目指しているのではないか。確信はない。ただそんな気がするだけだ。

 それ以外、彼女が目指す場所が思い浮かばなかったのだ。


 案の定、田村は幾つもの運動部が使用している部室棟へやってくる。

 部室棟といっても教室棟などのようなしっかりとした建物ではなく、アパートのような装いの二階建ての建物だ。

 外階段と外廊下があり、それぞれの部室がある。

 一棟につき一階二階合計で十二部屋あるが、同じ建物が五つほど並んでいる。

 此処はすぐそばに体育館とグラウンドがあるので、そちらを使う運動部系団体が借りている。

 弓道部やテニス部など、他とは違うコートを使用する団体はまた別のところに部室を構えている。

 確かに教室棟から歩いてきたが随分な距離だ。

 顕人は不本意だが、自転車を持ち込む生徒の気持ちが分かってしまった。

 恐らくこの部室棟を使用している生徒もこの距離の徒歩にうんざりしているのだろう。周囲には自転車がすぐにわかるだけで三十台ほどが停められている。駐輪場なんてものはないから、乱雑に並んでいる。


 田村八重子は部室棟の近くまで来ると、肩にかけていた黒のトートバッグに手を入れる。その様子を、少し離れた場所から観察していた二人だったが、彼女がバッグから出したものに二人は、特に顕人はひどく驚いた。

 彼女が取り出したのは黒いパーカーだった。

 田村はそれを羽織るとチャックを上まで締めて、顔を隠すように深くパーカーを被った。


 その姿はどう見ても、昨晩、二人の前に現れた通り魔そのものだった。


 昨日自分に死の恐怖を煽ってきた相手が再び現れたことに顕人は思わず息を呑む。

 思わず引き攣った声を上げそうになったが、晴臣が暢気に「あちゃー……」と肩をすくめるのを見て、顕人の中で張り詰めていた空気が抜けてしまう。有り難いことだ。


「昨日の通り魔、やっぱり『あんりちゃん』さんだったね」

「今は田村さんだろ?」

「そっか」

「というか、もう、あの人一体何者なんだよ。田村八重子で、『美須々さん』で」

「『あんりちゃん』さんで」


「「通り魔」」


 二人の声が重なる。

 それがおかしかったのか晴臣は声を殺して笑っているが、顕人としては全く笑えない。

 もう何者なんなんだ、あの女は。

 顕人は、急に頭の中に存在した色々な点に無理矢理線を引かれて繋げられたことに困惑して溜息をついた。

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