第17話『飛揚跋扈④-ヒヨウバッコ-』

 日付・四月二十三日、時間・二十三時四十分頃。

 近隣の大学に通う学生六名が、近くの居酒屋から出た直後に暴行を受けた。犯人は鉄パイプで学生たちを次々と殴打した。学生たちは酩酊状態で、抵抗することもできず重軽傷の病院に搬送された。

 目撃者の証言では、犯人は黒いフードを着用していたとのこと。犯人は学生たちが動かなくるとそのまま駅とは反対の方へと走り去った。

 警察は、財布や貴重品は盗られておらず、物取りの犯行には否定的な可能性をしている。


 先週の事件は何社かの新聞紙で小さくはあるが確かに取り上げられていた。

 学生は命に別状はないと書かれている。

 犯人の服装は黒いフードとあるが、性別に関しては書かれていない。

 西澤顕人にしざわあきとはパソコンに表示された新聞紙を読みながら、やっぱり怨恨だろうな、思う。

 滝田晴臣たきたはるおみも真横からモニターを覗きながら新聞紙を読んでいた。

 一応概要はしれたけれど、正直、室江との件に関わりはなさそうだ。

 とはいえ、だ。

 顕人は、昼間に宮准教授が言っていた言葉を思い出す。


『嫌がらせをしている『かもしれない』連中と、今回の『ペッパーハプニング』を引き起こした連中がイコールで繋がることになるかもしれない』


 その言葉が脳裏で再生される。

 顕人は、昼間に女子生徒たちが荒瀬川の名前を出した時どうにも聞いたことがあるような気がしていたが、漸くその理由がわかった。

 顕人が一年生の冬に、荒瀬川に一度だけ会ったことがあるのだ。


 その時、室江と一緒だった。


 後期の『学部共通授業』が室江と一緒だったのだ。その時にはもう顕人が宮准教授の部屋に頻繁に出入りするようになっていたので、自然と室江とも話すようになっていた。

 優しく親切な先輩だったので、授業がわからなかったり、途中寝落ちてノートが取れなかった時に頼れるのではないかという下心全開で『学部共通授業』の同じものを取ったのだ。

 授業が終わって宮准教授の部屋に行こうとしていたとき、不意に「室江」と声をかけてきたのが荒瀬川だった。

 派手な人だと顕人は思った。

 明るく染めた髪に、派手な色の服装。煙草の匂いもした。

 荒瀬川は他の数人の、彼と似たような見た目の生徒を引き連れて歩いていた。

 声をかけられた室江は穏やかな様子で「荒瀬川、お疲れ」と返した。

 顕人は、室江先輩は色んなタイプの人と仲が良いんだなあ、と感心した。

 だけど、雑談を交わす二人の話が耳に入ってくるのだが、どうにも荒瀬川の物言いが刺々しいのが気になった。

 一々癇に障るような言い方で、顕人は少し気分が悪かった。

 だけど対する室江は全く気にしていない様子だったし、そういう言い方の人なのかと思った。


 だけど、あの言い方が故意のものだったら?

 荒瀬川は室江の気を悪くさせるためにあんな言い方をしていたら?


「……」

「どうしたの、何か思いついた?」

 顕人の眉間に皺が寄っていることに気が付いた晴臣が問いかける。

「いや、何というか」

「うん?」

「どう言ったら良いのか」

「良い話、じゃないね。悪い話だって顔してる」

「うん、多分」

「急ぐ感じの内容じゃないなら、別に今じゃなくて良くない?」

 晴臣はそう言うと大きく伸びをする。暫くパソコンのモニターを見ていたので疲れたのだろう。斯く言う顕人もかなり疲れた。


「……もう遅いし、今日は帰るか」

「次は六日かあ」

「いや、明日は学校に来る。休んでる生徒が多いけど学生課は一応空いてるし、宮先生がいるならちょっと話聞いて欲しいかも」

「先生に此処までの状況から推理してもらう?」

 茶化すように笑う晴臣に、顕人は「また、推理するタイプの准教授じゃないって怒られるぞ」と言いながら肩を回した。


 ***


 冬に比べて徐々に陽が暮れる時間が遅くなってきたように感じていたが、二人が図書館を出る頃にはもうすっかり夜だった。

 いつもは賑やかな学内も人がおらず、何だが寂しく感じる。

 歩道を街灯の明かりが照らすけれど、逆に不気味さが煽ってくるようだった。


 顕人と晴臣は電車通学の学生で、二人は駅が近い正門の方へ足を向ける。

 まだ冬が残っているかのような空気の冷たさに、顕人はアウターを持って来れば良かったと後悔する。

 何か羽織れるもの、例えばパーカーとか。


 そんなことを考えていると、歩道の少し前に黒い影を見た。

 横幅三メートルほどの歩道の真ん中で、誰かが立っていたのだ。

 それは黒いフードをすっぽりと被っていた。上着は随分大きいようで、身体のラインが隠れている。下にズボンを履いているが、それも黒い。

 街灯の明かりに照らされて、まるで影だけがそこに残されているような不気味さがあった。


 こわっ。

 内心顕人はそう思う。

 だけどただ立っているだけの人間だ。あまりじろじろ見ない方が良い。

 顕人はそれ以上、数メートル先にいるその黒い影を見ないようにしようと視線を逸らそうとする。

 しかしその瞬間、黒い影はゆっくりと左手をあげてフードの少しあげる。

 まるでこちらを確認しているようだったが、フードの影に隠れて顔は見えない。

 ぽっかりと暗い闇がこちらを見ているようで恐ろしい。

 そんなことを思っていると、黒い影は突然、顕人と晴臣に向かって走ってくる。その右手に鉄パイプが握られていた。


「え」

 鉄パイプを片手に走ってくる黒い影。

 顕人の脳裏で、すぐに少し前まで読んでいた新聞紙の記事の内容が蘇る。

 まるであの犯人のようではないか。でも、えっ、どうして此処にいるのか。そもそもどうしてこっちに向かってくるのか。どうして鉄パイプを持っているのか。

 頭が混乱して吐きそうになる。もしかしたら、このまま、自分も滅多打ちにされるのはと考えるしかない。

 まだ感じていないはずの痛みで、顕人の足が竦んだ。

 彼の足に絡んでいたのは間違いなく恐怖だった。

 このままで本当に殴られる、いや、下手したら死ぬのでは?!

 そんな恐怖に声も出なかったが、突然服を後ろから引っ張られる。


「アキ!」

 晴臣は叫びながら、顕人の服を後ろに引っ張り彼を下がらせた。身体が硬直して動かなかった顕人はそのままよろよろと後ろへ尻餅をつくが、晴臣はそんな顕人と黒い影の間に入る。

 黒い影は鉄パイプを振り下ろすが、晴臣はまるでタイミングを計っていたかのように右足を蹴り上げ踵あたりで鉄パイプを押し返す。

 押し返された黒い影は一瞬体勢を崩す。その瞬間、晴臣は上げていた右足を回し今度は鉄パイプを持つ右手首目掛けて蹴りつける。


「っ」

 くぐもった短い悲鳴が聞こえ、鉄パイプが歩道に転がりその短い悲鳴を掻き消す。

 黒い影の手から凶器が離れたのを見て、晴臣は大きく息を吸い「誰か来てください!!」と大声で叫ぶ。

 そのあまりの声量に顕人は驚いて肩を震わせてしまうほどだ。

 そしてその声に、黒い影も慄いたのだろう。

 黒い影は鉄パイプを拾うと一目散に歩道を外れ街灯の明かりが届かない暗闇へと走り去ってしまう。


 恐怖は去ったのか。

 顕人は歩道に座り込んだまま、自分の心臓がばくばくと強く波打つのを感じる。

 怖かった、本当に怖かった。

 晴臣がいなければどうなっていたか。

 そもそも晴臣は鉄パイプを足で止めたが、怪我はなかったのか。

 顕人が恐怖の次は焦りに襲われていると、晴臣は振り返って顕人を見た。


「あいつ、右利きだったね」

 そう大発見を披露するかのように呟く。

 そんな彼を見て、顕人は「どーでもいいんだよそんなこと!!!!」と腹の底から叫んだ。

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