第15話『飛揚跋扈②-ヒヨウバッコ-』

 滝田晴臣たきたはるおみが社会学部棟で捕まえたのは、陸上部の四年生だった。そういえば陸上部にいた気がするなあと思うが……正直あまり覚えていない。

 陸上部が普段使用しているグラウンドに着く頃には、彼はかなり平静を取り戻していた。グラウンドでは、恐らくもう授業を終えた陸上部部員が既に練習を始めていた。

 彼はグラウンドの端にあるベンチに座るので、晴臣も少し距離を空けて座る。


「滝田、お前そもそも俺のこと覚えてるか?」

「えっと、すみません、薄らとしか……」

「だろうな。俺はお前のことをさっさと記憶から消したいのにな」

「その節は本当にすみませんでした」

 晴臣は自分が何となくで始めた助っ人業が、どれだけ他者に影響を与えたかあまり考えていなかった。というか、途中から夢現、記憶が曖昧なのだ。あの辺りの記憶が、まるで墨でもぶち撒けられているように真っ暗なのだ。

 気がついたら病院に担ぎ込まれてた。しかし自分が何かやったということは周りの反応で察していた。

 改めて去年自分がやらかしたことの大きさを知る。こういう時に不意に思い知らされる。

 だけど例え自分の記憶にないことだとしても、一生、晴臣自身が付き合っていかなくてはならないものなのだ。あまりの重さに眩暈を覚えるが、陸上部部員は「まあ、いいけど」とぼやいて話し出す。

 彼は西尾と名乗ったが、晴臣はやはり思い出せなかった。


「お前、また運動部にちょっかいかけてんのか?」

「そういうわけじゃあ」

「何だ、もう助っ人やんねえの?」

「しません、誓約書にサインしてるんで」

「誓約書?」

「『金輪際金銭目的で運動部もしくは同好会には接触してはならない』って」

「……誰との誓約だよ」

「文学部の宮センセーです」

「あー、あの言い方がきっつい先生な」

 どうやら西尾は『学部共通授業』で宮准教授の講義を受けたことがあるらしく渋い顔でそう呟く。確かにあの人の授業は言い方が辛辣だ。慣れている晴臣は今更何とも思わないが、やはりあまり親しみのない他学部の生徒はそういうイメージを抱くのだろう。


「で? 何か調べてるって言ってなかったか?」

「あっ、はい、先週正門近くであった『ペッパーハプニング』について調べてます」

 晴臣がそう言うが、西尾は『ペッパーハプニング』という単語が出た瞬間眉間に皺を寄せる。

 何とも奇妙な表情だ。何か知っていることがあるが、関わりになりたくない、そう言いたげだった。

「……西尾先輩、何か知ってるんですね」

「いやあ、俺の口からは」

「じゃあ誰なら教えてくれますか?」

 晴臣は、西尾とのベンチの空いている距離をずいっと詰めて問う。しかし西尾の口はどうも重い。


「『僕』が運動部に手当たり次第行けば教えてくれる人いますか?」

『メンタルクラッシャー滝田』が行って、無事な運動部や同好会がどれだけいるか。西尾でさえ、あの様子だったのに。

 まるで脅しのような言葉に西尾は「夏の大会も控えてんだから止めてやれ」と肩をすくめる。

 西尾は一応周囲を確認すると諦めたように肩をすくめた。

「念の為に訊くが、学生自治会の回し者じゃないよな?」

「違います。でも中隊も自転車の件が片付けば調べに来ますよ?」

「まあ、そうなんだが、もう既に同情してしまうからなあ」

 西尾は顔をしかめる。

 晴臣は西尾が言い放った『同情』という言葉に首を傾げた。その言葉の指すところを考えていると、西尾が「俺が言ったって絶対言うなよ」と晴臣に釘を刺した。


「あくまで噂の話だが、あの『ペッパーハプニング』をやらかしたのはバスケ部の連中だ」

「バスケ部が? またどうして?」

「俺に訊くな。荒瀬川あらせがわとその取り巻きがやったって話だけどな」

「バスケ部の荒瀬川……」

 晴臣は西尾から出た言葉に考える。

 バスケ部は、記憶が正しければ、大会を目指して切磋琢磨している印象はないところだった。単に和気藹々とバスケをする部というわけではない。バスケすらあまりしていない印象だ。飲み会サークルになってしまっていると言う者も少なくない。

 当然ながら晴臣も助っ人として行ったことのない部だ。

 その中で荒瀬川という先輩の話もよく耳にする。

 良くも悪くも目立つ先輩だ。派手な見た目の男性で、身長がありルックスも良いので女子生徒から人気が高い。鍛えているのか体格も良いらしい。

 女性との付き合いも派手で、常に遊べる女子生徒を探しているという噂だ。

 彼の名前が『ペッパーハプニング』の容疑者として上がったが、晴臣としては驚くことではない。


「でもどうして荒瀬川さんたちの犯行だって知ってるんですか?」

 何か証拠があったのか。

 晴臣が問うと西尾は渋々という様子で答える。

「あの日の夜、駅近くの居酒屋で集まって『ペッパーハプニング』の話してたってサッカー部の連中が言ってたんだ。胡椒かけたヤツの反応がどうとかくしゃみが大げさ過ぎて笑えるとか、そういう話を酔った勢いで延々としてたんだとさ」

「へえ……」

「次の日には運動部で広がったってワケ。ウチの運動部、主将同士が仲良いこと多いしな」

 ウチの主将もサッカー部の主将から聞いたし、と西尾はぼやく。

 その話を聞きながら晴臣は納得できないという顔で西尾を見る。


「皆知ってるのに、誰も中隊に通報しなかったんですか?」

 そう問いかけると、西尾は困った顔で「皆、荒瀬川と敵対はしたくないからな」と呟く。

「それってどういうことですか?」

「荒瀬川って高校までは隣の市で暴走族に入ってたんだ。今も交流は続いているって話だし、アイツと敵対して囲まれたら嫌だろ?」

「囲まれた人、いるんですか?」

「そういう話は聞くけど、実際囲まれたかは知らない。でもそうなるかもしれないって思うと、誰もアイツとは関わりたくないって」

 まあ、確かに。西尾の言いたいこともわからないでもない。

 確かに大人数で囲まれると厄介だ。負ける気はしないが。いや、寧ろ地の利があれば勝てるのでは?

 晴臣はそんなことを安直に考えると「今日、荒瀬川さんに何処へ行けば会えるかわかります?」と問う。

 何にしろ話は聞きたい。『ペッパーハプニング』をやっているのか単に噂だけなのかはっきりさせたい。

 晴臣は次の目的地が決まりベンチを立つ。

 あとは西尾から荒瀬川の居場所を聞くだけだ。

 しかし西尾は心底同情したような顔で口を開いた。


「荒瀬川なら休みだ」


 そんな予想にもしてない言葉に晴臣は「えっ、どうして」と出鼻を挫かれた気分になる。

「さっき、あの騒動の後、駅前の居酒屋で飲んでたって言っただろう。その帰りにフードを被ったヤツに襲われたらしいぜ。鉄パイプで殴られたんだと」

「えぇ……」

「泥酔してたから抵抗する間もなくって感じだったらしい。新聞の地方記事にちっちゃく載ってた」

 西尾は肩をすくめる。

 その話を聞きながら、晴臣は西尾が最初に言い放った『同情』の意味を理解する。


「鉄パイプって。入院してるんですか?」

「骨折したって話だけど入院はしてないけど自宅安静的な? 機嫌が悪いから近づくのはオススメしないな」

 絶対に止めとけ。

 西尾がそう言うと、グラウンドで練習をしていた部員の一人が西尾に向かって「そろそろリレーの練習始めますよ!」と叫ぶ。西尾は「すぐ行く!」と叫んでベンチから立つ。


「もう良いだろ? 練習の時間なんだ」

「色々ありがとうございます」

 晴臣は西尾に深々と頭を下げた。西尾はそんな晴臣を複雑そうに見ながら「別に良い」と返すと、陸上部の部室の方へ歩き出す。


「すみません、最後にもう一つ、荒瀬川さんの事を詳しい人っています? 話聞きたいんですけど」

 晴臣は西尾の背中にそう叫びかけると、西尾は面倒くさそうな顔で振り返る。


「……荒瀬川のことなら、あんりちゃんに訊けば? 荒瀬川の彼女」

 西尾の言葉に晴臣は目を丸くする。

 彼女?

 女子生徒を取っ替え引っ替えしているイメージだが、特定の女性がいたのか。


「その『あんりちゃん』さんって……学部は?」

「そこまでは知らない。多分社会学部じゃないか? 学内で荒瀬川と一緒にいるのよく見るし。派手目の可愛いコ」

 西尾はそう言うと、部室の方へと行ってしまった。


『あんりちゃん』か。

 取り敢えず次の目的地が決まったことに晴臣は笑う。

 その時丁度、顕人から集合のメッセージを受け取り、晴臣は急いでグラウンドを出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る