第3話『嚆矢濫觴②-コウシランショウ-』

 室江崇矢むろえたかやが現れておおよそ一時間が経った頃、漸く掃除が終わった。


 朝から始めたのだが、既に時間は昼を過ぎていた。しかし室江が来てくれたおかげで早く終わった方だろう。

 綺麗になった部屋で滝田晴臣たきたはるおみ西澤顕人にしざわあきとはパイプ椅子を広げて座る。そのまま長机に二人は突っ伏して、疲れを全身で訴えかける。

 その様子に室江は「お茶淹れようか」と、右側の壁に置かれている高さ一メートルの、この部屋の中ではやや低めのスチール棚の前へ行く。

 スチール棚は三段で、天板には電子レンジや電気ケトル、一番下の三段目の棚板には、大きさが不揃いの大手インターネット通販会社のロゴ入のダンボールが並べられている。

 並べられたダンボールはフラップ・サイドフラップ共に切り落とされ、棚カゴのように使われており、カップ麺や菓子が雑多に入れられていた。

 二段目にはインスタントコーヒーやお茶の葉、未開封のペットボトル飲料などが並んでいる。

 その上の段にはスチール棚とは不釣り合いの、木目プリントのスライド開閉させるタイプの小さな棚が無理矢理置かれており、開閉部にあるガラスから中の統一感のないカップたちやポットが収められている。


「今川焼き買ってきたんだ。食べるだろ?」

 室江はポットを出して、手前にあった煎茶の袋を開けて茶葉をポットに入れる。

 ティースプーンを使わず目分量で茶葉を入れるのが彼のいつもの淹れ方だ。

 量って入れる顕人よりも、何故か旨く淹れてくれる。


「今川焼きって?」

 晴臣が顕人に問う。

 顕人は「小麦粉の生地の中に餡子とか入れて丸く平たく焼いたヤツ」と両手の親指と人差し指で円を作って見せると、晴臣は「ああ、太鼓饅頭」と理解する。

 そんな話をしていると、室江はお茶を淹れて、人数分のカップを出して長机に並べていく。


「ちょっと冷めてるだろうし、温めようか」

 室江はそう言うと、カバンと一緒にパイプ椅子に乗せていたビニール袋を長机に置いた。

 そのビニールには、この辺りでは有名なたい焼きの老舗のロゴが入っている。

 たい焼きがメイン商品だが、今川焼きも餡子がぎっしり入っていて旨いと評判の店のはずだが、いつも行列ができていて休日では昼には売り切れてしまう店だ。

 顕人も以前講義の終わりに行ったことがあったが既に売り切れていて凹んだ店だっただけに、かなり驚いて室江を見る。


「それ、桃花堂とうかどうですよね。朝から並んだんですか?」

「並んではいないよ」

 室江はビニール袋から同じくロゴの入った箱を取り出す。

 それじゃあそれはいつ買ったんだと顕人が考えるが、室江は聞く前に教えてくれる。


「なんか昔から、前日に電話で個数を伝えておくと、次の日に予め多く作っててくれるんだ」

 そう朗らかな様子で教えてくれる。

 あの店、そんなサービスしてたか、と顕人が思い悩むが、ふと室江の家の事情に思い至る。

 彼の家は桃花堂のある辺りの『大きな家』だったはずで、彼は所謂『おぼっちゃま』なのだ。

 その関係で多少融通が利くということなのだろうか。

 顕人はそんな風に考えるが、それ以上深く追求するのを止めた。


 少しして、温まった今川焼きと同じく温かいお茶が長机に並ぶ。

 昼飯時ということもあり、空腹が満たされる感覚に顕人は幸せを感じる。

 程よい甘さの餡子が咀嚼していたが、ふと、顕人は不思議に思う。


「さっき、『前日に電話』って言ってましたけど、それって何か用があったんじゃないんですか、先生に」

 その手土産として今川焼きを持参したのでは・・・そんな風に思った。

 すると案の定室江は困ったように肩をすくめてお茶を飲む。


「ちょっと先生に話を聞いてほしかったんだけどね、此処にきて二人が掃除してるの見て、あー今日は来ないなって思った」

「アポなしだったんですか?」

 晴臣が既に三個目の今川焼きに手を伸ばしつつ尋ねる。


「話を聞いてもらって、先生の意見を聞きたかっただけなんだ。論文で忙しい様子だったから、連絡を控えてたのが裏目に出たみたいだね」

「話? 就活ですか?」

「そういうのじゃないんだ。ちょっと不思議なことがあってね」


 晴臣に話を求められ、室江はカバンから手帳を取り出す。

 手帳をぱらぱらと捲り、彼はそこから白い紙を取り出した。

 この大学のロゴが端に印刷されたメモ用紙だ。

 教務課に行けば受付や書類記入スペースに置かれているものだ。

 そのメモ用紙には、『今日は裏門から帰ってください』と書かれている。

 ボールペンで書かれているが定規などで線を引いて書いており、筆記者の本来の筆跡を隠そうという意思が見れ取れた。

 その異様な文字列もそうだが、書かれている短い言葉に顕人も晴臣も顔を見合わせる。


 裏門とはこの大学の裏門を指しているのだろうかと顕人はメモを見て考える。

 正門は駅と大通りに面しており、多くの生徒はそちらから登校してくる。

 そして正門のほぼ反対側にあり、駐車場が隣接されているので主に車で出勤してきた教職員が出入りに使っている。

 駅まで向かうには遠回りになるので、電車通学の生徒が多いからか自然と交通量の少ない印象であるし、室江は確か電車通学だったはずだから駅までかなり遠回りになってしまう。


「裏門で何かあるんですか?」

 晴臣は今川焼きを咀嚼しつつ室江を見る。


「これが知らない間にノートに挟まってた。一週間前になんだけど。」

「一週間前? ・・・四月二十三日ってことですか?」

 何かあっただろうかと顕人は首を傾げるが、晴臣は何か思い当たる節があるのか「あっ」と零す。


「『ペッパーハプニング』だ!」

「ペッパーハプニング? 何それ」

 聞き慣れない言葉に顕人は怪訝そうな顔をする。

 晴臣の話はこうだ。

 四月二十三日の夕方、正門付近を通りかかる生徒に粉胡椒をふりかけていくという悪戯が行われた。

 犯人は目出し帽を被った男で、一人ではなく複数人いたらしい。

 下校しようと正門までやってきた生徒たちに粉胡椒を大量に振り撒いて逃げていくのだ。当然撒かれた方は吸引してしまい、暫くくしゃみが止まらなくなった。

 それが六時間目終わりと最終の七時間目終わりに行われた。

 結局犯人たちの特定はできず、胡椒を使われていたことで安易に『ペッパーハプニング』と名付けられて生徒たちの間で話題にされている。


「英語の授業一緒の女子から聞いた話はこんな感じ。凄く怒ってたな・・・」

 晴臣は、教えてくれた女子の剣幕を思い出したのか肩をぶるりと震わせながらも、随分小さくなってしまった三個目の今川焼きを口に放り込む。


「サモエド管理中隊が黙ってなさそうだけどな。絶対犯人探してるだろ」

 顕人はの集団のことを考える。


『サモエド管理中隊』とは、当大学の学生自治会である。

 このふざけた名称は、もう十年以上前の学生自治会に属していたメンバーが『学生自治会』という名称じゃあ面白くないと言い出し、自治会内で総選挙が行われた結果決まった名称らしい。

 中隊って響きが格好良いじゃん。

 きっとそんな空気よりも軽い発想で決まったのだろうと、顕人はこの名称を聞いたときに思った。

 そして名称の響きに惹かれて学生自治会に参加する馬鹿は今でも少なくないらしい。

 何でそうなる。


 しかしながら名称はふざけているが、活動は活発に行われている。

 新入生歓迎の部活サークル勧誘での強引な勧誘が行われていないかの監視。

 学内の清掃活動。

 そして今手広く行っているのが、学内放置自転車の撤去作業だ。

 これだけ熱心に活動している団体だ、きっと犯人もすぐに見つけるだろう。

 ・・・そう思ったが、ふと顕人の中で疑問が沸き起こる。


「六時間目終わりと七時間目終わりにその『ペッパーハプニング』があったってなら、活動熱心なサモエド管理中隊が六時間目終わりの騒ぎを聞きつけて七時間目後のは阻止できそうなもんだけどな」

 ノーガードで二回もさせておくとは思えない。

 その疑問に室江が口を開いた。


「その日、六時間目終わりから工学部棟付近の放置自転車の撤去活動してたんだ。教室棟から一番遠い工学部の生徒が自転車持ち込んでる数が多いから、あの周辺の歩道に何処も自転車が放置されてる。あの日は手の空いてる自治会メンバーはあっちに行ってたらしいよ。だから正門での騒ぎを知ったのは七時間目の後だった」

「サモエド管理中隊の裏をついた悪戯ってことだったんですか?」

「自転車の片付けを促すために一週間前から日程は告知されてたからね。多分狙ってたんだろうね」

 室江はそう言いながらお茶を飲む。


「で、話が戻るんですけど、『ペッパーハプニング』と先輩の『不思議なこと』ってどう結びつくんですか?」


 三個目の今川焼きの咀嚼を終えた晴臣がそう言いながら更に四個目に手を伸ばすものだから、顕人は、好い加減にしろ、と晴臣の手を叩き落とす。

 ひと箱に十個入っていた今川焼きを四個の食べようとしているのだ。そもそもこれは室江が宮准教授への手土産として買ってきたものを、三個も食べている時点で食べ過ぎなのに四個目は流石に見過ごせない。

 晴臣と顕人が無言の睨み合いをしていると、室江は「先生今日帰ってくるかわからないし食べきってくれると有難いな。僕はお昼食べて来たから二人でどうぞ」と朗らかに笑うので、漸く顕人は諦めたように肩をすくめる。

 すると待っていましたと言わんばかりに晴臣は四個目の今川焼きに手を伸ばした。

 顕人も確かに腹が空いていた。

 晴臣に便乗する形になるのは気が引けるが「じゃあ俺も頂きます」と室江に頭を下げて箱へと手を伸ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る