第31話 相談とオムライス

 分厚いマスクで顔の鼻下半分を隠し、目元は黒のサングラスをかけていた。さらに頭には野球帽を目深にかぶっていてる。顔全体を隠していて、強盗犯みたいな出立ち。


 そんな奴が『まさやんの本屋さん』に突然来店した。でもそいつはお金を奪いにきたとか、何か悪さをすることはなかった。代わりに、俺たちを監視していて。店じまいした後も、外から俺と加奈を不気味に観察していたんだ。


「そんな不審者がいたらさ、加奈を1人で家に帰らせるのは不安だろ?」


 風香姉が営んでる喫茶店にて。


 俺はカウンター席に座りながら、風香姉に事情を説明した。カウンター内で俺の話を聞き終えた風香姉は、小さく頷いてくれた。


「ん〜……、そういうわけね」


 いつも明るい表情の風香姉だか、このときは少し暗い雰囲気になっている。まあ、そうなるよな。


「甘酸っぱい話を期待してたのになぁ〜……」


 不満げに変なことをつぶやかれた。そ、そんなのは一切ないっての。これからもな。


「ねぇ、太一」

「ん?」

「まさやんから、バイト前に何か聞いていないの? 最近不審な人がよく店にくる、とかさ」

「いや……、そんな話はなかったけど」


 いつものチャラいノリで、『店番よろしく!』って頼まれたし。奴はもう、沖縄旅行のことで頭がいっぱいって感じだった。現に俺と加奈がバイト初日のとき、タブレットで連絡をよこしてきたときは、ビーチバレーを楽しむ直前だった。ステファニーとかいう女性と一緒に。誰だよ、その人は。まあ、ナンパで出会ったとかだろう。いかん、思い出したら腹が立ってきた。冷静になれ、深呼吸、深呼吸……。


「そう……。じゃあ、その強盗犯みたいな不審者は、あなた達が店番、つまりバイトを始めたときに急に現れたってことになるわね?」

「……、まあ、そうなるな」

「そう……。その不審者……、なんで『まさやんの本屋さん』に来たのか……」


 その『目的』はなんなのか。


 風香姉はそう言いたげな感じだった。それは俺も、加奈も同じだ。不審者がなぜ、俺と加奈の前に現れたのか。その『目的』が、『謎』。


……いや、俺だけは違う。その『目的』を知っている。きっと……、『加奈』だ。


 昨日、バイト終わりに加奈を家まで送ってあげたことを思い返す。


あのときも、不審者がずっと俺らの後をつけていたんだ。気づいたのが加奈と別れた後だったけどさ。まさやんに送るために2人で一緒に撮った写メを、俺が見返していたとき、歩道の街路樹から顔をのぞかせてる不審者が小さく写り込んでいて。

 不審者の存在に気づいた後、俺は自分の家まで帰る際、周囲を警戒した。もしかしたら俺の後をつけてくるんじゃないかって思ったからだ。でも不審者は見当たらなかった。そのときは安心していたけど、今思えばそれは、不審者は『加奈』を目的にあとをつけていたと言えるわけで。


 俺は横にいる加奈に視線を向ける。


 表情は強張っていた。愛らしい顔には似つかわしくない曇った表情で。視線は俯き、風香姉と俺の話に耳を傾けていた感じだ。

 

 ……、俺がもっと早く不審者に気づいてたら、捕まえることもできたかもしれない。


 静かな店内でふとそんな思いがわいた。自分のふがいなさに腹が立つ。


 カラン。


 ん?


 ふいに涼しげな音。目線がいった先に、レモネードがあった。浮いている氷がグラスにあたり、またカランと瑞々しい音色を奏でた。

 

 あぁ……、まだ一口しか飲んでないな。そう思うと急に喉が渇いてきた。一気に話したのもあるし。……、そうだ、俺らの気分転換にちょうどいい。


「加奈」

「ひゃ!? う、うん! なに?」

「あっ、いや……、その〜、レモネードさ、一緒に飲まないか」


 加奈が少し戸惑う。しまった、唐突過ぎたか。


「そ、そうだね。せっかく風香お姉ちゃんが作ってくれたんだし」


 加奈がグラスをそっと持つ。俺もそれにならう。

互いになんだか目配せしながら、同時に口元へグラスを持っていった。な、なんだろな、この変な緊張感。別に同時に飲まなきゃいけないわけではないんだが。

 つい加奈の小さな口元に、視線が吸い寄せられる。淡い桜色の艶やかな唇が、輪切りのレモンに軽く触れた。鮮やかな黄色に、淡い桜色の口元がとても映えて、キレイ。

 思わず鼓動が跳ねた。み、見過ぎだ。

 慌てて俺も自分のグラスに口をつけた。 

 一気に口内にひろがる爽やかな酸味と甘味が、心地いい。


「んっ……、はぁ〜、美味しい」


 加奈の落ち着いた声音が聞けて、少しホッとした。


「なんかさ、落ち着く味だよな」

「あっ、それ分かるかも。優しい甘さと酸味? って感じで」


 加奈の頬が緩んだのがわかった。良かった、なんか嬉しくなる。

 2人でしばし、レモネードを味わっていると、


「さて!」


 パンッ。


 突然、風香姉が両手を叩いた。


「せっかくお昼食べに来たんだから、作らなきゃね!」


 風香姉が楽しげに言う。あぁ、そうだった。俺らはそのために来たんだ。不審者のことは、不安ではあるが、まあ一旦置いておこう。


 俺はメニューを開く。そっと加奈に見せた。


「何にする?」

「あっ、ありがと。えっと…………、どれにしよう…………。あっ!」


 何か気になるものを見つけたのだろうか。すると、加奈が明るい声音で、俺に伝えてくれた。


「私、オムライスにするねっ!」


 目を丸く輝かせ、とても嬉しげに言う。小さな口元はめいいっぱい笑んでいて。なんだろ、あまりにも素直な笑顔で言うもんだから、俺の中で可笑しさが込み上げてくる。オムライス、そんなに好きなんだな。


「くくくっ」

「え!? た、太一くん?」

「あっ、い、いや、お、オムライスだな。わ、わかった。くくくっ」

「ちょっ、ちょっと!? な、なんで笑いそうなの!?」

「い、いやさ、すごくいい返事で言うから。なんか……、幼いというか、くくっ、小学生の女の子みたいだな」

「なっ!? なに言ってるの!? わ、私、高校生だし!!」

「あははっ、分かってるって。そのなんだ? 言い方がさ、そんな風に思えたというか。オムライスっ! って元気がよくて。くくくっ」

「つっ!? も、もう!! と、というか、ち、違うのっ!!」

「ん?? というと?」

「き、昨日ねっ、風香お姉ちゃんが『オススメだよ』って言ってたの! でも私もう卵サンドを頼んでて。じゃあ、明日食べようって思ってたのっ!」

「あぁ、そういや、そんなこと言ってたっけ」


 でも、すごく楽しみにはしてたんだな。そんなとこも、なんか純真な女の子ぽい。


「くくくっ」

「も、もうっ! わ、笑うの禁止!!」


 柔らかな頬を膨らませて、とても不服そうな顔だった。白い肌は赤みがかっていて。くくくっ、そんなムキになってるのが、可笑しい。


「と、というかねっ! た、太一くんも、言ってたでしょ!!」

「んっ? 何を?」


 突然、加奈が話題を変えてきた。急なことで俺がつい首をかしげると、


「あ、あのねっ!」


 カタン。


 えっ……!? か、加奈……!?


 俺は焦った。だって加奈が急に、座っている椅子ごと近寄ってきたから。


「よいしょ」


 小さな囁きが、俺の鼓膜を優しく揺らす。艶やかな黒髪は小さく揺れて。レモネードのレモンとは違う、花のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。愛らしい顔が近寄ってきて。真っ直ぐな瞳に、淡い桜色の口元がそわそわと何か言いたげだ。


 俺の鼓動は急激に早さを増してく。ま、待ってくれ。こ、これは、予想外だ。ひ、卑怯だぞ加奈!? って違う違う!! 何考えてんだ俺は!? と、というか、い、一体なに!?


 俺が緊張で混乱してるなか、加奈が小さな口をパッと開いた。


「卵が半熟でふわふわっ!」

「へっ!?」

「それにソースはデミ系のお手製!」

「お、おう!?」

「すごく美味しいって!」

「う、うん!?」

「そんなこと、言われたらねっ……、頼みたくなっちゃうよ」

「えっ……? …………、あっ、そ、それって、お、俺が昨日……」


 加奈に言ったことだっけ。


 コクリ。


 加奈が察したように頷いた。そして、強めに言う。


「だから、私がオムライスを頼んだのは、太一くんのせいなのっ」

「えっ!? お、おう?」

「なので、オムライスを頼む私は、幼くありません。わかった?」

「ええっ? お、おう?」

「むぅっ、ほんとに分かってるっ?」


 端整な顔が詰め寄ってきた。ちょ!? ま、待て待て待て!?!? 急に距離をつめてくるなって!? というか、別にオムライスを頼むことは幼いと関係なくて!? その、言い方がそう感じたわけで!? って、そ、そんな弁解してる余裕なんてない!!


「わ、分った! 分かりました!!」

「ほんと?」


 止まらない、さらに近づいてきて。俺は声を張る。『止まれ!』という思いものせて。


「ほ、ほんとだから、ほんとです!!」


 スッと、止まってくれた。そして、加奈の閉じていた口が……、そっと開く。


「なら……、よろしい。ふふっ」


 あっ……。


 そこには、楽しげに微笑んでいる加奈がいた。桜の花のように、優しい笑顔がそこにあって。俺の心の中に、華やかに咲き乱れる。

 加奈が不思議そうに小さく首を傾けた。鼓動で俺の体が大きく揺れる。や、やばい、見惚れて身動きが取れない。いやそ、そうではなくて!? ぶ、物理的に近すぎて動けないから!!


「か、加奈……」

「ん? なに?」

「そ、その……、も、もうちょっと離れてくれると、た、助かるんだが……」

「えっ? あっ…………」


 加奈も俺との距離感に気づいたのだろう。慌てて身を引いてくれた。た、助かった。

 加奈の表情は強ばっていた。柔らかな頬は赤らんで。耳も赤く染まっている。お、おいおい、そんな顔されると、声かけづらい。

 俺らは互いに、出方をうかがうばかりで。と、とても、歯がゆい。


「あ~、コホン! コホン!」

「うおっ!?」

「ひゃ!?」


 な、なんだ!? 


 急な咳払いに、俺と加奈は驚いた。その声の先には、


「ふふふっ」


 とても温かい目で優しく見守っている、風花姉がいた。う、うおっ、さ、最悪だ……。一部始終を風花姉に見られてしまった。


「ふ、風花姉、そ、その……」

「むふふっ、じゃあオムライスを作るわねっ」

「つっ!? お、おう」

「2人分、よりをかけて作りますよ~♪」


 えっ? 2人分? いや、俺は別のにしようと。だって、昨日、加奈は確か卵サンドも食べたいなぁ、って言ってたから。俺が頼めばシェア出来る。


「ふ、風花姉、お、俺は卵サンドを……」

「んん? あら、ダメ。太一もオムライスに決まりだから」

「なっ!? いや、でも―――」

「安心しなさい、卵サンドもサービスで付けるわよ。ふふっ、シェアして食べなさいな」


 うぐっ、こういうときだけ感が良いな。


「あっ、そうそう、加奈ちゃん」

「あっ! は、はい!」

「後ろの方にね、チェック柄のランチョンマットがあるの。悪いんだけど、2枚、取ってきてくれるかしら」


 風花姉の指さす先に目を向けると、小さな丸机に、チェック柄のランチョンマットが何枚か重ねて置いてあった。


「わ、分りました」

「あっ、加奈良いって、俺が―――」

「はい、あんたはちゃんと座ってるの」


 風花姉に服の袖を捕まれ、身動きが取れなかった。うぐっ、なにしやがる。加奈はその隙に席を立ち、取りに行ってしまった。

 たく、風花姉、なんで俺に頼まないんだよ。


(ねえ、太一)

(んん?)


 風花姉がカウンター越しに、顔を近づけ小声で話してきた。


(あのね)

(なんだよ?)

(オムライスにね、ケチャップで♡マーク描いていい?)

(!?!?)


 何考えてんだ!? アホか!? てか、これを聞くために俺を引き留めたのか!? 加奈を席から離したのか!? 


(だ、ダメに決まってんだろ!!)

(そっか~、ざんねん)


 全然残念じゃない! 全然だ!!


(ねえ、太一)

(なんだよ……! だから、ダメだって―――)

(不審者のことなんだけどね)

(!?)


 ドクン。


 その言葉に心音が跳ねた。自然と風花姉の言葉に耳を傾ける。


(危険かもしれないけど、しばらくは、加奈ちゃんの送り迎えしてあげてねっ)


 そう言って、風花姉は優しく笑う。たく……、あのな、そ、そんなの、言われなくても、そうするつもりだよ。


(……、あぁ)


 風花姉は満足げに微笑む。そして、


(ねぇ、太一)

(ん? なに?)

(……、やっぱり♡マーク描いちゃダメ?)

(!?!?)


 ダメに決まってんだろうがあああああ!!!!!!!!!


 俺はそう強く顔で、風花姉に訴えたのだった。

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