第9話 加奈との出会いと別れの、思い出

『あの! わ、私! か、加奈かなって、いいます! み、水瀬加奈みなせかな


 初めて出会ったあのころを思い返していた。小学2年生の春。放課後、学校内にあるウサギ小屋の前で、突然声をかけてきた女の子が、加奈だった。


 そのときの加奈はすごく緊張した顔をしていてた。片手には、野菜らしきものが入った小さなポリ袋を持っていて。


 (ああ、この子も、ご飯をあげたくてきたのか)


 俺はそのとき、小屋の金網越しに、人参の切れ端をウサギに食べさせていた。独り占めするのは悪いと思った。


『代わるよ。それじゃ』

『あっ! まっ、待って! い、一緒にはダメ?』

『え? ……何でっ?』


 俺は突然の誘いに、思わず警戒心をあらわにして。だって誘う理由が分からなかったから。俺はこの子の友達でもなんでもないから。


そしたら加奈は、


『わ、私! キャ、キャベツしか持ってないの!! その……、大好きな人参が食べれなくなったら可哀想だから……、一緒に、ねっ? だ、ダメ?』

 

 その優しい言葉を聞いたとき、友達のいなかった俺は強く思ったんだ。


 この子と、仲良くなりたいって。


『……、わ、分かった』

『ほんとっ! ありがとっ! えっと……』

『た、太一。木下太一きのしたたいち

『あっ、うん。ありがとっ! 太一くん』


 何のためらいもなく、嬉しそうに俺の名前を呼んだ加奈はすごく、可愛かった。目を合すのが恥ずかしいほど。


『太一くん? どうしたの?』

『あ、いや、あの……。ウ、ウサギってさ、人参よりも、甘い果物の方が……、す、……。あっ』

『へぇ~! そうなんだっ! じゃあ次はリンゴとか持ってこよっと! ふふっ、教えてくれてありがと、太一く……、あっ、あれ? どうしたの? 顔、すごく赤いよ?』

『い、いや、その……』

『くすくすっ、リンゴみたい』


 そう言って、楽しそうに笑った加奈もすごく、可愛くて。


 これが、加奈との初めての出会いだった。


        *


 お互い生き物好きとあって、仲良くなるのにそう時間はかからなかった。よくウサギ小屋の前で楽しくしゃべって、一緒に帰ったりして。

 小学4年生でやっと一緒のクラスになれたとき、すごく嬉しかったことを覚えている。5年生になっても一緒だったときはお互いにすごく喜んだ。

 でもそんな素敵な5年生の春の終わり頃に、事件は起こった。


『お前らさ、付き合ってんじゃねえの』


 今思えば、そんな風に見られても仕方なかったのかもしれない。普段クラスで目立たない俺達が、度々仲良くしゃべっている光景は。

 俺はそれが許せなかった。加奈と俺の関係を、そんな安直で薄い言葉で決めつけてほしくなかったし、変に引っ掻き回してほしくなかった。

 だから俺はむきになって否定した。


『そんなんじゃない』と。


 冷やかしてくるクラスメイトに、むきになって何度も立ち向かった。でも、それがよくなかった。俺のその反応が楽しかったのだろう。 次第にエスカレートしていく煽り。いつからか加奈にまで及ぶようになって。

 興味本位で、無邪気に残酷なまでに、加奈に詰め寄る一部の男子達。

 止めるようなふりをして、ほんとはどうなのか加奈に好奇の視線を向ける女子達。


 許せなかった。

 

 お前ら、なんで気付かない振りをしているんだ。加奈が今どんな気持ちなのか知ってるだろう。

 取り巻きに囲まれ逃げ場のない加奈。

 必死に場を取り繕うとするも、身をすくめてしまう加奈。


 いい加減に、しろよ。


 止めようと思って、奴らに近づこうとしたときだった。

 揺れている加奈の瞳から、涙がこぼれた。


 止めれなかった。振り上げた拳で、はやしたてている男子を殴ったのを。


 クラス中に響き渡る喧騒。

 人を初めて殴った嫌な感触。

 殴らり返されて、口の中に広がる自分の血の味。


 自分の中にぐつぐつと、永遠に湧き出るかのような怒りにとらわれて、もう自分では止められない衝動だった。でも、


『もうやめてッ!!』


 加奈の大声を聞いて止まることができた。喧騒が嘘のように静まっていく。俺を含め、周りの奴らの視線が加奈に吸い寄せられる。

 顔を強ばらせ、涙目の加奈は、俺を見据えた。強ばった口から、鋭い言葉が飛んできた。


『私は、太一くんのこと、何とも思ってないッ!! すごい迷惑!! ケ、ケンカする太一くんなんて……、嫌い、嫌いッ!!』


 俺の静まりかけていた心が、再びくすぶり始めた。なんだよそれ。俺は加奈を助けるために、やったことなのに……。

 戸惑いと怒りが混じる感情に包まれながら、加奈は俺に、とどめの言葉を刺した。


『私は、太一くんのこと……、大嫌いッ!!』


 熱を帯びていた俺の感情が、一気に燃えたのが分かった。俺はもう、何のためらいもなく、加奈に告げた。


『俺も加奈のこと、大嫌いだよ』


 声音は冷たく、目線も冷ややかだったと思う。でも心は、何もかも焼き尽くすように粗ぶっていて。

 ビクッと両肩を大きく震わした加奈は怯えた目をしていた。そのときの俺はきっと、冷たい目のままだったと思う。

 加奈の見開いた瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。それを合図に、加奈は教室を出ていった。

 一気に騒ぎ始める教室内。加奈を慌てて追いかける女子達。『泣かしてやんの~』と冷やかす男子達。

 もう、俺はなにも考えられなかった。加奈を傷つけてしまった、それだけは、胸を締め付けるほどに分かっていた。

 その日を境に、加奈と俺の間に溝ができた。もう仲良くしゃべることもなくなって。だけどそのおかげなのか、冷やかされることはもうなくて。

 そして夏休みに入る直前、加奈は引っ越してしまった。親の仕事の都合で。

 まだ気持ちの整理が出来ていなかった。だから俺は、見送りの会を仮病で休んだ。そして突然いなくなったかのような喪失感を胸に抱えながら、俺は加奈がいないクラス、学校での時間を静かに過ごした。

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