第4話 今日から始まるアルバイト

「えー、今日から夏休みに入りますが、毎日をだらだらと過ごすことがないように。宿題や部活動などの予定をしっかり立てて――」


 体育館での終業式の後、俺は教室で担任のつまらない話に付き合わされていた。それは同じクラスの奴らも一緒のようだ。先生の話よりも、それぞれ席近くにいる友達と小声で楽しそうに会話をしている。その様子を見るに、夏休みはどこに遊びに行く? とか予定を立てているってとこだろう。

 その雑談風景にしばらく目を向けていたが、特に退屈しのぎにもならなかった。


「ふぅ~……、何してんだ俺は」


 小さく呟きながら、教室の窓の景色におもむろに目を向けた。綺麗な水色の空が広がっている。瑞々しさを感じさせる夏空が、大海原のような美しい景観に思えて、少し楽しい気持ちになってきた。海に生息する海洋生物のように、上空にも多種多様な生物がいたら面白いのにな。

 俺は空想にふける。スカイフィッシュみたいな生き物とか。いやそれは嘘だったからダメだな。空飛ぶペンギンならどうだ。あいつらは両手を羽のように動かして水中を駈けめぐるし。うん、突然変異で空を飛び回るやつがいてもおかしくはない。

 なんだか妙に納得していた自分にハッとする。いやいや、それも実在しない妄想のたぐいだろ。スカイフィッシュと、かわらない。 

 高1にもなって何変な妄想してるんだか……。たく、こんなこと、誰にも言えるわけがない。


(へえ~! 面白いね! 太一くん!)


 急に隣の席から、可愛らしい女の子の声が聞こえた気がした。脳裏によぎる綺麗な黒髪。さらりと揺らしながら楽しそうに笑う、幼い少女の顔。小学生の頃の加奈の表情。

 心音が跳ねた。思わず視線を隣の席に移すと、そこには――、


 「ふへへへへっ……」


 「…………」


 俺のクラスメイトで、一応友達という間柄の、風間祐介かざまゆうすけが、布地の筆箱につけている缶バッチ(2次元の美少女が笑顔の品)を見つめながら、にへらと、口元を緩めていた。


「ん、どったの? 太一よ?」

「いや、……なんでもない。それより、口元のよだれふけ」

「おっ? ふっ……、俺としたことが。カッコわりいとこ、見せちゃったな」


 と、裕介は小声でなんか決め台詞みたいなの言ってきた。顔もどこかすましている。いや、佑介よ、お前はもうすでにカッコ悪いから。たく……、ギャルゲーのヒロインに思いをはせて、楽しそうに口元からよだれをのぞかせるとは、どうかしてる。

 俺は心の中で嘆息しながら、夏空に目を向けた。また、空想の生き物を妄想しようとして、ハッとする。スカイフィッシュとか、空飛ぶペンギンとか……、俺がやってることは、裕介とそう変わらんのでは……。

 そして、脳裏によぎった小学生の頃の加奈の楽しそうな声と笑顔。横の席にいると思って慌てて振り向いた俺は……。

 鼓動が嫌に早くなり、気持ちがずっしりと重い。すごくヘコんでしまった。


「はあ~……」


 思わずため息が漏れる。最近の俺はどうかしてる。まさやんの本屋さんでのバイトを引き受けてからだ。いや、正確にいうなら、まさやんが電話で話していた女性の声を耳にしてからだ。さらに拍車をかけたのは、まさやんがタブレットで見せてきた、加奈の笑ってる、小学生の頃の写メ。


 (太一くん)


 また鮮明に蘇る愛らしい声。気付いたら俺は、口元に手を触れていた。よだれは出ていない。どこかホッとしている自分がいた。って、なにやってんだ……。

 恥ずかしさで全身がざわつくも、運よく学校のチャイムが鳴った。

 一気に騒ぎ出す教室。心のざわつきをかき消してくれたみたいで、ほっとした。

 気持ちを切り替える。


 今日から、夏休み。うしっ! 俺のバイトが始まる!


「うしっ! 俺のギャルゲーライフが始まる!」


 パコーン。

 

「痛い!? 何すんだ太一!?」

「俺の気持ちの切り替えを邪魔したからつい。許せ」

「なんで上から目線!? ちゃんと謝らんかい!!」

 

 筆箱で軽くしばいた俺に、ひっどーい!! 私怒っているんだからねっ!! といった様子で、裕介が頬を軽く膨らましている。つまり、気味が悪かった。まったく、そんなことしてるから周りの奴らは、お前との距離を一歩置くんだよ。

 そんなことを思いながらも、裕介と話している自分に口元が引きつる。席が隣で、何かと話かけてくる裕介に反応していたら、気付けばこんな感じになっていた。今じゃ周りからは、変わった者同士の仲良しさんと思われている。非常に不本意だ。

 

「なあ太一、とりあえずギャルゲー買いに行こうぜ。お前好みのさ」

「いやまて、話が明後日の方向に飛び過ぎだ。なんで俺がギャルゲーを買わなきゃいけない?」

「ん? だって、夏休みは俺とギャルゲー三昧の予定だろ?」

「そんな予定は知らん……。俺はバイトだ」

「なっ!? ええっ!? 太一がバイト!? お前を採用してくれる物好きもいるんだな……」

「なんだその失礼な物言いは」


 俺が睨みをきかすと、裕介はおどけた様子で口を開く。


「だってさ、いつもクールぶって面白みのない顔してるだろ? 面接とか絶対上手くいかなさそうだもん」


 あはははは、と裕介が楽しそうに笑う。悪かったな、面白みがなくて。

 俺は黙々と机の上に置いてある筆記用具やらを片付ける。


「それにしても太一がバイトやるとはね~、何ごとも積極的じゃないお前が珍しいよな~。あっ、もしかして! バイト先に可愛い女子がいるとか!? そうなら、俺も誘ってよぉ~!!」

「近寄ってくんな! 暑苦しい! お前と一緒にするな。まさやんに頼まれたんだよ」


 俺が裕介の顔を両手で押しのけながら言うと、奴は目をくりくりと丸くさせた。


「ん? 師匠のとこ? じゃあ本屋でバイトってことか?」

「ああ。まさやんが沖縄旅行で留守にするから、店番ってとこだ」

「なるほど~。ていうか、まさやん師匠、沖縄行ってんだ~、うらやま。夏、沖縄、ビーチ、そして……、水着のお姉さん方……! くぅ~、師匠!! 羨ましい!! 」


 裕介が両手で自分の体をハグしながら、もだえていた。ダメな大人(まさやん)を師と仰ぐなよ、たく……。

 裕介は一度まさやんと会ったことがある。たまたま俺と一緒に帰宅中、まさやんと出くわしたってとこだ。佑介が俺の友達と知ると、まさやんは強引に俺ら2人を自分の店に連れて行き、そこで、色々と話したことがある。というか途中から、まさやんと裕介だけしか盛り上がってなかったが。たしか、『美人キャラ』と『可愛いキャラ』の定義についてだったか。アホな内容だ。裕介は話が終わった後、なぜかまさやんを、師匠! とか言いだすし。

 なんだか頭痛がしてきた。はあ~、もうさっさと帰ろう。


「おっ! 俺も一緒に帰るわ~」

「お好きに」

 

 教室を出て、廊下を歩いていく。


「ん~、太一はバイトか~、じゃあ俺1人で、ギャルゲー三昧か~」

「画面の女の子と、よろしくやってくれ」

「画面の女の子とか言うなッつうの。か~、これだからモテないやつは」

「裕介に言われたくねぇよ」


 下駄箱で靴を履き替え、校舎から出ていく。周囲は下校中の生徒で賑やかだ。横にいる裕介が、なにやら目を尖らせている。たぶん、男女で一緒に下校しているやつらを見てるんだろ。


「くぅ~……! なぜ俺には、一緒に下校したり、遊んでくれるステキな彼女がいないんだ……。彼女がいない夏休みなんて……、大きらい。そう思わん?」

「俺に同意を求めるな。別にいなくても良いだろ。裕介にはギャルゲーのヒロインがいるんだから」

「それとこれとは話が別だ!!」

 

 裕介がすごく怒ってきた。そんなの知らねえよ……。

 俺が額に軽く手を当てていると、佑介が不満そうに口を開く。

 

「というかさ~、太一は憧れたりしないのか」

「ん? なにに?」

「いや、気になる女子と仲良くなってさ、一緒に遊んだり、それであわよくば、彼女として付き合ったりとかさ」

「……、そういうのに興味はない」

「たく~、太一はすぐそれだもんな~。でも、今までに1人くらいはいるだろ? そういう子がさ。お前は割とイケメンなんだから~。ギャルゲーの主人公をぎりはれるルックスはしてるわけだし。ほれほれ、今度こそ俺に甘酸っぱい思い出を話してみ」


 うりうり、と俺を肘で突いてくる。う、うっとしい……。たく、裕介はほんとギャルゲー脳だけあって、色恋ざたが大好きだ。ほんと、なんで仲良くしてしまったのか。まあ、後悔するも今さら遅いか。

 俺は、いつもどおり裕介に答える。


「いない、以上。んじゃな、裕介。夏休み明けの1ヶ月後に」


 二手に分かれた道で、俺は自分の家へと続く方へ歩いていく。


「ちょいちょい! そんな寂しいこというか普通!? 心の友よ!!」


 俺は無視してすたすた歩いた。すると裕介が声をはる。


「なあ! 時々さ! バイト先に遊びに行っても良いか!! 邪魔はしないからさ~!!」


 どうせダメって言っても、勝手に来るんだろうな……。はあ~……。

 俺は裕介には振り向かず、片手を上げひらひらと振った。


「おっしゃああー! じゃあ俺のギャルゲー進捗報告もかねて遊びに行くから!! 楽しみにしてろよ~!!」


 と裕介の大きく楽し気な声。そんなのはいらない……。ツイッ〇ーとかでやれ、そういうの。 

 俺はため息を付きながら、今日の午後の予定を考える。家に帰って、昼飯食って、んで、まさやんの本屋さんに向かって、開店だな。


(太一くん)


「うっ……!?」


 ふと小学生の頃の加奈の顔が浮かんだ。慌てて頭を左右に振る。


 何してんだ俺、しっかりしろ。


 俺は、裕介とは違うだろ。色恋沙汰に、興味はない。

 そんなことより、今日から本屋での店番だ。


「うしっ」


気持ちを切り替えて、早足で帰宅を急いだ。

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