トラベル・ストーリーズ

片栗粉

シウダ・フアレス1996年

シカリオになったのは、俺が15の誕生日を迎えた翌日だった。


売人だった7歳年上の兄貴は、俺が8つの時に軍の売人狩りで死んだ。銃を抜いたかららしいけど、そんな事どうだっていい。

どっちが撃ってても、どちらにしろ兄貴は遅かれ早かれ死んでただろう。

お袋は売春婦で、フラッカ中毒で死んだ。いつも部屋で酒かヤクか客とセックスをして気紛れに小さな俺を殴ったり蹴るだけだったし、死んだ時はせいせいした。

シウダ・フアレスに生まれた人間は、いつも何処かしらで銃声を聞いていたし、道端に血を流した誰かが転がってるなんてしょっちゅうだ。

みんな何かを抱えてたし、不満だった。怒ってもいた。

その日を生きるのに必死だった。

だから、あの日。

俺は空港の前の通りで馬鹿な客相手に偽ブランド品を売ってる売店のクソジジイから盗んだ古い銃をいつもズボンに差してた。

観光客相手の【仕事】でその日は600ドルくらい稼いだ。もう切り上げようと寝ぐらに足を向けた時だった。

ダサい眼鏡をかけてショルダーバッグを提げた気弱そうなアジア人の男が目の前を通った。手首には高そうな時計。

絶好のカモだと思った。俺は欲が出て奴の後をつけた。

その時に切り上げてりゃ、こんな事にならなかったのにな。


アジア人はマーケットを抜けて、裏路地に入った。オドオドして別の奴らに取られるんじゃないかって心配だった。

そしたら、階段の途中でアジア人が止まった。

絶好の機会だってそっと近づいたんだ。

そしたら、いきなりアジア人が振り向いて、俺のボロボロの襟首を掴み、壁に叩きつけやがったんだ。

さっきまでとは全然違う、鋭いナイフみたいな眼だった。


「なんだ……汚ないガキじゃないか」


完璧なスペイン語で喋る男に俺はビビる所か怒りが湧いた。そうだ、お前も俺をそんな風に見やがって。

だけどそいつの力は強くて振り解けそうにない。

男は忙しなく視線を彷徨わせて、何かを探しているようだった。

だからそいつが見てない時に、俺はそぅっとパンツに挟んでおいた銃を抜き、奴の腹めがけて、三発撃った。

何が起きたのかわからないって表情で、そいつはずるずると膝をついて、横に倒れた。赤い血がじわじわ砂色の階段に染み出して、段差を伝っていた。

けふっとかコホッみたいな変な息を吐きながら、男は俺を睨み付けていた。


「クソガキが……」


その言葉に俺は腹が立って、もう二回引き金を引いた。今度は頭に向けて。

今度こそ、アジア人は大人しくなった。もう弾はなかったし、やっと死んでくれてほっとした。

腕につけていた時計を外してポケットに入れる。それからショルダーバッグを手にした所で、後ろから腕を掴まれた。

振り返ると、黒いジャケットに黒いジーンズ姿の大男が、俺を見下ろしていた。

癖の強い黒髪、濃い無精髭を蓄えた口には、短くなったタバコを咥えて、獲物を目の前にしたジャッカルみたいに、光の無い黒い瞳で俺を睨み付けていた。

俺の本能がここにいたら死ぬと告げていた。全身から汗が吹き出して、歯を食いしばらないと叫び出しそうだった。


「そのバッグは譲ってくれ」


大男は短くそう言った。デカイ犬が唸るみたいな掠れた低い声だった。

俺はガクガクと頷いた。そうするしか無かった。

腕をいきなり離されて、尻餅をつきながら後ずさる。大男はそんな俺に興味すら示さずに、倒れたアジア人の身体を調べ始めた。


「……シカリオ(殺し屋)になりたいのか」


ずっと地面を見てると、低い声が聞こえて思わず顔を上げた。大男はアジア人じゃなく俺を見ていた。

怖かった。

俺の頭の中を見透かしてるんじゃないかって言うみたいな、そんな怖い眼だった。

迷いは許されなかった。

ゆっくりと頷くと、大男はいつの間にか盗ったのか、俺のガタガタの古い銃を差し出して来た。

震える手で、それを取る。

それは初めて手に取った時より、冷たく、重かった。

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