一:鈍感(ニ)
テーブルに座る僕。目の前には、白い皿に乗せられたとぐろを巻く茶色い物体がある。申し訳程度にパセリなんか添えやがって。パセリが可哀相だろ。いや、もっと可哀想なのは僕だがな。なんせ僕はこれを今から食べるか、死刑と言う道を選ばなければならないのだから。
「生きるか死ぬか……」
この言葉を何度も口に出しループさせている。こんなことを呟いたって、誰も救ってくれないことは何となく分かっていた。せめて趣味で便を食べる人間でないことは少しでも多くの人に分かって欲しかったのだ。心だけがそわそわとしている中、目玉は逸らせない皿の上のモノを見ている。
「モモロン兵士は、羊のウンコを食べられるのですか?」
後ろから突然不快になるような言葉を囁かれ、僕は即座に反応する。後ろを振り向くと、豪勢な服を着飾っている黄緑色の髪の男性がいた。 この色は、イリス姫とよく似ている。
「いや……コレは……」
茶色いモノから目を逸してしまったことと、言い返せない質問に焦り、目玉の焦点を何処に定めたらいいのか分からなくなる。この人から見れば、僕はきっとわざとらしいくらい焦って見えているのだろうな。
男性が呆れた様に小さく吹き出すと、テーブルの上にあったその皿を取った。
「とりあえず僕について来ない? 食べるのは今すぐでなくたって良いでしょ」
ああ、あくまで食べなくて良いよとは言ってくれないのだな。それでも男性の猶予の時間に、僅かばかりの感謝をし、僕は二つ返事で返した。
男性に連れてこられた場所は若い女性の多い……いわゆる歓楽街の一つの店だった。若くて可愛らしかったり、美しかったり色っぽい女性方が、僕に猶予をくれた男性にべったりとくっつき、男性を取り合って甘え合戦状態になっている。何て言うか、ドレスだから肌が沢山見えても仕方ないのだが、肉の塊って感じだな。 自分で言うのもなんだが、僕はあまり女性に興味が無い。と言うより、人間に興味が無い。持ちたいとも思わない。
男性にべったりとくっついている女性達は、皆僕を怪訝そうにも見ていた。何せ、テーブルにどうどうと置いているのだから。羊のウンコを。斯く言う僕も男性を怪訝な目で見てしまうけどな。女好きのこの肉を。
連れて来た場所が此処なだけならば全く良いのだが、甘えてくる女性の尻やら胸やらを触りまくっている。それにも関わらず、その整った顔立ちによって女性陣に嫌われるどころか喜ばれている辺りが何とも。
だが、不思議なことにこの人、姫同様に綺麗な目をしているのだよな。最新のカラーコンタクトではあんな風に自然と目をキラキラさせる機能でも付いているのだろうか? ……それは無いな。
「でさ、それ食べる気になった?」
男性が僕にいきなり声を張って問いかけてきた。正直僕に話しかけないでほしい。女性達の痛い視線が幾つも刺さる。
「ま、まだ」
食べる気になんてなるわけがないだろう。俯いた僕の元へと男性が近寄ると、僕の隣へと座る。
「モモロン、ね……」
「はい?」
意味ありげに呟く男性。思わず俯いていた顔を上げると、男性は僕から目を逸らした。ついでに、逸らした方で目が合った女性に手を振っている。器用なヤツ。
「いやお構いなく。って言うかさぁ、もう嫌だって素直に言っちゃえば?」
「無理に決まってるじゃないですか。あんな命令するような変わった方なのです、断ったら殺されるに決まっている」
隣にいる男性を睨んだ。注目されるのは死ぬ程嫌だと言うのに。かと言って、これを食うのも死ぬ程嫌だ。けれど、多くのこの刺すような視線は本当に嫌いだ。反吐が出そうな程に。
こんな所に連れてこられると知っていれば、一人で食べた……いや、それどころか自害でもしていたのだが。
「すみません」
やりきれない思いを押し殺し、何とか掠れた声で謝ってソファに座る。痛い視線が更に鋭くなった様に感じた。 何だ。僕が一体何をしたって言うんだ。僕はただ、皆から気付かれない、空気や幽霊のような存在として生きてきただけなのに。神なんて都合のいいものは信じないが、仮に神がいるのだとするのならば。神よ、これはちょっと都合が悪すぎるのではないか。
「……モモロン、ちょっとついて来い」
僕が怒りをぶつけてしまったせいだろうか。男性の声は低くなり、僕の服を強引に掴んだ。殴られるのか? もう良いさ、どうぞご自由に。神に見放されたのだと言うならば、転生でもして次の世界に期待をかけるとするさ。男性に引っ張られ、僕は外まで歩いていく。
その時、客の会話が聞こえた。
「アイツ、姫様の兄貴にあんなこと言って……あのシスコン兄貴だぞ? それこそ首飛ばして下さいって言っている様なもんだ」
……成程な。どうやら僕は、目の前に神がいたことに気付かなかったらしい。これは、完全に僕のミスである。まぁ、人気のない場所で殺されるのであればまだマシだろう。僕の首が吹っ飛ぶ様は、彼しか見ることが出来ないであろうから。
… … …
人気のない、暗い路地裏へと移動した。男性は、ただ僕の目を見つめる。蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事か。僕はその視線から目を逸らす事すら恐ろしくて、見つめ返すしか無い。武者震いしてきそうだ。が、男性は僕から目を逸らすと、呟くように言った。
「イリス姫が、君を死刑に? ……馬鹿言うんじゃない」
男性は、自分のことのように寂しそうな顔をしていた。同じ母親から生まれてきた兄妹だから、幾らバカみたいな妹でも大切と言うことだろうか。兄には分からないかもしれないが、彼女ならば笑顔で人を殺せる気がする。と、僕は思う。冷徹な目で男性を見ていると、男性は僕の気持ちを察したかのように再度視線を戻した。先程までの弱々しい姿を捨て去り、男性は鋭い目つきで僕へと言葉を続ける。
「モモロンって、姫が名づけたんでしょ?」
「はい」
「モモロンって言うのは、鈍感者って意味なんだ」
いきなりの事実に首を捻る。せめて適当であって欲しかったのだが、あの時から既に馬鹿にされていたのか。僕は、ただ彼女を助けただけだというのに。どちらかと言うと巻き込まれてしまった、の方が言葉的には近いが。
「とは言っても、あの子の造語だがな」
「造語?」
「ああ。あの子に口止めされていたから今まで誰にも言ってこなかったが、君にあの子がモモロンと名付けたのならば良いだろう」
訳の分からない姫様だとは思ったが、造語まで作っていたのか。もしその造語でずっと話していたとすれば、きっと助けた時も彼女が何言っているか全く分からなかっただろうな。それこそ、羊やら人間やらの便を確実に食わされていたのだろう。
「モモロンって言うのは、彼女の小さな頃に作った物語なんだ。少女を救った主人公モモロンは、名前の通り純粋な鈍感者であった。その為、救った破天荒な少女に振り回されながらも、彼女に付き添い、少女と共に人々を救っていく話だ」
「主人公の名前ですか」
「鈍感者。此処まで言っても分からないのか?」
「僕がそのモモロンに似ているのですよね」
「そんなところだ。けれど、お前なら、あの子を支えてやれるとも、僕は思っている」
それはつまり、僕にはこの先部下を辞めると言う手は使えなくなってしまったと言うことか。
「くっそー、物語の奴よりモモロンモモロンしてるなぁ。しゃあないな、もう一つ聞け。そしたら少しはイリスの印象が変わるかもしれないぞ」
敏感な程に僕の感情を察し、男性が苛立ちのこもった顔をしている。この人、本当にあの姫のお兄さんなのだろうか。だとして、何故この人ではなく、イリス姫が王国を統括しているのが疑問でならない。 彼の方が、正直よっぽど賢いだろうに。
「アイツはな、誰にも理解されずに、小さい頃から苦しんで来たんだ」
あの性格じゃあ仕方ないな。そんなこと、口が裂けても言えないが。きっと言わなくても伝わってしまっているのだろう。申し訳ないが、これが大多数の本音だとも思う。
「普通に考えて自業自得だと思うよ。それを怒るつもりは無い」
やはりバレていたか。すみません。
「モモロン、君はこの国をあの若いイリス姫が統括している事を不思議に思わないか?」
「思います」
「それはな、彼女の父親や母親が、彼女のあの読み取れない性格を嫌っていたからなんだ」
「親が、ですか?」
「奇天烈な性格の彼女が原因で、両親は夫婦喧嘩を繰り返したんだ。母親こと、女王は王と離婚し、他の小国の男と再婚した。王は、いやいやながらもイリス姫をメイドに育てさせていたが、持病の病により病死。あの子は、親からも理解されるどころか、愛される事もなくずっと生きてきたんだ。ひとりぼっちで」
「ですが、貴方は姫様のことをご存知ですよね?」
失礼なことだろうと思いつつ、一番引っかかる疑問を突いてみた。兄ならば知っていてもおかしくないが、そもそも本当に兄なのかも微妙な所だろうし。
「ああ。一応兄だからね。けれど、僕は始めの頃は母親側に連れて行かれてね。今はこうして各国を勉強のため行き渡ると言う理由でこの城に居座っているけど、バレたら確実に引きはがされるだろう。近寄ることはままならないのだよ」
「はぁ」
「それに、彼女を知ったのは意外と最近なんだ。彼女の部屋に入れてもらってね。部屋の中にあった彼女の作った物語を見たんだ。その物語には、あの子の本音が沢山詰まっていた。他人には言えない気持ち、人々を笑顔にしたいと言うね」
「笑顔ですか」
正直言って、今の彼女の言う事する事は、寧ろ人を怒らせるようなことでしかない。 人を笑わせようとする気持ちが分からないことも無い。無いのだが、心から笑わせると言うよりは、苦笑いさせるようなことばかり。これを笑いと呼んではいけない気がする。
「けれど、彼女の笑いは理解してもらえないんだ。過激で理不尽な要求だと思うかもしれないけれど、それは君への笑いのパス。だから、嫌なら嫌だって言えばいいし、つっこんでくれたらあの子はきっと喜ぶよ」
便を取り、食うのが笑いのパス? 何だかおかしくないか? それに、位の高い姫が、自分より低い位の部下に本気でウンコを食えと言うから、いじめのようにも聞こえるのだが。
それに、それを理解したところで、男性の言葉に少しの間違いがある気がする。
「そう言えば紹介遅れたね。僕はエロス。よろしくな」
……成程ね。そんな感じの雰囲気してますわ。
… … …
その後、僕とエロス様はイリス姫の下へと帰還した。勿論、羊のウンコを持参して。
「イリス、只今戻ってきたよ」
エロス様と共に、僕は姫の元へと戻ってきた。飛び跳ねる勢いで姫が僕等に近づいてくる。彼女からすれば、目の前にあるドでかい笑いの塊が可笑しくて仕方が無いのだろう。
「モモロン! ちゃんと食べたか!?」
期待の眼差しで僕を見るイリス姫に、僕は真顔で答える。
「いいえ、まだ。どうせ食べるなら、姫様に事実だと分かる様に姫様の前で食べようと思いまして」
「お?」
姫様が一言驚きの声を漏らした瞬間に僕は素手で掴んだソレを食べ、姫様を睨みつけた。驚いていた姫様だったが、やがて吹き出し、笑い出す。
「ぷっ……はは、まさか本当にやってのけるとは! 想像の上を行ったぞモモロン!!」
バチンッと鈍い肉の皮の音がする。僕は笑う姫様の頬に、強くビンタをした。 姫は目をパチクリとさせて、僕を見る。その口元は笑ってはいなかった。
「も、モモロン! お前何をしているんだ!!」
エロス様には申し訳ないとは感じたが、手を出さずにはおれなかった。失礼ながらも、僕を呆然と見つめるイリス姫へと指をさして言う。
「他人にこんな屈辱なことをさせておいて、それが本当に面白いと思いますか? 貴方は面白いかもしれないですけれど、食べる方は笑えないんですよ。まず笑わせるなら、自分から汚れるべきなのでは?」
つい勢いで言ってしまったが、相手は一国を従える王なのだ。こんなことを言った上に、ビンタなどして、俺は殺されに来たと言うのか!? 脳裏に浮かんだ死刑の文字にほんの少し、体が震えた。幾ら覚悟しても、怖いものは怖いのだな。もうなるようになれ! イリス姫を睨みつけた。
すると、イリス姫は僕の食いかけていたソレを奪い、自分の口へと運んだ。それも、大きく口を開けて。目をつぶってじっくりと味わっていた。
「イリスっ!!?」
何度も租借したソレを飲み込むと、彼女は先程以上に笑い飛ばした。
「一本取られたぞモモロン! まさか、ウンコがチョコレートにすり替わっているとは思わなかった」
「ちょ、チョコレート……?」
エロス様は唖然として口をあんぐり開けた。そんなお兄様を尻目に、僕は僅かに微笑んで言った。
「イリス様、本気で笑いを取るなら、コレぐらいしないと」
「モモロン、やっぱりお前は最高だ!!」
彼女は、僕に抱きついてそう叫んだ。
… … …
彼女は愛されなかった。
周りの人間は彼女の繊細さにもしかしたら薄々気付いていたのかもしれない。だからこそ、彼女を強く叱れずにいた。けれど、彼女が望んでいたのは気を使われて優しくされる事じゃない。
違うことは違う。嫌なことは嫌。
単純な彼女は、きっと素直に叱り、正してくれる誰かが欲しいと思っていたのだと思う。
──僕と、同じ様に。
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