モモロン

素元安積

一:鈍感(一)

 思えば、僕の悲劇はとある女性を助けてしまったことから……いいや、とある女性と出会ってしまったことから始まっていた。


 その女性は、黒装束をまとい、足元からその細く白い足を覗かせながら走っていた。そして、その後ろには同じく黒装束をまとった男が六人。男達は、女性を追いかけていた。普通に考えれば、その体力の差は大きいだろう。徐々に男達が女性へと近づいていく。その上、女性の行く先には大きな壁が立ちはだかった。じりじりと詰められていく距離。


「……腹をくくるしかないみたいだな」


女性は、猫のように黄色い瞳を大きく開いて男達を見た。神頼みをする様子もない。まるで、神などハナから信じていないかのようだ。ここ最近の女性で、神を信じない者は滅多にいない。潔い彼女が、僕にはとても魅力的に感じた。こんなにも格好の良い彼女を、このまま放っておくのは罪深い。その時は無意識だったのだが、僕は剣を抜いて男へと迫っていた。


 … … …


「モモロン!」


 黄緑色のサラサラヘアーを腰元で揺らす、可愛らしい顔立ちをした女性が僕を呼ぶ。本当は、僕はモモロンと言う名前では無い。


 僕を適当な名前で呼ぶ彼女の名は、イリス。イリス国の女君主を努めるもの。要するに若き王だ。年齢は二十歳だそうだ。なので、周りからは王でも女王でも無く、姫と呼ばれている。顔も可愛いし、姫の方がしっくり来るからな。


 僕が何故彼女に名前を呼ばれているのか。それは、僕が以前、黒装束の男達に狙われていた彼女を助けたことがきっかけだ。僕は追い詰められた彼女を助ける為、剣や拳で男達を気絶させたのだ。今は彼等もこの城の地下に閉じ込められている。どうやら、彼等は敵国の遣いだったらしい。それはいい。それはいいんだ。問題はここからだ。


 まず僕は、極力人と関わりたくないのだ。そんなことは無理だろうって? そうだな。正確には、なるべく人と会話をしたくない。人の記憶に片隅でも残りたくない。人の下になど絶対に就きたくない。これだ。なので、髪もなるべく大多数のしているザンバラヘアーにし、少し地味に見えるようにと冴えない眼鏡をかけている。


 人間、誰しも皆の前から消えてしまいたい時期と言うものがあるだろう? 誰かと関わることにうんざりした時、他人を信用できなくなった時、自分と言う存在に自信が無くなった時などだ。ちなみに、僕は全てが当てはまっていると思う。そんな僕が、こんな細くて小さな女性の部下になったと言うのだ。それも彼女は、さっきも言ったとおり一国の君主なのだ。断ろうものなら、簡単にくびちょんぱされるだろう。


 何て物思いにふけている場合では無いな。姫がお呼びだ。早く行かないと殺される。僕は彼女の元へと駆け寄り、頭を下げた。


「お呼びでしょうか、イリス姫」

「お呼びじゃ、お呼びじゃ! 全く、何時まで待たせるのだ」


そんなに待たせたつもりは無いのだが。彼女の周りだけ時が早く進んでいるのだろうか? だとしたら、その人より早く進んだ時で早く寿命が来ないものだろうか? 僕は黒々とした感情を渦巻かせる。


「モモロン、ちょいとそなたに頼みを遣わす」


 モモロン。それは彼女が僕に勝手に付けた名前だ。本名は全然違う。何故モモロンなのか。意味は分からないが、恐らくノリだろう。出会って数分で気付いたが、彼女はアホだった。どこら辺がアホかと問われればそれは……。


「モモロン、今から羊のウンコを持って来い!」


イエス。こう言うことだ。


 彼女の要求は、まるで部下を虐める様な、と言うか虐める為の要求なのだ。


 けれど、彼女の部下にと決められた時、彼女に断る事も出来無かった。今更やめたいと言えばあの手の姫だと僕の首をリアルに簡単に吹っ飛ばせるだろうと思うと、強く否定も出来無い。目立ちたくない本能もあるが、それも生きているからこそ思うものだろう? 僕は、まだ死にたいとも思わない。醜い世界だが、美しいものだって無い訳では無い。その一番は、この大地の青々とした景色だろうな。


 話は姫の命令のくだりに戻る。僕は、「嘘ですよね?」と何度か言ってみたが、彼女はバカみたいな笑顔で、「早く持って来い!」と言う。姫らしいしとやかで冗談めいたものではない。言うならば、鼻垂れ小僧のようなバカみたいな笑顔だ。ただし鼻は垂れていない。


 姫に見送られるがまま、僕は城から出て行ってしまった。


 … … …


「……人間で言う検便と一緒だろ!!」


だから人と関わるのは嫌なんだ! 僕はそう思いながらも、気持ちを整理して覚悟を決めた。  


 姫の命令後、僕はひたすら羊を追いかけまわした。だが、アイツらも見知らぬ青年に危機感を感じているのか、必死に逃げまどう。捕まえた! と、思った瞬間に腹を蹴られて逃げられ、挙句の果てに糞を足で投げつけられた。ヤツの便は、僕の顔に綺麗にヒットした。怒りが頂点に達し、ラム肉にでもしてやろうと思ったが、よくよく考えれば姫の命令はこの時点で達成している。


 顔に付いた便を引っぺがし、僕は持参していた黒いポリ袋へと入れる。……凄い臭いだ。これでは、僕が漏らしたと思われていたのかもしれない。


 実際そう思っている人も少なからずいる様で。城下町の人々に冷やかな視線と苦しい罵声を浴びせられながらもイリス姫に羊の便を献上した。こんな風に晒されるとは思ってもいなかった。既に死にたい。美しい湖に沈んで一人死にたい。


 献上後、イリス姫は嬉しそうに微笑み、綺麗な瞳で僕に微笑んだ。そして、一言。


「それではこれを食べてみよ!!!」


 バカみたいな笑顔で言った彼女に、殺意なるものを覚えた。

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