宇宙街

燦々東里

出会いと始まり

第1話 チキュウ

「チキュウオタクのマゴラくん!」

「ダサすぎ! 泣き虫、弱虫のマゴラ! な、エレスー?」

「……ああ。あんなものに熱中する気が知れない」

 スサインの王都ソーシャの一角。人民街の小さな公園で、茶髪の少年マゴラが頭を抱えて蹲っていた。いつものようにテンカンとバゴウに暴力をふるわれている最中だ。三人の中のリーダーで、いじめの主犯者であるエレスは、それを冷めた視線で眺めている。

 二方向から拳や足がやってくるのを、マゴラはただ耐える。前につけられたあざが鈍く痛む。剥き出しの肌に砂や石が食い込む。その上に新しい痛みが注がれる。きっと明日にでもあざは広がり、かさぶたは増えているだろう。青くて、黒くて、赤い。おぞましい見た目。動かすだけで痛い。これ以上増えてほしくない。

 だが耐える。今だけ。無心で。

 いじめっ子というものは反応の悪い相手にはすぐ興味をなくす。されるがままなど普通なら惨めや哀れと思われるだろうし、自分でも感じるものかもしれない。確かに三人に目をつけられたばかりの頃はそう思う自分がいたような気もする。しかし一年以上経った今ではそんな感情は露ほども抱かなくなった。

無心になれば必要以上に傷つかなくて済む。苦しんだ末に見つけた防衛方法だ。

「ん? おい、なんだこれ?」

 テンカンが尻を蹴ってきたところで、バゴウが不思議そうな声を上げる。そして言葉と同時にズボンの尻ポケットから質量が抜けていく。彼の手の中にピープレットがあった。オペラグラスのレンズを五角形にし、潰して平たくしたようなそれ。ある人から貰った大切なものだ。

「見たことないな……。エレスは?」

「僕もない」

「エレスも知らないんじゃ変なものだろ、きっと!」

「……っ」

 バゴウが笑顔でピープレットを持った手を持ち上げる。その次に起こることは容易に想像できた。マゴラの持ち物はゴミと同じ。それだけだ。

 何かを言わなければ想像が現実になってしまう。わかっている。わかっているのに、マゴラの喉はすぼまるばかりだった。脳が青一色に染まっていく。

「飽きた」

 唐突にその場に声が落ちる。

エレスだ。

 エレスは退屈そうに視線を逸らす。その瞳は変わらず冷めている。何を考えているかは読みとれない。助けてくれた……とはさすがに考えられない。

「んー? じゃあ他の場所に遊び行こうよ」

「うん! それがいい!」

 エレスに合わせるのは慣れているのだろう。二人とも特に気にすることなく返事をした。

「行くよ」

「はいな!」

「はいな!」

 テンカンとバゴウはエレスにふざけて敬礼する。バゴウはマゴラを足で突いてから、ピープレットを放り出す。カランという音が耳に入る。同時に砂が体に降りかかってくる。テンカンが砂を蹴り飛ばしてきたようだ。そしてエレスを先頭に三人はその場を去っていく。

 公園の砂を踏みしめる音が遠くなる。三人の気配が無くなるのを待ってからピープレットを拾う。傷がないことを確かめ、砂を落とす。思い出したかのように痛む体を無視して、緩慢な動きで服についた汚れをはたいていった。軽い衝撃に合わせて、首飾りが揺れる。

 少し歪な木彫りの葉が、三枚繋がったもの。

 これは父の形見だという。父はマゴラが生まれたばかりの頃に亡くなった。この首飾りはその父がとても大事にしていたものだと聞いた。

 ぎゅっと握る。

 徐々に心臓の鼓動が落ち着いていく。鼻をすすって目を擦る。すぐに潤う瞳はもう諦め、宇宙街に向けて歩き出した。

 宇宙街はマゴラのお気に入りの施設だ。宇宙と名付けられた広い空間に、惑星や恒星と言うおおよそ丸形の展示物が設置されている。かつては研究施設で、今は博物館となっている。博物館と言っても、もとから得体の知れない建物だったらしく、客足はいつでも薄い。それも好きな理由の一つだ。

 マゴラの住む人民街を抜け、大通りに出る。ソーシャは城下町を中心として、人民街、貴族街、宇宙街、森林街がその周りを囲むように構成されている。マゴラは城下町の塀に沿って進み、エレスの住む貴族街を素通りし、暗い雰囲気の建物の前にたどり着く。

 巨大な円柱型の建造物がマゴラの視界を埋めた。壁面に古ぼけた看板がかかっている。そこには右から読んで『街宙宇』と書いてあった。かろうじて読める程度のものだ。

 慣れた手つきで扉を開ける。ギギギッと耳障りな音が響いた。

 中は外観から想像できる通り薄暗い。中の場合演出なのだろうが、どうも見栄えを悪くしているように思える。それに乗じて掃除を怠っているらしく、埃や蜘蛛の巣がそこかしこにある。

 マゴラは細い通路をとぼとぼ歩いて廊下の先の頑丈そうな扉を目指す。その途中にはカウンターがあって、受付係のサゴンがだるそうに座っていた。そこに目や鼻を赤くしたマゴラが近づく。

「泣いている入場者一名っと……。おい、マゴラ。またいじめられたのか?」

 サゴンは寂しい入場者名簿に、『マゴラ・ハット』と記入する。

「サゴンさん……」

 ずっと鼻をすすると、サゴンは笑みをにじませる。

「毎日毎日泣き虫ばっかだなあ。せっかく入場無料だってのに」

 サゴンがペンで名簿を叩いた。マゴラの名前が連続して書いてある。

 ちなみに彼はこの施設の監視員も務めている。巨大な建物でたった一人の従業員だ。やはり人気がない故の人員数だろう。

「……ごめん、なさい……」

「謝る必要はねぇよ。マゴラは悪くない」

 自分が怒られたように感じて反射的に謝っていた。サゴンは小さく溜め息を吐いて、頭をがりがり掻いた。それから瞼を持ち上げた彼は、マゴラの手に視線を向ける。

「なんだ、今日はえらく大事そうに抱えてんな」

「あ……えっと、はい……」

「……まあ、お前にやって正解だったみたいだな」

 マゴラの歯切れの悪い返事にサゴンは大方の事情は察したようだ。そもそもマゴラがいじめられていることなどとうに把握済みだから予想は簡単だろう。そして笑顔で話題を振ってくれることは、マゴラにとってとても有り難いことだった。出会った当初からこの気さくさは変わらないので、サゴンの前では安心して話ができた。。

「……最初はいいのかなって思ったんですけど、今はすごく……感謝してます」

「そーかそーか。つかマゴラ」

「……はい」

 サゴンがまるで話題を早く変えたいかのように言葉を発する。だが怪訝に思うのも一瞬だった。マゴラはサゴンの視線が鋭くなったことにすぐ気を取られた。

 マゴラの喉が上下する。サゴンの口がゆっくり開かれる。

「やられっぱなしはかっこ悪いぞ」

 そして突きつけられる人差し指。

 何を言われるかと思えばそんなことだ。マゴラは拍子抜けして、寄り目になりながらその指を見つめた。ぽたりと一滴、涙が落ちた。

「いじめられたらな、言い返すんだ。いじめっ子の言葉ってのはどこかに矛盾がある。いじめっ子なんて所詮アホばっかだからな。だが対してお前は十歳のくせに結構頭がいい。いいか? それを生かすんだ。まず……」

 サゴンの瞳からマゴラが消える。完全に語りモードに入ってしまった。サゴンはときおり、否、結構な頻度で語ることに夢中になる。こうなってしまえば最後まで聞く以外の道はない。見えていないのをいいことにその場を立ち去るなど、やってはならない行為だ。そうは言っても似たような話を今まで何回と聞いてきた。

 サゴンの身振り手振りを交えた熱心な演説から目が逸れていく。手持無沙汰で手元のピープレットを眺めた。今やこれはマゴラの宇宙街散策で必須のものとなっている。

 ピープレットを貰ったあの日もたしかいじめられたあとだった。三か月前のことだ。

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