あのさ

中州修一

あのさ

紙の匂いが充満した四角い部屋の中。


部活終わりの俺は持ってきた椅子を彼女の横まで持ってきて、ちょっと躊躇ってから、彼女の真横に置いた。勢いよくそこに座る。

肩が触れ合う。やわらかい肩の感触が制服越しに伝わって、心臓が加速度的に早く脈打つのを感じた。


「あのさ」

「ん?どしたの?」


体は離さないまま、彼女は答えた。

目線は手元の文庫本に落とされていて、こっちを見てはくれない。

しかし距離を取られなかったことに密かに歓喜しつつ、俺は彼女の方を見る。


いつもなら他愛のない話をするが、今日は明確な話題があった。確認しておきたい重要事項だ。


「この前、部活の試合見に来てたよね?先週の、総体」

「あ……気付かれてたのか」


インドア派だと聞かされていた分、彼女を試合会場で見かけたときの衝撃は強かった。


一人で来ているのだろうか、どうして来たのか……聞きたいほどは山ほどある。


「なんで見に来てたの?」

「え、えっと……」


彼女はうーんと思慮顔になると、目を伏せて、声量を落として言った。



「えっと、俊君が……見に来てほしいって」



「え……!あ、ああ!そうだったんだ」


急に出てきたうちの部活のキャプテンの名前に、俺は面食らった。

すうっと体温が下がるのを感じる。


椅子をががっと動かして、彼女から拳一つ、距離をとる。

肩に触れていた所だけが嘘みたいに熱い。


俊か……そうか……そうかぁ……

妙な期待を抱いた俺が阿呆だった。

少しの間を埋めるようにしながら、彼女は言葉を発する。


「私サッカー全然分からないけど、面白かった」

「そ、そうか……それは、よかった」


急に失速した俺は何も話せなくなる。

今日こそは、って意気込んだ分、空振り度合いが半端じゃない。


脳が、口が、自分でもわかりやすいほどに動いていない。完全に期待していた自分を責める声が脳内には響いていた。


「俊は……なんて言ってた?」

「んー……まあいろいろ」


なんとか口が動いたと思ったら、最悪な形で濁された。妙に発言を伏せるという事は、聞かれたくないということだろうか。


不意に、彼女は開いていた文庫本をぱたんと閉じてこっちを見た。大きなその瞳が俺をとらえる。上目遣い気味に彼女は俺に聞いてきた。


「気になるの?」

「いや別に」


嘘だめっちゃ気になる。


「ふーん……ていうか、寒いんだから離れないでよ」


秋も終わりが見え始め、冬も入口に差し掛かっている。

外はすでに夕暮れのオレンジで照らされていて、気温も日中よりもずいぶんと寒くなったが……


「じゃあこれ着ればいい」


なんとなくまた体を寄せるのは嫌で、俺は学ランを脱いで彼女に差し出した。

シャツ一枚だとひんやりと寒いが、さっきまで熱かったから、ちょうどいい。頭を冷やせ、冷静に考えろ、俺。

彼女はそれを見ると一瞬固まって、すぐに俺から学ランをはぎ取りそのまま羽織った。


「……ありがと」

「おう……」


文庫本を制服に包まれた太ももの上に置き、俺の学ランを羽織った彼女は俺の心臓にも心境にも悪影響だ。まるで彼女と付き合っているような、そんな理想のワンシーン。


でもそんなことを想像したって、もはや俺の虚しい妄想に過ぎないことが、たった今証明された。


「それより……いいのかよ、こんなところで俺と話してて」

「え?なんで?」


それがわかったのなら、俺がすることはただ一つ。きっと今頃、俺を追うようにみんな着替えを終え、帰宅の準備を済ませているだろう。

俊も今頃着替えを終え、帰ろうとしているだろう。


俺の考えはどんどん暗い方へと考えを進めていく。


彼女は毎日ここで本を読んでいる。下校時間まで。

今考えると、それもこれも俊の為なのか、と妙な合点がいく。


「俊が……」

「え?なんて?」


悔しくて、口にしたくなくて、認めたくなくて―――

口に出したくないのに、俺の気持ちが言うことを聞いてくれない。


「もう帰れよ。俊がもう……待ってるよ」


語尾が震えた。やばい、バレる……

俺は彼女に背を向けるように体の向きをずらした。


「俊と……彼氏と、もう帰れよ……」


ほぼ、というか絶対にバレてしまった。


彼女に対する淡くて痛い恋心が。俊への醜い嫉妬が。


もう嫌だ……帰りたい……

完全に冷め切った肩に触れる。


―――あぁ、女々しい。


彼女は何も返事を返さない。きっと彼女は呆れているだろう。目の前の男がいきなり背を向け、声を震わせて泣いている。そんな男に対して抱く感情なんて、呆れ以外他ない。


「―――あのさ」


ふと、背中に温かさが戻った。それがすぐに学ランだという事に気が付いた。返されただけだ。きっとそのまま立ち去るんだ。


しかし、次の瞬間―――


「っ……!え?」

「俊君……山田君はね」


背中に伝わるやわらかい感覚、明らかに学ランとは違う、燃えるような熱さ。

そして、自分の腹に回された腕。


彼女は俺に包むように抱擁しながら、俺の耳元で囁いた。


「君がめっちゃ頑張って練習してたから、君のために、絶対見に来てほしい、って言われて……」

「……え?」


鈍器で後頭部を殴られたような、強烈な衝撃が襲う。


「普段は外なんて出ないんだけど……」


そうだ、俺の知っている彼女はあまり外に出るのを好まない女の子だ。


「正直に言うよ、君のことが見たくて。―――観戦に行ったら、もしかしたら話せるかもって思って……見に行ったの」

「え……」


衝撃が通過した後は、俺の心臓が再び暴れだす。こんなに密着されていたら、彼女にも絶対聞こえるほど、鼓動が早い。


「……かっこよかったよ、君の、普段じゃ絶対しない真剣な顔が見れて……なんか、ドキッとした」

「……うん」

「いっつもここで私と話してるときは、いつも無邪気に笑ってるのに。ボールを追いかける時の顔とか、悔しがる時の顔とか……君があんな顔するなんて、全然知らなかった。……すごく、かっこよかったんだ」

「……ありがと」


それくらいの返事しか返すことができなくなっていた。体が硬直して、一方で心臓は暴れて……もう、何が何だか分からない。


「私、もっともっと、君と話したいな。図書室だけじゃなくて、教室とか、学校の外とかでも……どこでも、君といたい」

「……俺も」


動かさないといけない。ここで言わなかったら、きっとこの先何も言えなくなるだろう。

意を決してお腹に回された手を取り、ぎゅっと力を込める。

握った彼女の手は、暖かくて、凍り付いた俺の体を優しく溶かしてくれた。


「俺も、嬉しかった……試合、見に来てるの見て、もしかしたら俺のこと見に来てくれたのかなって思ったら、いつもより頑張れた。」

「……うん」


俺の背中に当てられた彼女の顔が縦に振れるのを感じた。


「だから次は……次の試合の時は、俺が誘うよ。そしたら試合終わった後とかでも、話しかけに行けるし、一緒に帰ったりもできるし」


俺の中の醜い独占欲めいたものが見え隠れする発言も、今では簡単に吐き出せてしまう。

大好きな彼女なら受け入れてもらえる。そう思うと、どんどん言葉が出てくる。


「だから……それくらい、あなたのことが好きです」

「うん、私も」


ようやく、じんわりと胸のあたりに安堵と歓喜が湧き上がってきた。

二人の間にはしばらくの沈黙が漂うが、それが心地いい。

どこからか、チャイムの音がする。もっとこのままでいたいけれど、俺は彼女の手を離した。


「そろそろ……下校時間だ」

「そうだね」

「一緒に帰ろ」

「うん」


そしてすぐに、もう一回、彼女の手を取る。

夕日が沈んで暗くなった廊下は、俺と彼女、お互いの顔を隠してくれた






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あのさ 中州修一 @shuusan

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