『人材派遣会社フレイムアップ』−1

 日本という陸地を敢えて女性に例えるとするならば、ほっそりとした極東の花、とでも評価すべきだろうか。東京という首都を中心に、北と西に伸びた地形が絶妙につりあっている。


 その顔たる東京都の中心部を、まるで首飾りのように取り巻く路線――山の手線。首飾りの宝石を為す二十九の駅には、この経済大国が世界に誇る都市群が鈴なりに連なっている。不景気不景気と声高に叫ばれて久しいはずの二十一世紀にも、この街は旺盛な生命力を誇示するかのように道路を車で満たし、窓から自然のものではない光を放っていた。


 もっとも表現のしようはいくらでもあるわけで、世界中の街をめぐった経験のある悪友のように、『旧来の味のある街をぶち壊して物欲しげにごたごたと高いビルをぶちこんだだけ』と酷評する向きもある。


 それでも、新宿副都心からわずかに逸れたここ、高田馬場の一角は、都市部の猥雑さと人間的な泥臭さが混ざり合って、無期質なオフィス街や空虚な歓楽街とは一線を画していた。そして高田馬場駅と交差する早稲田通りを西に真っ直ぐに歩き、明治通りを越えてしばらく行くと、向かって右側の角に素朴な子育て地蔵がある。


 高田馬場は神田お茶の水と並ぶ日本屈指の古本屋街でもある。子育て地蔵の角を曲がり、そこからさらに一本脇道へ逸れると、そんな古本屋の一つ、『玄星堂』を見つける事が出来るだろう。早稲田通りからは離れて目立たず、わずかな常連さんと物好きな学生しか来ないような、小さな書店だ。ましてや、玄星堂の裏口に二階へと昇る外付け階段の存在を知る者など殆どおらず、仮に知っていたところで興味を持つ者はいないだろう。


 玄星堂の二階はテナントになっており、外付け階段を昇り追えるとアパートの一室を思わせるスチール製の扉が一つ、立ち塞がっている。ここまで昇って来た人間ならば、扉に掲げられたプレートに刻まれた文句を読み、そして、扉を開かずにはいられない。――他に手段が無いからこそ、こんな所までやって来るのだから。


 

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 そして今、毒々しいほどの真っ赤なジャガーが、裏の駐車場に停められ、哀れな犠牲者――つまりおれ――は、こうしてまたもこの扉をくぐる事になったのである。


「やっぱり実家に帰ってるとか言ってごまかそうとしたでしょ?浅葱さん」


 スチールの扉を開けたおれを迎撃した初弾は、この一声だった。


「当たりだったわ。たいした読みねぇ、そろそろアシスタントから調査員に昇格しても大丈夫かしら?」


 そう言いつつ、ジャガーのキーリングを指に引っ掛けながら奥に進んでいくこの女性こそが、おれが所属する人材派遣会社『フレイムアップ』の若き所長、嵯峨野さがの浅葱あさぎさんである。おれ達バイトにいつも「おれ達がろくでもないと思う仕事の最低三割増ろくでもない仕事」を押し付けてくれるありがたい女性である。履歴は詳しく調べたことはないが、おそらく二十五、六才ではなかろうか。一つ間違えば就職活動中の女子大生でもおかしくない年齢だが、黒と赤を基調とした、なんちゃら言うブランドもののビジネススーツ(詳細は聞かないでくれ。おれが日頃買い物に行くところでは売ってすらいないんだ)を難なく着こなし、颯爽とモデル歩きで前へ進んでゆくその貫禄は、まさしく一企業の頭目トウモクに相応しい。


 さらにその容貌は類まれ。妖艶な笑み、肉感的なプロポーション、そして猫科の猛獣を連想させる瞳は同業者から『女豹』の異名を戴くほど。まったくもって非の打ち所のない美人社長なのである、外見上は。おれもかつては、バイト先の美人上司と役得オフィスラブ、などと安っぽい妄想に胸を膨らませたこともあったのだが……。


 まあとにかく、浅葱さん――オフィスでは『所長』で通している――の遠ざかるしなやかな後ろ姿を拝みながら、逃げ出したい衝動を押さえておれも前に進んだ。どのみちこの時点で詰んでいるのだから、無駄な抵抗はしないに限る。


 部屋の中にはグレーの絨毯が敷かれ、事務用のカウンターと観葉植物が玄関と垂直に設置されており、典型的な雑居ビルのオフィスのつくりとなっている。左に曲がって奥に進めば、寄せられた長いデスクに、OA機器と書類とおぼしきものが積まれた”島”が二つばかり見えるだろう。部屋の隅には印刷や読取をマルチにこなす複合機、サーバー。給湯器やら洗面所やらがあるのは当然としても、シャワー室と仮眠室があるあたりに業の深さを嗅ぎ取れるかも知れない。そして事務室の反対側、窓に面した場所の一角が仕切りで区切られ、来客用の応接室となっている。先程の声の主……短い黒髪の少女は、その応接室のソファのひとつを占拠してアイスココアのグラスを抱え込み、ストローをくわえていた。


「ええ、そんなあ。ボクなんかまだみんなに及びませんよ。約一名を除いて」


 言いつつ、視線はしっかりとおれを捉えている。


「やっぱりおまえか、余計な入れ知恵したのは」


 おれは少女の向かいのソファに腰を下ろすと、ワンショルダーバックを隣に投げ出した。グラスごしに勝ち誇った笑みを浮かべてみせる少女。


「入れ知恵も何も。陽司の考えることくらい誰でも読めるよ。にゅーろん、だっけ?あれの分岐が三通りくらいしかないんだよね?」


 どうやら昨日のNHKスペシャル『脳の世界』を観た模様。


「悪かったな。おれにだってバイトをしたくない日はあるんだよ」

「一週間に七日くらい?」


 つやのある黒い髪をまるで中学生のようにばっさりと切り落としているその下からは、季節に見合ったほどよく日焼けした肌と、勝気そうな――というか事実勝気すぎるのだが――黒い大きな瞳がくるくると動いている。


 活力をもてあますように体が動くたびに、某名門女子校の制服であるブレザーのスカートが揺れる。都内に通う女子中学生たちなら誰もがあこがれる(……らしい。女子高生研究家を自称する悪友の言を借りれば、だが。おれには高校の制服などどれも同じに見える)、お嬢様の証なんだそうだ。確かにこいつの実家は士族の家柄とやらで、でっかいお屋敷住まいだったりもするのだ、困った事に。……お嬢様、ってコレがねぇ。

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