第15話 真っ直ぐな道の上 - 03 -
午前授業が全て終わっても、ヴィンセントの気分は晴れなかった。
この頃になると、さすがにヴィンセントの機嫌が良くないことにオリアナも気づき、ずっと気を遣い続けている。
それがひどく申し訳なくて、それ以上に屈辱で、オリアナが教師と話している間に、ヴィンセントは昼食は取らないとミゲルに告げ、中庭に向かった。
少し一人になって、気持ちを落ち着けたかった。そういう時、必ずヴィンセントが行く場所がある。東塔の隅っこにある、小さな談話室だ。
「ヴィンセント!」
これほど空気が読めない相手だとは思っていなかった。
談話室まであと何歩かというところで、ヴィンセントは舌打ち混じりに振り返った。
(追いかけてくるなんて……)
不機嫌さを隠しもせずに、イライラとした顔でオリアナを迎えた。
オリアナは、怒れる牛を前にしたかのように怯え、戸惑っている。
「わからなかったかな? 少しの間、一人になりたかったんだ」
「……お昼ご飯はちゃんと食べたほうがいいんじゃないかと思って。私に怒ってるなら、離れてるから」
「君に怒る? どうして。君ごときに、良いも悪いも、心を動かされたりしないさ」
嘘を審判する神がいたら、ヴィンセントはこの場で処刑を言い下されていただろう。それほどまでに、自分の心と真逆のことを言っていることに気付いていた。
「そうだよね、ごめんなさい。じゃあやっぱり、お昼ご飯は食べてほしい。一人になりたいなら、食べられそうなものをここに持ってくるから――」
「必要無い」
にべもなく断ったヴィンセントに、オリアナは大きなショックを受けた顔をした。
そして、ゴクリと生唾を飲むと、これまで彼女が見せたことが無いほどの、真剣な顔をしてヴィンセントを覗き混む。
「……ねえ、ヴィンセント。もしかして、どこか具合が悪いの?」
「……何?」
「ずっと、どこか悪いんじゃないの?」
「悪いところなら、あるさ」
今は猛烈に、頭と、口が悪い。
きつく接しても追い払えないオリアナに、態度もどんどん悪くなっていく。冷静に自分が見られるだけに、今の自分の不甲斐なさを直視するのは辛かった。
「お家の人には話してる? ……何か、大きな病気が隠れているのかも。検査を、して貰った方がいいんじゃないかな」
その声があまりにも真に迫りすぎていて、ヴィンセントは虚を突かれると同時に、これまで漠然と彼女に感じていた違和感が強くなった。
「君には関係ないことだと思うね」
「……うん。私には、関係無いと思う。でも、ヴィンセントにとっては何よりも大事なことだから……」
「体なんて何処も悪くない。検査の必要も無い」
「わ、わからないじゃん。自分じゃ自覚症状が少ないだけかも。この間も、だるそうだったし」
「あの時も大騒ぎしてくれたが、あれはただの夏バテだ。病気なわけじゃない」
「わかんないじゃん!!」
ヴィンセントはびくりと肩を震わせた。ヴィンセントは――これほどまでに、彼女に不機嫌に接しているというのに――この期に及んで、オリアナが大声を出すなんて、考えたことも無かったのだ。
「わ、わかんないじゃん。わかんないじゃん! もしかしたら……どれだけ近くにいても、もしかしたら、わかんないかもしれないじゃん!」
頭の中を整理することも出来ないほどの激高なのか、子どもっぽい、舌っ足らずな言い方だ。
「私が、私がしっかりしなきゃいけないのに! 私しか知らないのに、私だけが知ってるのに! なのに何も出来てない。一緒にいて、それでどうなるの? 貴方のことを守れてる自信なんて、最初からない! 何処にもない! でも頑張ってなきゃ、守ってるふりをしてなきゃ、不安で息も出来ない」
オリアナの声は震えていた。声だけじゃ無い。体も震えている。それが激しい怒りからなのか、それとも恐怖からなのかは、わからない。
「傍にいても、ずっと不安だった。ずっと怖かった。もうもしかしたら病気が進行してるんじゃないか、他に原因はあるんじゃないか、って……。怖い、怖いんだよ……。もう私は、貴方を失いたくない……もう二度と、貴方の冷たい体を、抱きたくない……。どれだけ疎まれても、どれだけ嫌われても、貴方が生きててくれれば、もう、それでいいから……」
声はどんどん勢いを無くしていき、最後は涙混じりでさえあった。
「何の」
(何の話をしているんだ)
かすれた声が、ヴィンセントの口からぽつりとこぼれた。
オリアナはしばらく両手を握って震えていたが、意を決したように顔を上げた。
何度も口を開き、閉じ、言葉を探すように唇が動く。
「――貴方は、来年の、春に。死んでしまうの」
張り詰めた空気に、ヴィンセントは完全に呑まれていた。
「貴方が死んだ日に、多分私も死んで……人生を、巻き戻ったの。きっと、貴方を助けなさいっていう、竜神様の思し召しだと思う」
ヴィンセントの喉が凍り付き、いつもの法螺話だと笑い飛ばすことも出来ない。
「私は、七歳からもう一度、同じ人生を過ごしてる。でも私は、貴方がどうして死んだのか、それさえも知らなくて……。誰かに殺されたのかもしれないけど、状況的にそうとは思えなかった。だから、きっと病気なんだと思う。でもこれも、確証が無い。何もわからない。だけど、貴方を絶対に助けたい……だから私は、貴方の傍にいるの。何もわからないけど、貴方が舞踏会が終わってすぐの、春の日に死んでしまうことを……私は……私だけが知ってるから……貴方を守れるのは、私だけだから……」
オリアナの目から、絶え間なく涙が溢れている。堰を切ったかのような涙は、彼女が長年この苦しみに一人で耐えていたことを、物語っているようだった。
「お願い、信じてくれなくてもいい。けどどうか、体の検査だけでもしてほしい。私が嫌なら、もう近付いたりしないから。そっと遠くから、見守るから」
信じないわけにいかなかった。
――初めて、オリアナに「お願い」されたのだ。
先ほど、あれだけ打ちのめされた「お願い」を、よりによってこんな場面で、こんな馬鹿みたいな話でされるだなんて、全く思いもよらなかった。
「何故」
(何故、そこまで思い詰める。何故、そこまでする)
たった一人のクラスメイトが死んだことに、それほど悩まなければならないだろうか。「来年の春に死ぬ」という、衝撃過ぎて現実味の無い言葉よりも、余程そちらが気になった。
オリアナは、ヴィンセントの言葉にならなかった思いを読み取ったかのようだった。
濡れた頬を微かに赤くして、最愛の人を思い出すかのような、笑みを浮かべる。
(――嫌だ)
ヴィンセントは耳を塞ぎたくなった。
(この言葉は、聞きたくない)
けれど、遅かった。
もう何もかも、遅かったのだ。
「私にとってヴィンスは……誰よりも、大切な人だったから」
それだけで、十分だった。
オリアナの言う
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