死に戻りの魔法学校生活を、元恋人とプロローグから (※ただし好感度はゼロ)

六つ花 えいこ

第1話 二度目の入学式 - 01 -


 新しい季節を告げる白い雪が舞い、ラーゲン魔法学校の石畳に降り注ぐ。


「ヴィンス!」


 真新しい制服に身を包んだ人々の流れに逆らい、新入学生であるオリアナは走った。十三歳の少女の体は子鹿のように弾み、ミルクティー色の髪はふわふわと揺れ、雪と遊んだ。

 ローファーの踵が石畳を打つ音も、自分の心臓の音にかき消されて聞こえない。


「会いたかった!」


 抱きつく体を、いとも簡単に抱き留めてくれるたくましい腕。嗅ぎ慣れていたシダーウッドの香り。


(あぁ――そう。この匂い)


 どれほど探しても、この匂いをぴったりと探し当てられなかったオリアナは、抱きつくと同時に胸いっぱいに吸い込んだ。

 懐かしい彼のぬくもりと香りに、じんと心が震える。


 ともすれば、この場で泣き崩れそうになる足に力を入れ、オリアナは満面の笑みで彼を見上げた。


「今までどうしてた? 元気だった? 淋しくなかった? ずっと会いたかった。私はね、七歳の時に戻って――」


「申し訳ないが――」


 抱きついていた体から、ひんやりと冷たい声が発せられた。


 オリアナはようやく、いつも・・・と違うことに気付いた。


 いつもなら彼はすぐに抱きしめ返してくれるし、いつもなら優しい声で名前を呼んでくれるし――いつもならこんなに体は強張っていない。


「人違いだろう」


「……え?」


 宝石のように美しい、紫色の瞳が冷たくオリアナを見下ろした。


 抱きついていた手が、いとも簡単に外される。


「待ってヴィンス。どうしたの、私……ずっと今日を、貴方と会える日を待ってたんだよ」


「人を呼ぼうか? 僕にできるのはそこまでだ」


「ヴィンスも戻ったんじゃ、無いの? ……前の人生の、記憶が」


「付き合いきれないな。失礼するよ」


 手にはまだ彼のぬくもりが残っているのに、彼自身はスッとオリアナを避け、人の群れに紛れていく。


 息を呑んで一部始終を見ていた周りの生徒らが、がやがやと騒ぎ出す。

 人々の好奇の視線に晒されながら、腕を外されたポーズのまま動けなくなっていたオリアナは、だらだらと冷や汗を流した。


(まさか……)


 口元をむぐっと引き締める。傍目でもわかるぐらい、オリアナは焦っていた。


 自分がそうだったからと、その可能性を一度も考えたことがなかったのだ。


(――ヴィンスは、一度目の人生の記憶が無い?)


 あの目と声は、そう判断するに、十分だった。






【 死に戻りの魔法学校生活を、元恋人とプロローグから(※ただし好感度はゼロ) 】






 オリアナ・エルシャと、ヴィンセント・タンザインが男女交際を始めたのは、五年生が始まってすぐの、冬のことだった。


 五年生になったら参加を許される、学校主催の舞踏会のパートナーとして、ヴィンセントがオリアナを選んだのだ。


 交際していない異性をパートナーに選んでも問題は無いが、花束を抱え、耳を真っ赤にしたヴィンセントの気持ちを察せぬほど、オリアナは鈍感ではなかった。


 オリアナはヴィンセントの手を取り、ワルツのようにゆっくりと、二人の仲は動き始めた。





 ――なーんてことを、一年生のオリアナは、木の根を股越しながら思い出していた。


「みっ……皆さんもご存じの通り、我が国は慈悲深い竜の加護により多大な恩恵を受けています。はぁ、ぜぇっ――、一つ、豊穣な実り。一つ、天災の少ない愛すべき日常」


 一度受けたことがある授業は中々に退屈だ。


 飽きて昼寝をせずにすんでいるのは、ひとえに体を動かしているからにすぎなかった。


 そう、オリアナは今、鬱蒼と木々が茂る森にいる。


 真新しいローブに身を包んだ、入学間もない魔法使い一年生達が、隣の生徒と楽しそうに話しながら森を歩く。まだ十三歳になったばかりの彼らは、魔法の授業という新しい世界の扉で、心を躍らせている。


「そしてっ、魔法使いたる我々にとって、何より大事なことが――魔力の流れる豊沃な竜道りゅうどうです」


 そのひよっこを引率する魔法史学の教師、ウィルントン女史が、肩で息をしながら説明を続ける。持ち上げるスカートの裾は、落ち葉や土で汚れていた。

 日頃から青白い顔をしているウィルントン先生は、見たまんま、あまり運動が得意では無い。


「地中に広がる竜道に、魔力を注いでくれる愛しき竜は、人間に杖を振い、魔法を唱えることを許してくださいました。つまり――この竜木りゅうぼくの枝を、杖とすることをです」


 この森の中心にある、一際大きな木――竜木の根元に、ウィルントン先生はしゃがみこんだ。


「皆さんちゃんとついて来ましたね? それでは、落ちている枝を拾います。大丈夫、普通の枝と、竜木の枝の違いは、魔法使いとして選ばれた貴方たちなら、一目でわかるはずです」


 ウィルントン先生はポケットからハンカチを取り出し、汗を拭きながら指示を出す。


「貴方たちの杖として、今後一生共に過ごすことになる枝です。手触り、長さ、重さ、好きなものを選んでかまいませんが、くれぐれも慎重に。では、皆さんあまり、離れすぎないように」


 言うことを言い終えると、ウィルントン先生はぐったりと項垂れた。

 少しでも体力を回復しておくつもりなのだろう。なんと言っても、今夜の食事にありつくためには、我々は来た道をまた帰らねばならない。


 他の生徒達と同じく、オリアナは森の地面をしげしげと見ながら歩き始めた。ありきたりな茶色の髪が頬をくすぐる。


 学校の横には、全容を把握できないほど広大な森が広がっていた。希少な植物や、危険性の少ない生物を保護する役目も備わっているが、最も重要な役割はこの竜木の住まいとなることである。


 竜木とは、その名の通り竜に愛された木だ。

 地中に流れる竜道が密集する地に生え、強大な魔力を蓄えている。


 その枝は杖に、その樹皮は魔法陣を描くインクに、その葉は魔法陣を描くための魔法紙となる。


 もちろん神聖な木なので勝手に折ったり、傷つけることは許されない。


 竜木からの恵みは、必ず地面に落ちているものしか受け取ってはならない決まりとなっている。


 手頃そうな枝を探していると、すぐにピンとくるものが見つかった。

 握ってみると、手にしっくりと馴染む。オリアナは苦笑を浮かべた。


 これほど広い森の中――幾百もの枝が落ちている中で――以前の人生と全く同じ枝を選べたことを、強運と呼ぶのか、運命と呼ぶのか、オリアナにはわからなかったからだ。


 ――オリアナは、二つの人生の記憶を持っていた。


 十三歳になったばかりの今生の記憶と、前の人生の記憶だ。


 前の人生も、同じ父母から生まれ、同じ家で育てられ、同じラーゲン魔法学校に入学した。



 そしてヴィンセントと恋人になり――たった十七歳で死んだ。



「あっ、タンザインさん!」


 遠くに見つけた愛しい人を発見したオリアナは、パッと顔を輝かせた。

 対極に、見つけられてしまったヴィンセントはいかにも嫌そうな顔をしている。


 しかしなんの気負いもなくオリアナは近づいていった。ヴィンセントに声をかけようとしていた、周りの生徒達がオリアナを睨みながら去っていく。


 次期紫竜公爵であるヴィンセントは、入学したてだというのに大人気だ。


 紫竜とは、ヴィンセントがいずれ受け継ぐ領地の名である。かつて八匹の竜が守護していたとされるアマネセル国には、竜の名が付く八カ所の領地が、八家の公爵家に代々受け継がれていた。彼らを総称して八竜と呼ぶ。


 だがヴィンセントが人気なのは、何もいずれ彼が受け継ぐ爵位だけが要因ではない。


 高い鼻にすっきりとした顎。威圧感を与えない、柔らかで美しい顔立ち。耳にかかる絹糸のような金髪に、春の陽気を吸い込んだようにキラキラと光る紫色の瞳。


 その佇まいは凛としていて、弱冠十三歳にして、次期公爵としてふさわしい気品が漂っている。


「いい枝、見つかりました?」

「あいにくと、まだ探し始めたばかりでね」


 ヴィンセントが記憶を持っていないと知ってから、オリアナはクラスメイトに留まる対応を心がけている。


 だが、好意は隠しもしなかった。

 オリアナの掲げるヴィンスへの愛はそのまま、彼の傍に近付く理由となる。


「ご一緒しましょう」


 腕を組もうと手を伸ばすが、するりと交わされる。


「いや結構。静かな方が、じっくりと探すことが出来そうだ」


 何度か腕や背を掴もうと躍起になったが、ヴィンセントはオリアナに一分の隙も与えてくれなかった。抱きつくことを諦めたオリアナは、ため息をついてヴィンセントの隣を歩く。


「まぁまぁそんなこと言わず。あ、ほら。これなんてどうです?」


 足下にあった枝を、オリアナは何気無くひょいと摘まんだ。ヴィンセントは胡散臭さそうにその枝を見たが、礼儀として手に取ると、戸惑いの表情を浮かべた。オリアナが渡した枝が、ヴィンセントの手に馴染んだからだろう。


「いい感じです? その顔は、いい感じなんですね?」

「……候補には入れる」

「前持っていたのが、そういう長さだった気がしたんです」

「また君の得意な法螺話か」

 ヴィンセントが美しい顔を歪める。


「このまま歳を重ねれば、君と僕は愛を誓った恋人同士になるのだったかな」


 オリアナの話を、ヴィンセントは彼に近づくための口実のための作り話と思っているようだった。


 前の人生では恋人同士だったなんて突拍子も無い話、そう思われても仕方がないのかもしれない。


「残念ながら、そんな話を間に受けるつもりはないし、君を婚約者候補の欄に連ねてもらえるよう、父に掛け合うつもりもない」


「はい、大丈夫です! 公爵夫人になりたいわけではないので」


 オリアナが笑顔で言うと、ヴィンセントがたじろいだ。


「でも、もう一度、私と恋を始めたくなったら、遠慮せずおっしゃってくださいね。こちらは準備万端で待っていますから!」


「心配には及ばないよ。その両手も下げておくといい」


「あ、自己紹介から始めるべきでしたね! 私はオリアナ・エルシャと言って、誕生日は冬の始月じゅうにがつの五日。身長百五十七センチ、体重はちょっと秘密なんですけど、好きなものは麺類で……」


「残念だな。君に興味があれば、とても有意義な時間だったろうに」


「えへへ。そんなつれないところも大好き。えへへ」


 ヴィンセントは白い目を向けた。いくら拒絶を匂わせても、近づいてくるオリアナにうんざりとしている、という顔だ。


 ――自分が死んだ瞬間を、オリアナはあまり覚えていない。


 なにしろその時、オリアナはヴィンスを胸に抱えていたのだ。息絶え、一欠片のぬくもりも伝えてくれないほどに冷え切った、最愛の彼の体を。


 過去を思い出し、ぶるりと身を震わせたオリアナは、ヴィンセントの腕に巻き付いた。気を抜いていたとばかりに、ヴィンセントはするりと腕を抜く。だがオリアナは諦めない。


 もう一度にじり寄ろうとする彼女から、ヴィンセントはじりじりと後退し距離をとった。

 勢いを付け、ガバリと抱きつこうとしたオリアナを、ヴィンセントはスッと避ける。


「ちょっと……タンザインさん? 淑女に対して、あんまりにも失礼じゃありませんか?」

「淑女には、淑女に対する礼を守っている」

「いやだタンザインさんったら。ということは……もしかしてこれ、求愛のダンスの申し込みでした?」

「照れるな。身をよじるな。明白なことを、わざわざ口にする趣味は無い」

「ちぇー」


 オリアナは唇を突き出した。


 無意識に出る子どもっぽい仕草も、一度目の人生ではオリアナが恥じる度に、「可愛い」と、ヴィンスは言ってくれた。けれどもう、ヴィンセントからそんな甘い言葉も声も出ない。向けられるのは、冷たい視線だけ。


「でも、そんな顔も好き」


「君はもう一度、慎みの必要性を学んでくるべきだろうな」


 ――もう一度。


 もう一度があったから、オリアナは生きているヴィンセントと出会えた。


(たとえ、彼が私のことを忘れていても)



 オリアナは決めていた。


 この人生では必ず、自分が彼を守り抜くのだと。






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