第41話 緊張の一瞬

 その日、マリーは、大きな荷物を持って学院に向かっていた。


「それって、魔法鞄マジックバッグに入らないの?」


 一緒に歩いているコハクが、マリーに訊いた。


「容量の圧迫が凄いからね。それに、何かあった時用に、いろんな器具も持ってきてるし」

「そうなの? 私も持とうか?」

「大丈夫だよ。このくらい持てなきゃ、魔道具職人になんてなれないもん」

「まぁ、師匠も何百キロある鉄の塊を片手で持ち上げてたしね」

「あれは、おかしいよ」


 カーリーは、マリー達の目の前で、何百キロある鉄の塊を片手で持ち上げて、そのまま五百メートル程移動をしていた。幼い頃のマリーとコハクは、唖然としながら見ていた。子供には衝撃が強すぎて、しばらくカーリーに怯えたことは、良い思い出だった。

 いつもよりも遅い足取りで学院まで来たマリーとコハクは、教室に入ると、既に皆が集まっていた。


「おはよう、皆」


 マリーが挨拶しながら入ると、皆も挨拶を返す。


「今日は、遅かったな。というか、その荷物はなんだ?」

「義手とその接続道具。後は、何かあった時用の器具だよ」

「かなり重いな」


 マリーが持っていた荷物を手に取ったアルが感想をいう。アルからしても、マリーが持ってきた荷物は重いと感じる程だった。


「義手はそんなでもないんだけど、器具の方がね。ペンチとかスパナとかドライバーとか色々入ってるから」

「じゃあ、今日が退院なんだね?」


 セレナが、そう言って微笑む。


「うん。そうらしいよ。マニカさんが、一番の重傷だったから、他の人達はもう退院してるんじゃない?」

「結構ひどい事件だったからね。魔物恐怖症になった人もいるらしいよ」

「本当なの、アイリ?」


 アイリの言うことに、コハクが聞き返す。


「うん。噂で聞いただけだけどね」

「魔物恐怖症……軽度か重度かにもよるが、魔物を見るだけで身体が動かなくなってしまう、精神障害か」

「確か、治療方法がないんだよね」


 現在、魔物恐怖症の治療法は確立していない。


「昔、強引に治そうと、魔物の群れに襲わせたら、ショック死してしまったと聞くね」


 リンの言うとおり、医者の一人が魔物恐怖症を治そうと、多くの魔物に患者を襲わせたことがあった。患者は、強固な結界に覆われていたので、怪我を負う心配などは無かったのだが、結界の中で心臓が止まってしまっていた。医者は当然極刑に処され、医学界では、魔物恐怖症は不治の病とされている。


「これからの行事でも魔物関係のものには出られないんだね」

「そうだね。でも、こればかりはどうしようもないよ」

「王城でも、同様のものに悩まされている兵士はいましたわ。本当に怖い経験をしてしまうと、なってしまうらしいですわね」


 マリー、コハク、リリーもそれぞれの反応をする。


「マニカさんは、大丈夫かな?」


 コハクが、心配そうな顔でマリーの方を向く。


「どうだろう。お見舞いに行った時は平気そうだったけど」

「そうだな。今は、意識させない方が良いと思うぞ」

「うん。多分、お母さんが、それとなく確認してると思うしね」


 マリー達が話していると、予鈴が鳴り、今日の授業が始まった。そして、一日の授業が終わる。


「皆さん、先週にお話した魔武闘大会についてのお知らせがあります。開催期間は、来月の十五日から一ヶ月間で行います。学年毎に、トーナメント形式で行われます。そして、各学年で優勝した人同士のトーナメントが行われます。例年、高学年の人が優勝しています。ですが、低学年での優勝も十分にあり得ますので、頑張ってくださいね。六年連続優勝した人もいますから、皆さんもそれを目指していきましょう!」


 カレナが、魔武闘大会の説明をした。そして、その中で全員共通で気になる事があった。


「六年連続優勝って、本当にした人がいるんですか?」


 皆を代表して、マリーが問いかけた。


「いますよ。目の前に」


 カレナが何でも無いように言う。マリー達は、やっぱりかという顔をした。


「ですが、ギリギリの戦いが多かったですね。皆さんも油断せずに、鍛錬はしておいてくださいね。では、今日はこれで終わりです。気を付けて帰って下さいね」


 カレナはそう言うと手を振りながら教室を出て行った。


「先生って、この学校でお母さんの次に強いんじゃ……」

「まぁ、キマイラ相手に一人で無双していたくらいだからな。余程相性の悪い敵でなければ余裕で勝てるだろう」

「カーリー先生は、そんなに強いんですの? いろんなお話を聞きますけど、どれも尾ひれが付いている気がするんですの」


 リリーが、マリーに訊く。カーリー数々の伝説を築いているのだが、どれもにわかに信じがたいものが多い。


「えっと、私が知ってるのは、ビックボアを素手で殴って倒したり、ワイバーンを地上から投げた木で貫いたり、クラーケンを素潜りで捕ってきたとかかな」


 マリーが、エピソードを言う度に皆の顔が驚愕に染まっていった。


「すごいな」

「うん、何が凄いって、魔法を使ったエピソードがないって所だね」


 アルとリンも苦笑い状態だった。


「確かに、魔法を使うことは、そんないないね」

「うん、師匠は何故かいつも素手で解決していた気がする」

「何故ですの?」


 リリーは、なんでカーリーが魔法を使わないのかを訊いた。


「確か……『魔法を使うより早いさね』とか言ってた気がする」

『…………』


 皆の中で、カーリーは異常だということが、完全に認知されることになった。

 皆での話が終わった後、マリー達は寮の方に向かった。寮の前には、カーリーが立っていた。


「おっ、来たさね? また、ぞろぞろと連れているね。入れるのはマリーと助手だけだよ」

「助手?」


 マリー以外の皆が、首を傾げる。


「うん、セレナに頼もうかな。アルくんが良いけど、マニカさんは女性だからね」

「わ、わかった。何するかは分からないけど、頑張る!」

「それじゃ、いくさね。コハク達は、ロビーで待ってるといいさね」


 カーリーは、マリーとセレナを連れて寮の中を進む。


「私は、何すれば良いの?」

「ただのお手伝いだよ。私一人でも出来なくはないんだけど、何かあったときに、もう一人いると助かるから」

「役に立てるかな?」

「一人いるのといないのじゃ、大きな違いさね。本当は、私がやれれば良いんだが、これから仕事でね。マリーのことを頼むよ」


 セレナは、カーリーからもそう言われて、奮起した。


「頑張ります!」

「その意気さね。さぁ、ここだ。マリー、冷静にやればできるよ。落ち着くこと忘れないようにね」

「うん」


 カーリーは、マニカの部屋の前まで来ると、マリーの頭を撫でて、その場を離れていった。マリーは、目の前の扉をノックする。


「どうぞ」

「失礼します」


 マリーとセレナは、返事を聞くと、扉を開けて中に入っていく。中には、マニカがソファの上にいた。


「こんにちわ、マニカさん」

「こんにちわ、マリーちゃん。それと……」

「初めまして、セレナ・クリントンと言います。今日は、マリーの助手としてきました。よろしくお願いします」

「マニカ・カネエラです。よろしくお願いします」


 セレナとマニカの挨拶も済んだところで、マリーは、本題に入る。


「マニカさん。早速だけど、義手の装着をしようか」

「うん、お願い」

「じゃあ、魔力置換からやろう」


 マリーは、魔法陣を刻んだ魔ゴムを取り出す。


「前にやったことだよね?」

「うん。私が、魔力を抜くから、マニカさんは魔力を注いでいって」

「わかった」


 マリーとマニカは、魔ゴムの魔力置換を行った。何度もやったことで、マリーは完全にコツを掴んだので、一発で成功することが出来た。


「よし、じゃあ、義手の装着をしよう。セレナ、手伝って」

「分かった。何を?」

「義手を持ってきて」


 セレナはマリーの指示に従い、鞄の中から、義手を取り出す。


「見た目のわりに軽い……」

「それを目標にしたからね。マニカさん、装着の方法を説明するね」

「うん」


 マリーは、先程使った魔ゴムを手に持つ。


「まず、この魔ゴムで出来た装着用の装具を腕に付ける。これは、ゴムで出来てるから、ちゃんと腕にぴったり張り付くよ」


 マリーが、魔ゴムで出来た装具を、マニカの腕に装着させる。


「キツくない?」

「うん。締め付け感もあまりないよ」

「よかった。魔法陣は、正常に起動してるね。次に、義手の装着だけど」


 マリーは、セレナに目配せして、こっちに来て貰う。そして、義手を受け取って、マニカの腕に近づける。


「マニカさんは、二の腕の途中まで残ってるけど、この義手は肩口まで作ってあるの。二の腕の、この部分が開くから、ここに腕を入れてね。後は、腕に魔力を流したら自動で閉じるから、やってみて」

「うん」


 マニカは、マリーの言うとおりに、義手に腕を入れてから魔力を流す。すると、魔ゴムで作った装具が光り、義手の開閉部分が閉じる。


「どう? 身体の一部が食い込むとかはある?」

「ううん。そんな事はないよ。ただ、少しキツい感じがするかな」

「なるほど。まだ、義手は動かさないでね。セレナ、義手を伸ばして、水平になるように上げてくれる?」

「うん」


 セレナが、マニカに近づき、義手を持ち上げる。マリーは、鞄の中から、いくつかの器具を取りだす。


「少し痛みがあるかもしれないから。その時は遠慮せずに言ってね」

「分かった」


 マリーは、義手の装甲部分を取り外して、中の配線やねじなどを調整する。


「痛っ!」

「なるほど。じゃあ、こっちを調整して……」


 マニカが痛みを訴える度に調整する場所を変えていく。それを二十分ほど行い、義手の装甲部分を元に戻した。


「よし、もう良いよ。セレナ、ゆっくり下げて」


 マリーの言うとおりに、セレナは義手を降ろしていく。


「どう?」

「うん、ちょうど良い感じがする」

「じゃあ、義手を動かしてみて」


 マリーの言葉に頷いて、マニカは、義手を動かし始める。まずは、指先からゆっくり握って開いてを繰り返す。マリーもその様子をじっくりと観察している。

 次に腕を持ち上げる。肘の曲げ伸ばしや、肩の上下などゆっくりとした動作だが、きちんと動いていた。


「すごい……」


 セレナが口元を抑えながら呟いた。


「違和感は?」

「ない……全然……ないよ……」


 マニカの目から涙がこぼれ始める。少しずつ嗚咽も混じってきた。


「あり……がと……わた…し……こんな……」


 マニカは、ボロボロ涙を流していく。嗚咽も混じるせいで言葉が途切れ途切れになる。


「腕が……戻って……くる……なんて……思いも……しなかったから……!」


 マリーは、静かに微笑む。何故かセレナは、マニカ以上の号泣になっていた。


(……うん、感動するのは当たり前だね。腕が義手とはいえ戻ってきたんだから。少し待った方が良いよね。まだ、確認事項が残ってるんだけど……)


 マリーは、脳内チェックリストに、まだチェックを入れてないものを思い出していた。そうして、十分ほど時間が流れた。


「ごめんね。凄く泣いちゃって」

「いや、いいよ。どちらかといえば、セレナの方が泣いてたから」

「うるさい……な。こんなの……泣いちゃう……じゃん!」


 泣き止んだマニカに対して、セレナはまだ泣いていた。


「じゃあ、確認事項を消化していこうか」

「うん」


 そこから、義手の動き、魔力の消費、魔法陣の摩耗具合、装着者の負担などを様々な確認を行った。


「うん、ここまでは異常ないね。これから、定期的に確認するから」

「わかった」

「何か異常があったらいつでも言って」

「うん」

「あと……」


 マリーは、鞄の中から大きめの箱を取り出す。


「これがメンテナンス器具ね。この油を付けた布で表面を磨いてね。後は、二週間に一回くらいのサイクルで、この液体を溜めた所に軽く浸けておいて。この時は、装甲を外してやった方が良いかな。そのための器具はこっちね。図解と説明書は入れておいたから。何かあったら、すぐに言うんだよ? 後、戦闘は、今日から二週間禁止だから。二週間後に、最後の確認をして、大丈夫そうだったら解禁だよ」


 マリーからの言葉を、マニカは真剣に聞いていた。


「うん。わかった。ありがとう、マリーちゃん」

「ううん。じゃあ、私達はこれで行くね」

「うん。また今度ね」

「また今度。セレナ行くよ」

「うん……!」


 帰る頃になっても、セレナは、まだ泣いていた。そのセレナを連れてマリーは、部屋の外に出ていく。最後に、二人でマニカに手を振った。マニカも義手を振り替えして見送った。

 二人が出て行った後、マニカはベッドに横になった。そして、義手を持ち上げて天井に向ける。


「私の新しい腕……少し無骨だけど、細身で元の腕に似てる。わざわざ、私のために、この形にしたのかな?」


 さっきまで止まっていた涙が、またこぼれ出す。


「一生を掛けて返さなきゃなぁ」


 マニカは、手を握る。自分の手だという実感を得るために……


 ────────────────────────


 マニカの部屋を出たマリー達は、女子寮下のロビーまで降りて行った。


「終わったのか。その顔を見るに成功したんだな」

「セレナは何でぼろ泣きなの?」


 アルとコハクが、クッキーを囓りながらそう言った。他の面々もクッキーを囓っている。


「うん。今のところは大丈夫。セレナは、二十分くらい前から泣きっぱなしだよ」

「あんなの泣くに決まってるじゃん!」


 セレナは赤くなった眼で訴えてくる。


「はぁ、緊張した~」


 マリーは、そんなセレナを無視しソファに座り込む。


「緊張してたの? 淡々と冷静にやってるから、自信満々だと思ったんだけど」

「あれは、お母さんに言われたからだよ。あれが無かったら、手が震えてたかもしれないもの」

「さすがは、カーリー先生だね。マリーちゃんの事をちゃんと理解してる」


 アイナの言葉に、マリーは、


「確かに、そうかも」


 と返した。


「さて、少し休憩したら帰るぞ。ずっと、ここにいるわけにもいけないからな」

「そうだね。僕達、男がここにいるだけでも針のむしろになるかもしれないし」


 アルとリンは、管理人に歓迎されたか、ここにいるが、本来であれば即刻出て行かないといけない。


「そうですわね。マリーさんが休み終わったら解散にしましょう」


 リリーの提案に全員が同意する。こうして、マリーの義手作りは、一旦終わりを迎えた。

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