製造番号Mg-J-K-581

とらたぬ

製造番号Mg-J-K-581

 ピョー、と鳴き声が聞こえた。

 つられて頬杖をついたまま窓の外を眺めると、どこまでも高い青空を背景に二羽の鷹が互いに円を描きながら飛んでいた。


 ――さては先輩ですね?

 真っ先にそう考えたのは、私が知っているからだ。……勿論、あの鷹が先輩だとか、そういうことではない。


 あれは先輩が魔術を用いて生み出した生物で、魔導生物とも言う人造の使い魔のようなものだった。先輩はあの鷹の視界や聴覚を借りたり、それなりに複雑な動作を取らせたりすることができるらしい。


 私が気づいていることに気づいた鷹が円運動をやめた。片方は蒼穹を高く昇って行き、もう一方はほぼ地面と垂直に落ちて行く。

 「昼休みに屋上に集合」という合図だった。


 仕事を終えた鷹はまるで初めから存在しなかったかのように空に溶けて――行くはずだったところを、なぜか二羽ともがそれぞれ上下から教室の窓に迫ってきていた。


 思わず、うぇっと声が漏れ、掌から顎がズレ落ちる。

 それで他のクラスメートたちにも気づかれた。教室の各所から悲鳴が聞こえてくる。


 なんと言っても鷹は猛禽類だから、それなりに恐ろしい見た目をしている。それが凄まじい勢いで突っ込んでくるのだから、彼らが怯えるのは無理からぬことだった。


 それに、もしこのままあの二羽が窓にぶつかれば大惨事は免れない。かなりのスピードが出ているから、窓を突き破ってくるにしろ、ぶつかって止まるにしろ、それなりに凄惨な光景が見られることだろう。


 空中で不自然な加速を行った鷹が、矢の如く迫りくる。きっと先輩が何かをしたに違いない。


 冷静にそんなことを考える頭とは裏腹に、身体は無意識に腰を浮かせていた。いやだって、普通に怖いし……。

 衝突の瞬間はすぐにやってきた。


 最早残像が見えるほどのスピードで突っ込んできた二羽の鷹が、窓をぶち破り大量のガラス片をまき散らす。反射的に目を閉じて、ふと、訪れるはずの痛みがないことに気づく。


 恐る恐る目を開けてみると、ガラスは割れてなどいないし、教室内に鷹の姿も見えなかった。


 へ……? と間抜けな声を上げて、教室中から視線が注がれていることに気づく。一体どういうわけか、皆は先ほどまでの怯えようが嘘だったかのように笑みを浮かべていた。ついでにくすくすと笑い声も聞こえてくるのはなぜであろうか。


 困惑する私を尻目に、先生は「寝るのはいいが怪我はすんなよー」と気だるげにチョークを走らせる。

 私は眠ってなどいなかったはずなのに……。


 とはいえ、若干の不満はあれど、納得は得た。空に鷹が二羽浮かんでいるのを見るに、先ほどの一瞬で先輩が記憶の改編やらガラスの修復やらを行ったに違いないのだ。


 ……魔術師という存在がいまだに希少で一般人にはほとんど知られていないとは言っても、あまりにも無法過ぎないだろうか。

 これは一度懲らしめてやらねばならぬと決意して、昼休みを待つのだった。



 気分はデトロイト市警。

 蹴破るふりで屋上の扉を開けると、どこから持ち込んだのか、はたまた自分で作ったのか、先輩はハンモックに揺られて船を漕いでいた。器用ですね、自由か。


 寝ぼけ眼でむにゃむにゃやっている先輩はもとが美人なのもあって非常に可愛いのだが私に慈悲はない。


 教室ではよくもやってくれたな、の気持ちで手錠を造形クリエイトしておねむねむ先輩の手首を捉えた。


「わっ、ほそい……」


 じゃない、そうじゃない。感心している場合か。白魚の如き手をしよって……。


「先輩を逮捕します。罪状はおわかりですね? 皆の前で私をからかった罪です!」


 カシャンと手錠を嵌めると、先輩はようやくまぶたを持ち上げる。


「おや、後輩じゃないか。こんな時間にどうしたんだい?」


 のっそりとまぶたを瞬かせる先輩には、お前が呼んだんだよ! と言い返したいところだが今日はふふんと胸を張る。さあ己の罪を悔いるがいい。手をわきわきと蠢かせ、その柔肌を蹂躙してやる! と構えたところでようやく先輩は手錠に気づいたらしい。


「おやおやぁ?」


 だが時すでに遅し! すでに私の勝利は決まったのだ! と襲い掛かった手が先輩に触れることはなく、代わりに何かが私の全身を拘束していた。


 何とかして抜け出すと、それは主を失ったハンモックであった。私の方がいいとは、愛いやつめ。

 戯れる私の頭上から、ぶつぶつと独り言ちる声が降ってきた。浮遊レビテーションが難しいとは何だったかのか。


「もう造形を使えるようになったのか、我ながら凄まじいなあ。……いやそれにしてもあんなことをどこで覚えてきたんだろうか。

 もしかして性欲が芽生えた……? しかしいきなり同性愛とはなんとも。初めてのケースだが変化は喜ぶべきか……」


 あれあれ、何だかおかしな話になっていませんか。


「違いますからね!? 今のはくすぐり地獄の刑をしようと思っただけでそういうのじゃないですからね!?」


 澄ました顔の淫乱ドスケベ先輩が上下逆さまにこてんと首を傾げる。くそう、可愛いじゃねぇですか。


 当然の如くいつの間にか手錠を外していた先輩に必死の弁明を行い、なんとか誤解を解く。いったい人のことを何だと思っているのか……。いずれ問い詰めてはっきりさせねばならない。


 先輩が用意していた出来立てのピザを食べて一息つき、ようやく本題を思い出す。


「そういえば何の用だったんですか?」


 わざわざ呼び出したのだ、何かあったに違いない。確信する私をちらと見やり、先輩は優雅に紅茶を飲んだ。嚥下に合わせて上下する喉が艶めかしい。いちいちエロいのはなんとかならないのだろうか。

 先輩はくつくつと笑って、夜空のように透明な黒瞳で私を覗き込んだ。


「たった今終わったよ。後輩が健康でいてくれて私は嬉しい。予想外の成長というのもなかなかに楽しいものだね」


 よくわからないことを言う先輩に訝った視線を向けると、何が可笑しいのかまた笑い出す。


「いやあ、うん、自覚がないというのも愉快だ」


 そう言って一層笑うのだから質が悪い。髪に芋けんぴでもついていただろうかと手鏡を確認してみたが何もなかった。


「……何なんですか」


 これでもかと不満を露わにして訊ねると、大草原先輩はぎゅっと目を瞑って息を止める。再び目を開いたときにはいつものミステリアスな顔に戻って、ふうと吐息した。


「ところで後輩。来週の水曜日に魔術の研究発表会があるのだけど、後輩も来ないかい?」


 何でも先輩が新たな魔導生物について発表するのだそうだ。ついに神の御業に達したとか魔術史を塗り替える偉業だとか興奮気味に語る先輩はなかなかに面白い。


 私としても、先ほどの鷹以外にも犬猫やキマイラなんかの魔導生物を見せて貰ったことがあるのもあってかなり興味を覚えた。


「でも、水曜って平日じゃないですか。学校がありますよ」

「突然の局所的豪雨で軽く水没するから休みになるのさ」

「なるほど」


 この先輩無茶するなあとは思うが、だがしかし、学校が水没してしまうのならば仕方がない。

 先輩の申し出を了承し、私はふわふわした気分のままその日を終えた。



 ……さてさて、先輩とのデートには何を着て行ったものか。発表会という場に溶け込む必要を考えるとなかなかに難問である。

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