第35話 追い込み 1
俺が目を開けるとアリスが顔を覗き込んでいた。昨夜はあの貴族の坊ちゃんとやり合った後、北へ200kmくらい飛んで適当なところで夜営したのだ。夜営用のテント、簡易ベッドをアリスに出して貰って、装甲戦闘服だけ脱いで寝袋に入って横になったら俺はさっさと意識を手放した。
不寝番はアリスがいるから心配ない。目が覚めたらもうすっかり明るくなっていた。
『おはよう』
『ああ、おはよう。よく寝た』
伸びをしながらそう言った俺に、
『普通のベッドより、簡易ベッドの方がよく眠れるなんて、お里が知れるよ』
「ほっとけ」
最後だけ声に出して俺は起き上がった。そう言えば宿代は前払いしてあったんだ。キャンセルしても戻っては来ないだろうな。
「夜の間に何かあったか?」
「う~んとね。バッタが2匹」
「バッタ?」
「うん、飛びバッタ。この辺りにもいるんだね」
テントから外に出た。アリスが手早くテントとベッドを折りたたんでポケットに収納した。テントを張った場所から5mほど離れたところに体長50cm程のバッタが2匹転がっていた。既に目はくりぬかれて、魔結晶は回収されている。バッタでは低質の魔結晶しか取れないが放っていくのも勿体ない。特にアリスのポケットが利用できるようになったのだから運ぶ手間を考えなくて良い。こんなクズ魔結晶でも何かに使えるだろう。
「で、これからどうするの?」
軍用携帯食(朝用)で朝食を済ましていた俺にアリスが訊いた。軍用携帯食の時はアリスは横からつまみ食いはしない。
――おいしくないものなんて要らないもん――
ということらしい。どうしても食物から栄養を取らなければならない生き物ではないのだ。
「あいつにたっぷり思い知ってもらわなきゃな。俺にけんかを売るというのが何を意味するか」
「それは分かってるんだけどさ、具体的にどうするの?」
俺は準備しておいたものをアリスに見せた。テディの遺品の一つ、簡易ホログラム再生機だ。
「それ?」
「ああ、こいつにホロをコピーしてくれ」
「でもそれの映写時間は最大5分だよ」
「5分で充分さ。適当に編集してくれ。あいつが俺に斬りかかっている場面を中心に。それに、俺の顔がはっきり分からないような加工も頼む。こいつを街の中、そうだな政庁前の広場にでも設置してやる。繰り返し再生にしてな」
「ウワーッ、悪辣だ~、アヤト。そんなことをすればあいつ街にいられなくなるよ」
「当然の報いだろう。不埒にもお前に手を出そうとしたんだからな。それに金持ちみたいだから街から出ても十分に生きていけるだろう」
アリスは嬉しそうに頷いて、いそいそと簡易ホログラム再生機を受け取り、俺の要望に応えてコピーを始めた。
夕方薄暗くなり始めてから、簡易ホログラム再生機を抱えて俺は飛行魔法でヤルガの10km手前まで飛んだ。そこからは徒歩だ。飛行魔法は周囲に隠れるところもない空中で盛大に魔力を使いながら飛ぶ。ちょっと手慣れた魔法使いならかなりの距離から探知できる。街の警備隊に囲まれてホログラムを再生していたときに居た、あの飛行魔法を使える若い女、彼女ならぎりぎり10kmくらいで探知できるかもしれない。あの中で、――警備隊の兵士や群衆が結構な数いたが――あの女が一番の魔法使いだった。街中には彼女に匹敵する魔法使いがもっといるかもしれない。そう思ったから俺は10kmを残して徒歩でヤルガに近づくことにしたのだ。
降りて先ず装甲戦闘服をこの世界の普通の服に着替える。高空を高速で飛ぶときには装甲戦闘服とバイザー付きヘルメットが不可欠だ。普通の服でそんなことをしたら風にたちまち体温を奪われる。ヘルメットを被ってないと空気の薄い高空では酸素不足になる。それにバイザーを下ろしてないとまともに顔に風が当たって息ができない。普通の服で長時間飛ぶなら高度500m、時速100kmくらいが限度だろう。勿論、どんな服装であっても一時的に高度や速度を上げることは可能だが。
それにしてもアリスのポケットは便利だ。大型輸送機並みにたくさんのものが入る。おかげで背嚢に入れるは本当に必要不可欠で直ぐに使う予定の物だけで済む。軽くなりすぎて頼りないくらいだ。
着陸地点から道をたどるわけではなく手入れされた農地や林を抜けて、10kmを1時間で歩いた。
高さが10mはある市壁の外に佇んで、中の気配を探る。この世界の人間は皆、多かれ少なかれ魔力を持っている。そうであれば分厚い壁越しでも中の様子を探るのは俺にとって簡単だ。前の世界では魔力を持たない人間の探査は大変だった。能動探査でなければ分からなかったのだから。多少とも魔力を持っていれば受動探査で分かる。分厚い市壁越しでも、その向こうに何人くらいの人間がいるのかどの方向にどれくらいの速さで動いているのか、探知することができる。
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