第34話 アビゲイル・メジテ 2

 男が今まで自分が立っていた地点を指さした。そこでその男と兄様の戦いが繰り広げられていた。何かの魔法だろうと私は思った。でも以前に起こった事を再現する魔法なんてあったかしら?少なくとも私は知らない。


 “再現魔法”の中で兄様が無様に転んでいる。何度も何度も男に斬りかかっては躱され転んでいる。兄様の剣はまあ普通だ。人に抜きんでているわけでもないし、劣っているわけでもない。まあこのくらい訓練すればこのくらいになるだろうと思われる水準に過ぎない。だから男に難なく躱されるのは理解できる。でもあんな風に転ぶのは理解できない。まるで後ろや横から強く突かれているようだ。私が見た男の口角は兄様を嘲笑するように上がっていた。


 取り囲んだ群衆から笑いが起きる。兄様がプルプル震えている。兄様が従者に何か言った。従者が手に持った弓に矢をつがえて構えた瞬間男の右手が動いた。瞬きする間もなく短い筒のような物が男の右手に出現し、その筒先から魔力塊が撃ち出された。魔力を火や水に変換するのではなく魔力その物を撃ち出す魔法だった。竜が吐くブレスと同じだ。


「俺に武器を向けると容赦しない」


 弓を射ようとした家人けにんが肩を押さえてうずくまった。壊れた弓が足下に転がっている。


「ジャンポール・メジテに謝罪を要求する」


 男が兄様を指さしながら言った。


「な、なんだと!?」


 警備兵の指揮官があっけにとられたようにそう口にした。彼には信じられないのだろう、平民が貴族に、しかも7家に属する貴族にこんな口をきくなんて。私にも信じられない。しかも貴族が平民に命じるような高圧的な口調だ。


「俺を誣告し、あまつさえ俺に向かって武器を向けた。謝罪を要求する」


「きっ、貴様、メジテ家にけんかを売るつもりか?」


「けんかを売ってきたのはお前の方だ。謝罪しろ」


「捕まえろ!そいつを捕まえろ!メジテ家を侮辱したことを後悔させてやる!」


 男が笑った。これまでこんな笑い顔を見たことはなかった。


「謝罪しないのだな?集まっている群衆と、警備兵が証人だ。お前は俺の正当な謝罪要求を断った。その償いはして貰う」


 いきなり男が上昇した。とんでもない加速だ。あっという間に暗闇に消えたが私には追うことが出来た。男は1000ひろ(1尋≒1.8m)ほど上昇して水平飛行に移ったが、水平方向の加速も桁外れだった。飛竜騎士の出せる加速ではなかった。あの半分も加速したら飛竜の背中から転げ落ちてしまうし、前に展開している風防ももたない。その上ピクシーがその飛行について行けるなんて!

 多分その時私は、口を閉じることも忘れた間抜け面を曝していたに違いない。同時に頭の中で警報がジリジリ鳴っていた。


――あの傭兵はやばい――


 私はそれでも5里(1里=1000尋)の距離まで傭兵の飛行を追った。傭兵はこれも信じられない速度で私の探知範囲を抜けた。


 頭の中の警報は鳴り止まなかった。傭兵を探知できなくなって私は地表に降りた。周りの人垣が私を中心に少し空いている。袖口の刺繍で私が貴族であること――それもこのトラブルの中心にいるメジテ家に属する貴族であること――が周りの民衆に分かったのだ。ローブで隠していたのだけれど、目の前で繰り広げられた情景にそちらに払う注意力が散漫になっていたようだ。触らぬ神にたたり無し、と言うのが平民の貴族に対する接し方だから、これは理解できる。


 さっきの様子から見ると何らかの原因で兄様と男がトラブルになったようだ。それで無様に負けて、腹いせに警備隊を引き連れてあの男を拘束に来たのだろう。そして、もう一度無様に負けたわけだ。まったくジャンポール兄様と来たらとんでもない男にけんかを売ったものだ。


 頭が痛くなってきた。右手の親指と紅さし指を眼窩の外側に当てて揉んだ。あの男の飛行魔法に竜騎士で対抗できるかしら。どんな攻撃魔法を持っているかに依るけれど、少なくとも魔力塊を撃ち出す魔法は持っている。射程は分からないが、狙いは正確だ。厄介な攻撃魔法の一つだ。

 上手く竜騎士で上下左右を囲んでしまうことが出来たら落とせるかもしれない。でもどうやれば囲むことが出来るだろう。

 空を飛んでいると分かる、空中の戦いでは加速と最高速度に勝る方が圧倒的に有利なのだ。そのどちらも飛竜騎士に抜きんでていることを今、あの男は示した。囲むことが出来たとして、11騎の飛竜騎士と引き替えにでもあの男を落とせるかどうか自信がない。


 楽しみにしていた『暁の仔馬亭』での食事だけれど、私はそのまま引き返すことにした。


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