第4話

 高速の出口を抜けるとコンビニに立ち寄り、ひたすら飛ばして走ってきたので一息つく。時間は7時20分過ぎ。少し力を抜けば眠ってしまいそうだ。ホットコーヒーの高いやつとサンドイッチを買って、イートインに腰を下ろす。

「人気ライトノベル、ムジカ・レトリックシリーズが国内では75年ぶりの禁書指定となりました。教育書の大手出版社、芙育出版より発売の累計900万部をほこるライトノベル「ムジカ・レトリックの園」ほか全16冊は、ミスリル経典との類似性があると指摘があり、7年前からカミソリの刃やプラスチック爆弾といった凶器を送りつけられてきたということから、本日芙育出版は無期限の禁書として指定すると発表。第二次世界大戦以降、公において出版が自由とされてきた国内でははじめてのケースとなります」

 イートインの天井から下げられたテレビでは、ムジカレ禁書指定のニュースが流れている。7年前……、シリーズ完結直前のころからひどい言いがかりだ。禁書、ねえ。しょっちゅう読んでいるしでも現実味のない言葉。

「なお……、速報です。いまお伝えしておりました、ムジカレのニュー……、失礼しました。ライトノベル、ムジカ・レトリックシリーズの作者・辺見ユウさんの担当編集者をつとめた上波アゲハさん45歳が、横浜桜木町駅前で刺殺されているのがJR駅員によって発見されました」

 な……!

 椅子が倒れるのも構わずわたしは画面を見上げる。

「ムジカ・レトリックシリーズはもともと……」

 女性キャスターが言葉に詰まる。上波アゲハといえば、わたしも名前を何度も聞いたことがある。電撃文庫を古巣にいくつものメディアミックスを手掛けてきた敏腕編集だ。彼女は出向というかたちで他社の立ち上げに多く携わっており、2016年には電撃から独立。ラノベレーベル林立の戦国時代、火種はいつも彼女にあった。

「すみません、私高校生の頃からムジカレの大ファンで……。続報は届き次第、お伝えします。次のニュースです」

 わなわなと口元を震わせている女性キャスター。涙こそこぼしていないが、目の焦点がうつろで、報道の人間としてはありえない狼狽具合。上波アゲハが、ムジカレに関わっていただって? わたしそんなこと……。

「臨時ニュースをお伝えします」

 突然画面が切り替わる。男性キャスターが別のスタジオで神妙な表情をこちらに向けていた。

「先程、桜木町駅前で、ムジカ・レトリックシリーズの担当編集者が刺殺されたというニュースをお伝えしましたが、同神奈川県の町田市、相模原市、藤沢市でも相次いで二十代の男女が刺殺されているのが発見されました。県警は殺害方法がまったく一緒であることから、同一犯による犯行として特別捜査本部を立ち上げました。犯人はおそらく、ムジカ・レトリックシリーズに関係する人間を殺害対象としている可能性があります。もし、テレビの前で所持されている視聴者のかたがいたら、警察に通報し身柄の保護を……」

 ムジカレに関係する人間が……?

 はっ、とわたしは駐車場に目をやる。クーパーが怯えた目でこちらを向いた気がした。慌ててサンドイッチを口に頬張ると、飲み込む間も無くコンビニを出た。食べながらの行儀悪さも気にせず、わたしは運転席に滑り込み、鍵をかけ、早霧谷に電話をかけた。

「ヒビナ、起きてる!!!!?」

 早霧谷が電話を取った途端、大きな声がでてしまった。

「ん~? あぁ、ちぃ? おはよ」

「おはよ、じゃない! 今すぐ迎えに行くから! ムジカレ全部、まとめて、部屋から出ないで!」

 相模原、町田、藤沢、桜木町。犯人はどうも神奈川県の東側にいるようだ。桜木町で上波アゲハが刺されたのがもし、ついさっき。わたしが足柄でニュースを見たあとのことだとしたら。

「どうしたの怖い声だして」

「いいから! お願いわたしのいうことを聞いて!」

 信号が黄色に切り替わろうとしている交差点に、思い切りクーパーをねじ込んで方向転換する。もし、犯人が、早霧谷がムジカレを持っていることを知っていたら。わたしがムジカレでそのラノ2021の記事を書くことをしっていたら。

 ありえない。

 ありえない。

 ありえないことがありえない。

 対向車線にはみ出しても、ちんたら走っているバスや乗用車をぶっちぎる。先週ゴールド免許になったばかりなのに、いや、そんなことはどうでもいい!

 早霧谷の住んでいるマンションまで、10分とかからなかった。路上駐車上等、早霧谷の部屋番号とチャイムとを連打すると、「はいはい」と明るい声が聞こえてきた。わたしは自動ドアが開ききらないうちに身体を滑り込ませる。

「ヒビナ!」

「ああ、おはようち、むぐっ」

 わたしは早霧谷の身体をぎゅっと抱きしめる。

「よかった、ヒビナ、生きてた」

「苦しい、胸に当たらない」

「うるさいな、ムジカレ持って、逃げるよ」

「え、逃げる?」

 まだ寝間着姿だった早霧谷はわけもわからずスマホだけを持っていたが、しかし玄関には見覚えのあるジュンク堂の不織布袋。中には、文庫本が綺麗に並べられ、もうひとつの袋には、ブルーレイの箱が二つ。ハードカバーの画集と一緒に入っている。

「ありがと、さあ行こう」

 着替えなんてしている暇は無い。幸い土曜日の朝、このマンションの前は人通りがほとんどなかった。だから、早霧谷が恥ずかしい思いをするのはないと思う。

「どうして階段で降りるの!?」

「あんまり叫ばないで!」

 はやく、早くクーパーに……ッ!

 一階のエントランス。ガラスドアの向こうに、一人の細いシルエットが現れた。わたしと大して変わらない、170程度の身長、細身。男か女かわからない。パーカーのフードをかぶって、外の方、クーパーの方を向いている。

 まさか、まさか。

 早霧谷の手をしっかりと握って、まっすぐ通り抜ける。

「Wait a minute.」

 中性的な声だった。鋭く、待てとわたしを呼びつけた。

「手に持っているものを見せるんだ」

 わたしは自分の後ろに早霧谷を追いやり、パーカー野郎と対峙した。手には、鞘に収まったままの刃物を握っている。こいつが犯人か。

「急いでいるので」

「もし、その中身がムジカ・レトリックの園だったら殺す」

 間違いなく、一連の殺人の犯人だった。わたしは丸腰。武道の心得もない。大声は出せるが、それで怯むような相手じゃない。くそッ、色仕掛けさえ使えないじゃないか。

「答えないのか。じゃあ、殺してから中身を」

「うわああああああっ!」

 総重量は3キロ程度か。右手に持っていた袋を振りかぶって投げる。極厚ブックレットとデジパック仕様のケースはそりゃあ重たい。顔面直撃をしようとしたムジカレのブルーレイは、残念ながら振り払われたが、しかし二個目からは逃れられまい。

「あああああっ!」

 ほんのわずかな躊躇。この、わたしが買って読んで貸したムジカレの16冊組文庫本は、もう二度と手に入らないかもしれない。でも!

 ごすぅっ! と気持いい音がして、パーカー野郎の顔面直撃。その隙を見逃さず、わたしたちはクーパーに飛び乗って、急発進した。ラノベみたいな逃走劇だった。


「ムジカレ……」

 首都高速から関越自動車道へと向かうわたしたち。ひたすら溜息しか出ない。早霧谷ははじめのうちはもう二度と口を聞いてくれないのではないか、とばかりに黙りながらスマホをいじっていたが、ムジカレ禁書指定と連続殺人のニュースに震えあがり、わたしにいろいろと尋ね始めた。

「大丈夫、きっとほかの禁書と同じように再販されるって」

「ブルーレイ……」

「あの犯人が捕まれば、誰かが保障してくれるって」

「誰が?」

「えっと……、辺見先生とかぽつねん先生とか?」

「まさか……。あのアマゾンが危険だからと取扱いをやめた商品だよ。もう二度と手に入らないって」

 だからって、投げなきゃ殺されていた。早霧谷が死んでいたかもしれないし、わたしが死んでいたかも。それは勘弁願いたい。

「あっ、でも刺されそうになったら、車の借金もあるのに!って叫んだら生存フラグにならないかな」

「……ばか」

 わたしが無理して冗談を言っているのを早霧谷は感づいているのだろう。そっぽを向いて、笑っている。サイドミラーに、ばっちりと映っていたことは黙っているつもりだ。


 保土ヶ谷から逃げること10時間。うち5時間はわたしの仮眠の時間だ。高速道路というものは、そのインターチェンジ付近に仮眠も取れるホテルというのが案外あるもので、……ラブホテルじゃないよ? ルートインとか、聞いたこと無い?


 とにかく運転して逃げることだけを考えていたわたしの横で、早霧谷は全国で次々と人が刺殺されていく今日未明からのニュースを読み上げ続けていた。

「今、77人」

 夕方になると、亡くなった人たちは誰もがムジカレに関係する人間だということがわかった。出版関係者、デザイン、芙育出版の社員、アニメ会社のディレクター、声優、コスプレ衣装の型紙作家、そして公式で違法と言われているのに同人誌を頒布した同人作家まで。

「日本でこんな宗教テロが起きてたまるかよ!」

「うるさいな。起こったんだから、それでどうするか考えようよ」

 わかっちゃいるけど……。

 警視庁だけでなく、自衛隊も出動しているらしい。群馬、長野、富山と通過し、わたしたちは石川まで戻ってきた。何度目かの休憩で、わたしは早霧谷にある質問をする。一日考え続け、やっと聞く決心がついたのだ。

「ねえ早霧谷」

「なに?」

「あんたさぁ、ムジカレの関係者なの?」

「……そうだよ」

 ためらいはあったが、ここは車内。流石にだれも聞いていない。ただのラノベ読みが殺害されることは無いだろうから、早霧谷も何かしらムジカレに関係しているのだということは明確だ。もし、こいつがぽつねん先生だったら、あるいは辺見ユウ先生だったとしても。事件が落ち着くまでは匿う覚悟だ。わたしだって、親友を殺されてたまるか、という気持が強い。

「ほんとうに、ムジカレの関係者なんだね?」

「だから、そうだって。私も、そしてあんたも」

 わたし? と右手の人差し指を自分の鼻先に向けた。早霧谷は首肯する。

「私よりもあんたのほうがずっと関係者なのかもね」

「は?」

「ちょっとどうしちゃったの。本当に。忘れちゃったの? あんた、あんたは、ムジカレのヒロイン、くれないのモデルでしょうが!」

 

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