第3話
「くれない!」
「だめ! やまぶきそれ以上私に近づいたら!」
弾幕に紅く染まっていく夏空。入道雲のシルエットが地上から見上げると実に不気味だ。
「この空を壊してしまう! レトリックの加護が」
「それがなんだって言うんだよ!」
Fly-Flow-Freiheit。やまぶきの唱えた浮遊の魔法さえ、自ら破壊しても構わないと無人爆撃機を次々と破壊していく。声は届く。姿は豆粒ほどに小さいが、間違いなくくれないが空高くで僕を見ている。定められた音律なんて、ぶち壊してやる。
「カデンツァっ!」
機関砲を放り投げ、やまぶきは“自由律”を取り出した。青白く熱を帯びた巨大な弩。この空の。くれないの。そして、園の掟を食い破るように。
「駄目ぇぇぇーっ!」
「アロオォォォっ!」
朝日に目がくらみ、わたしはサンバイザーを下ろした。東名自動車道、午前5時23分、静岡県田子の浦を走っているときに、朝日が登ってきた。初めての東名自動車道。北陸道や関越道に比べ交通量が異常なほど多い。しかも三車線でトラックもバスもばんばん飛ばしていく。
早霧谷に早く会いにいかなければ、と意気込んだわたし。愛車、オレンジ色のミニ・クーパーに荷物を詰め込んで揚々と走りだしたのは良いのだけれど、まさかガソリンが心もとなく米原で一度下道に降りることになるとは想定外だった。車内での仮眠なんてものも初めてで、肩と首が痛い。濃~いコーヒーをカップホルダーに入れて飲みながらだが、もう三杯目。まだまだ残暑が厳しいとは言え、ハーフパンツの下にストッキングを履いてきてよかった。コーヒーの冷えと冷房で目が覚めるわサービスエリアに何度もトイレ休憩で立ち寄るわ、普段ならもっとゆっくり、朝まで待ってから新幹線で行くのだけれど、今日はどうしてもなるべく早く早霧谷に会いたい。名阪自動車道、東名自動車道とひたすら時速120キロ、BGMは声優野々村あかりの深夜ラジオを撮り貯めたやつである。まかりまちがっても、ユーロービートじゃない。
車がわたしのところにやってきてから三ヶ月も経たないこの時、運転はきっとガチガチに固まっていたんだと思う。取得からだいぶ時間は経っているけれど、ずっとペーパードライバーだから付けなさいってお母さんに言われた若葉マークの影響か、煽られることも、幅寄せされることも、変なナンパとかもなかった。
「じゃあ、あかりの31枚めシングル、アニメ「ムジカ・レトリックの園」2クール目エンディングです。10月10日発売で、「ヒミツ
あかりんの無邪気な声で、確かに言った。
「ムジカ・レトリックの園!?」
過去の番組で、何度も聞いているものをローテしている。だから、パワープレイで流れている曲はたいてい口ずさめるくらいには、あかりんのラジオは聞いていた。
ムジカレの曲をあかりんが歌っていた、だなんて初耳だ。今まで一度も聞いたことのないスローテンポでキラキラとした、どの曲とも違うあかりんの新曲。
「「月の光で 咲く花も その花園には あるのでしょう」」
「えっ」
わたしの知らない歌を、わたしは口ずさめた。ムジカレ一期の、えんじゅやなつめが戦い疲れて、あるいは学園での恋に悩んで園に戻ってくると、必ずそこにはくれないが、セーラー服にエプロンを付けて夕食の準備をして待っている何気ない、それこそエンディング詐欺ともいえる愛すべき日常。二期の分割3クール目以降。原作でいえば梢から先では見ることのできない光景だ。でも、アニメ一期のこのエンディングが世に出た頃のムジカレは、唯一の上下巻でもある、夜と睡が出たタイミングで、まさかあんなことになるなんて……。
一番左の車線に移る。ウィンカーを出し遅れているが後続車もいないし、そんなことを気にしている場合じゃない。新東名自動車道とのジャンクションを越えたところの足柄SAに気持はただただ逸るだけでオーバースピードで突っ込んでしまう。
急ブレーキ!
広い駐車場の入り口で、スキール音を鳴らしてクーパーは止まった。無理なことをさせてごめん。でも、まともな精神状態じゃないのだ。少なくともこのような無理なブレーキは珍しくないみたいで、誰も気にもしていないらしい。
わたしはゆっくり駐車場に停めると、まずタイヤが変なスレ方をしていないかを確認し、飲み終わったコーヒーのカップを捨ててトイレに行って新しいコーヒーを買って、すぐには車に戻らずiPhoneのライブラリを開いた。プレイリストは割と適当に作ってあるが、(サントラ系とか、連合創造とか、第119定期公演とかそういうタイトルに大して関係ないポップスが入っている。ゆえに、連合創造のプレイリストにはディープ・パープルのベスト盤とジョジョのアニメに関係ある洋楽が入っている、的な)好きな作品はきっちりとしている。「涼宮ハルヒ」「よりもい」「中島かずき」的な名付け方の中に。やはり、見つけた。
「ムジカレ」
好きなラノベがアニメ化されて、そしてそのアニメ化は幸せなものだったら。楽曲もたくさん作られて、作詞に畑亜貴が参加していたら。BGMに売れっ子の菅野よう子を連れてこれたら。プレイリスト、作るでしょう。
何度も起こるフラッシュバック。iPhoneに入っている楽曲。確かにムジカレをわたしは所有していたし、読んでいたし、そのライトノベルがすげぇ!に感想文を書いたのかもしれない。でも、どうして。わたしはムジカレを。
運転休憩も兼ねて、ツイッターを開く。こんな早朝に起きているフォロワーなんてあまりいないけど、ニュースとかが時間に関係なく投稿されているから情報収集にはいい時間だ。いや、ニュースサイトを見ろよ。
と。
日本のトレンド ムジカレ 13565件
エンターテインメント・トレンド ムジカ・レトリックの園 8803件
ん!? とムジカレの文字をタップする。今、本当に十分二十分前にムジカレがツイッター民の間で話題になっていたとはどういうことなのか。
その場は、阿鼻叫喚に包まれていた。うわー、とか、やめてー、とか、要領を得ないコメントばかりだ。わたしもきっとそういうツイートしそうだけどやめてほしい。それより何があった。ツイッターじゃだめだ、とグーグルでムジカレを検索。
15分前ニュース ムジカ・レトリックの園 芙育出版社が全冊回収、絶版へ
うわー、やめてー。と現実味のない声を上げてみた。どういうことだ。と、記事を要約するに、海外の過激的な人たちが、自分たちの経典(ミスリル経典というらしい)の教えにムジカレがかぶっていて許さないと、芙育出版社に本物の拳銃を送りつけてきたらしい。講談社や角川であれば気にもしないのだろうけれど、教育書をメインとして扱っている出版社だ。無視したら今後の評判に関わってくるかもしれないし、既にムジカレは終わったコンテンツ。新刊が出るたびに50万部ずつ刷って翌月第二版なんてことはもう無いのだ。
自主回収はするので新刊書店からは姿を消すらしい。でも、古本屋にはいくらでも流れるだろうし、アマゾンだって……。
「全巻セット16万円!?」
中古のもの、サイン本とか初版とかじゃない。既にキンドル版のムジカレは絶版で取り扱いをやめている。おいそれと手を出せるものではない。単巻ごとでも一冊一万円を越えたし、それすら目の前で消えていった。売れたのかどうか、わからない。ただ、次のタイミング。画面がエラーになった。アマゾンが、ムジカ・レトリックシリーズを消したのだ。視線を今度はツイッターに向ける。
「そもそもムジカレを売りにだすラノベ読みなんていないよね」
「ムジカレ、メディアミックスの完成度が高くて中古品で見たこと無い」
「芙育出版社って、結局二次創作を禁止していたんだよね。見せしめで裁判やってたし→http://~」
「ムジカレ全部もっているオタク大勝利」
「ここで、2年生編と3年生編どれも併せをした2012年の写真」
にわかに、眠っていたと思われるオタクたちがムジカレを語り始めた。公式で二次創作を禁止する、ってすげえな。でも、ムジカレの世界観は辺見ユウ以外が触れるなんて禁忌だとわたしも思うから。
いや、さっきから何なんだ。読んでいないはずなのに、次から次へとわたしの記憶を掘り起こしていくこの感じ。むしろわたしに何があったのかを知りたいくらい。いや、知らなきゃいけない。そのためには。
コーヒーはまだカップに半分あるが、それを掴んでクーパーへと向かう。今すぐにでも早霧谷に全部返してもらわなければならないのだ。電子書籍でも、おそらく永遠に買うことができない。そして、中古書店に出ることも考えにくい作品。
とにかく早く読みたい。とっくに目は醒めていた。
いや、そもそも考えると、そのラノに記事、出せるんだろうか。
「うるせえや」
アクセルをふかせながらわたしはつぶやく。
「わたしが読みたいんだ。誰がなんと言おうと、世界がどうなろうと」
保土ヶ谷はもうすぐそこだ。
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