翼を求めた人魚姫

倉石ゆら

僕のお姫様の話


僕の一番古い記憶は、母二人に見守られ、君と波打ち際でいつ壊れるか分からない砂のお城を作ってるところだ。

波に浚われてはまた作ったり、気分のままに海に飛び込んだりして遊んでいた。

君の方が泳ぎは得意だったから、僕はついて行くのに必死だった。それでもなんとか追いつこうと頑張ったのは、太陽と海の反射でキラキラと輝く君の笑顔が見れることが好きだったからだ。


僕らは小学生になり、中学生になる頃には一緒に海へ行くなんてことはなくなった。

母達が幼なじみということ以外の繋がりはなくて、

学校であっても一言二言交わすくらい。それが自然で、目の隅に笑ってる君がいるとなんとなく安心していた。なんとなくだけど、君もそれが自然でそのままでいいと思ってたんじゃないかな?


その僕の中の安心材料に異変が起きたのは高校一年の六月。

クラスこそ違うものの、神の測らいか、母たちのいたずらか同じ高校に進学した僕らは、お互いを大切な幼なじみとして位置づけていたように思う。


何か困ることがあったら、まず浮かぶ人物というような。教科書の貸し借りや分からないことを共有する。そんな平凡な高校生活がスタートしてたはずだったのに。

その六月の初め、君は僕になんの報告もなしに学校を休んだ。

帰宅して母に問い詰めれば、部屋から出てこないらしいとの話。

ただの風邪だと思ってたけど、風邪の日だって僕に一報「今日は休むから」と連絡はあった。

なぜだか、荒波が目の前で蠢いているような気持ちになった。玄関で方向転換し、向かう先は決まっていた。


インターホンを鳴らすと君の母がいつもよりも眉を下げた表情で出迎えてくれた。

「あのこのことでしょ? 私が言ってもなんの返答もないのよ。ちょっとお願いね。私、スーパーいってくるわ」

「…そうなんだ。わかったよ。」

僕は簡単に返事をして、君の部屋へと直行した。


トントン


ノックには返答はない。

「おれだけど、入るよ?」

数秒の沈黙…いったいなんだって言うんだ。不安と焦りでもう一度ノックしかけたとき

「いいよ。はいって。」

紛れもない君の声で入室の許可がおりた。


ドアを開けると、もう夕方も晩に近いというのに、君はパジャマらしき部屋着のままベッドの上に座っていた。髪もとかされていない、寝癖がついたままだった。

本当は、驚いていた。けれど、君まで警戒しないように、僕はいつも通りを徹底した。


「風邪じゃないだろ、なんかあった? ていうか、ちょっと外の空気吸った方がいいぞ」


許可もとらず、窓を開ける。決して心地よいとは言えない湿った風だったけど、あの密閉された空間よりは幾分マシに思えた。君は、それでも口を開こうとはしなかったね。


「んー、なんかヒントちょうだい」

少しでも、重たくならずに話せるようにそう願って出た言葉。



「…もう、死んでもいいかな」





僕の中の想定をゆうに超えてきた。今度は二人でだんまりだ。まずい、このままでは埒が明かない。


「久しぶりにさ、海でも行かない?

というか行こう!ほら立って!」


手をとると君は、なぜ?という表情を浮かべながらもついてきてくれた。


連れて来た海で二人でぷかぷか浮かんでいた。

初めは見ているだけだったんだけど、

君がずんずん波をかき分け進んで行くから、入水自殺でもすんじゃないかと、僕は君の手を握ったまま離さなかった。それを君は振り払おうともしないから、結局二人、手を繋ぎ仰向けでぷかぷかと浮かんだ。海水浴にはまだ早すぎた海はひんやりと僕らを包む。




「あのね……死にたい」


と言った君は泣いていた。

産まれてからこれまで君と過ごす中で僕は知っていた。君は傷つきやすく心が脆かった。

でもその分、誰よりも優しさがあった。情が深いのもいい所だと思う。


その優しさから時に頼られ、感謝されることもあっただろうが、人というのは一般的には非情な生き物だと君は思っていたよね。

いくら与えられるものがあれど、そこに無限の感謝などはないのだから。

そんなことを嘆いていたことを思い返す。

沢山のそんな人々に君は出会い、別れ、傷つき、疲れ果ててしまったらしい。



僕にはわからないけど、君は傲慢だったのかもしれない。人に求めすぎていたのかもしれない。己が人に与えるものに、どこかで見返りを求めていたのかもしれない。

自分にはそれが出来るのに、なぜ人は私にしてくれないのだと。


少し成長した君は、そんな自分にも嫌気がさしていた。なんて強欲な醜い生き物なのだと己を責め続け、

その罰として己に傷をつけた。

傷には気付いていたけど、僕はそばにいて見て見ぬふりをするしかできなかった。


それでも、たまに触れる人の温もりに

まだ生きていよう。と自分を律し、時を過ごした。





あの一緒に海に浮かんだ日から2ヶ月ほど経ったある日、君はとうとう壊れた。


空を見つめる目も、僕と話をしている時の目も、全てがどうでもいいような目をしていた。

本当に、なにもかも。


まず最初に

君は、物を食べることを辞めた。


次に、人に会うことを辞め、自分を着飾ることを辞め、話すことを辞めた。

幸い、僕だけはなぜか会ってくれてたから僕は覚悟を決め始めてた。



君は常に考えていたことを時々話してくれた。


「死んだら肉体は燃やされてなくなるでしょ。

でも魂はどうなるの?」と


僕は無宗教だし、死んだ後の魂のことなんて考えたこともなかったから、ただ君の話を聞いていた。


跡形もなく消えるのか、どこかの身体へとリサイクルされ別の人生を歩むことになるのか…それとも、天の国へ導かれ温かみの中へいけるのだろうか。そこに自我や己の意識はあるのだろうか。


君は生命というより、魂と向き合ってるみたいだった。



「天国なんてきっとないよ。そんなものはない。」


君がどんな反応をするのか見たくて、わざと投げやりな調子で僕が呟く。

生きるという方向に少しでも進んでくれないか、僅かな期待もあったと思う。


「それなら…私ね、天使のようなものになりたい。

大切な人達を見守っていたい。」


もう、君には己が生きていると選択肢はなかった。

ただそれだけが願いのようだった。





食事をしなくなった君の背は、

骨が目立つようになった。

君はそれを見る度、安堵しているようだった。


「あ、みて…私もう少しだよ」


得意げに恥ずかしげもなく僕にその背を披露する。

僕は、それに淡々と応じる。


「うん、そっか」


浮き出た骨は小さな翼に見え、天使に近づいている気がするらしい。



しかし、周りの人がそれを黙って見ているわけがなかった。



数種類の薬を飲ませ、カウンセラーのもとへ連れていき、無理にでも食べさせようとした。


君の考えることなど、誰も理解出来なかったのだ。




あるとき君は、カウンセラーに告げられた。


「死んでもね、天使にはなれないんだよ。周りの人を見守りたいのなら、人として生きよう。」






君には絶望だった。






いつ間にか信じていた。

己が天使になる道のりを進んでいるのだと。


それが君にとって唯一の救いだったのだ。

その細い線を、今、容赦なく、ぷつんと音をたて切られた。





「人として生きてたってダメなのに、私が生きてたって疲れるだけ。私も、みんなも。何にも害のない天使になりたかったな。それだけなのに。最後の望みでさえ叶わないんだね……。」



僕は君が泣くと思っていたけれど、

そんなことはなかった。

うっすら力なく笑みを浮かべる君は

このまま消えてしまいそうなくらい綺麗だった。



病院からの帰り道、僕らは初めて

いや、正確には男女の意識を持ってから初めて

手を繋いで歩いた。


想像よりも肉がなく、骨ばった手

あまり強く握らないように気をつけた。

僕の手の中で折れてしまいそうで怖かった。



「ねえ、海に寄っていかない?」


久しぶりの君からの提案に僕の答えはもちろんYESだった。



手を繋いで、もう日が沈んだ浜辺を散歩する。

数十メートル先にいるサーファーに僕らはどう見えているんだろう。


まあ、なんだっていい。

きっと何にも当てはまらない。



「最後にわがまま言ってもいい?」




と言う言葉に強くひっかかったが

とりあえず、聞いてみる


「僕が嫌だって言うことはないって思ってるでしょ」


「…うん」


暫くの沈黙、海岸線の端の方まで来ていた。

薄暗い初秋の空は君がどんな顔をしているのか、だんだんと見えずらくしていた。



「キス、してほしいの」


一瞬耳を疑った、僕らはそんな関係じゃない。

手はつなぐけど…いや、僕らの関係に名前やルールなどなかった。

それに気付いてからはすんなりと受け入れられた。


足を止め、君と向き合う

いつの間にこんな小さくなったんだろう。

頬や首に触れても皮のすぐしたに骨がいることが分かる。


「目、とじてよ。」


唇が重なる、そこだけは自然の柔らかさを保っていた。


「僕は君が大事だよ。だから誰よりも、君を尊重する。」


僕が抱きしめてからそう言うと、ふふと笑いながら


「ありがとう」


と僕の胸に顔を埋めたまま君は呟いた。

もう折れてもいいやと思いながら、僕はできるだけ優しく抱きしめた。







君は死んだ。大好きな海へと消えていった。


やせ細った背中をピンと伸ばして。


波で濡れ布が張り付いた背には、あのとき確かに翼が見えた。



それは、願いが魅せる幻覚か

波の飛沫の悪戯か


はたまた、天使になった瞬間だったのだろうか。



これは、僕だけの人魚姫が生きていたというお話。

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