第2話
深夜二時ごろ。
ふと目を覚ましたユリアは、机の上に立てかけたままの鏡がぼうっと光っていることに気がついた。
(え……? なに……)
あの辺りに、なにか光るものでもあっただろうか。
ガウンを羽織って鏡の前まで行ってみると、それは何かの光を反射しているというよりも、鏡面自体がぼんやりと発光しているようだった。
それだけでも十分に不気味な話だが、さらに奇怪なのは目の前に映る人影が、自分のそれとは明らかに異なっている点である。
広い肩幅。短い髪。
輪郭はぼんやりとしているものの、これは明らかに男性の影ではなかろうか。
(え、なにこれ幽霊? これって幽霊付きの鏡だったの?!)
ユリアが思い切り悲鳴を上げようとした、まさにその瞬間。鏡の中からおびえた男性の声がした。
「き、君は……君はこの鏡にとりついた幽霊なのか……?」
「は? なにを言ってるの? 幽霊は貴方の方でしょう?」
「俺が幽霊の訳がないだろう。 ……もしかして君は、自分が死んだことに気づいてないのか?」
「それは私の科白よ! 貴方こそとっくに死んでるのに、まだ生きてるって思い込んでるんじゃないの?」
「馬鹿な。俺は間違いなく生きてるぞ。今日だって骨董屋を回って、この鏡を手に入れたんだからな。死んだ人間に鏡を買えるわけないだろう!」
「私だって生きてるわよ。誕生日プレゼントにこの鏡をもらったんだから。死んだ人間が誕生日プレゼントなんてもらえるわけがないでしょう!」
「君は今日誕生日だったのか?」
「ええそうよ!」
「それはおめでとう」
「……ありがとう」
少しの間、沈黙が続いた。
「なあ、君は本当に生きてるんだよな?」
「ええ、私見によればね」
「それならなんで鏡の中にいるんだ?」
「私は自分の寝室にいるわよ。私には貴方の方が鏡の中にいるように見えるわ」
「俺も自分の寝室にいる。……つまり二つの鏡に映っている姿が、なぜか入れ替わっている状態なのかな」
「そういうことになるんでしょうね」
見知らぬ男性と夜着のまま話し合っている状況に気付いて、今さらながら羞恥心がわいてきた。とはいえこの異常事態を放置してベッドに戻るわけにもいくまい。
(まあ男性と言ってもぼんやりした影しか分からないし、向こうの方もそうなんでしょうから、別に話すくらいいいわよね。それに鏡越しなら過ちが起こることなんて絶対にありえないんだし)
ただ間違っても自分の名前や身分を明かすべきではないだろう。今のところ、相手はそれなりの教育を受けた常識人のように思えるが、実はとんでもないやくざ者で、あとで因縁をつけられる可能性だってないとはいえない。「紹介者の居ない相手とは、深く関わるべきではない」とは貴族社会の常識である。
ユリアがそんなことを考えていると、相手は「ところでプレゼントにこの鏡をもらったということは、君は骨董品が好きなのか?」と唐突な質問を投げかけて来た。
「いいえ別に。贈ってきた人が骨董狂いと言うだけよ。しょっちゅう蚤の市や骨董屋で怪しげな品を買い込んでくる変人なの」
「そうか……」
「それがどうかしたの?」
「いや、実はちょっと婚約者に贈る品について悩んでるんだが、女性に骨董品を贈るというのもありなんだなと」
「言っとくけど、これは家族だから許されるプレゼントだと思うわよ? 殿方からいきなり小汚い鏡なんか贈られてきたら、普通なら馬鹿にされてると感じるわ」
それでも他の女性をイメージした宝飾品よりは大分ましかもしれないが。
「婚約者相手のプレゼントなら、無難に宝飾品や花束を贈ればいいんじゃないかしら。チョコレートや紅茶も良い品なら喜ばれるわよ」
「そういうものを贈ってるんだが、喜ばれてない気がするんだよ。アクセサリーを贈っても、あまり使ってくれていないようだしな」
「趣味の悪い安物を贈ったんじゃないの?」
「違う! 評判のいい店でそれなりの品を選んだはずなんだ」
「じゃあ着けてみたら全然似合わなかったとか。ちゃんと彼女のイメージや、髪や目の色に合わせてあげた?」
「髪や目の色……は考えなかったな。ただ彼女の親友にアドバイスしてもらって、彼女の好みに合わせた品を用意した」
「親友だからって的確なアドバイスができるとは限らないわよ。最近になって好みが変わったことを、親友が把握していない可能性だってあるし」
「好みが変わる……そういうのもあるのか」
「ええ、だからやっぱり本人に直接聞いてみた方がいいわ」
「なるほどな、いや参考になったよ、ありがとう」
「どういたしまして」
ユリアが「婚約者の方と上手くいくことを祈ってるわ」と続けようとしたときには、すでに彼の姿は消えており、鏡にはぼんやりと自分の姿が映っているばかりだった。
(不思議なこともあるものね……)
怪奇現象を体験したというのに、ユリアの心はほのぼのとしたぬくもりで満たされていた。
それは体験を共有した相手が好人物だったからだろう。
男のくせに「幽霊なのか?」と怯える姿がおかしかったし、見知らぬ「幽霊もどき」相手でも「おめでとう」という人の良さが微笑ましかったし、なにより婚約者のために一生懸命な誠実さがとても好ましかった。
プレゼントのためにあれこれ悩んでもらえる彼の婚約者が羨ましい。
ユリアが彼女の立場なら、多少趣味に合わなくても、喜んで身につけるだろうに。
ユリアはそんなことを考えながら、再びベッドにもぐりこんだ。
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