青き血の呪い姫~愛とはどんなものかしら?~
モカコ ナイト
青き血の呪い姫
第1話
「王女様。高貴なる貴族の方々には、青き血が流れているそうですよ」
そう語るのは、王妃によって家庭教師として雇われたメリーザ伯爵婦人。
灰色の髪を引っ詰めに束ね、銀色の丸眼鏡を掛けた壮年の婦人が、扇子を片手に教鞭を振るう。
王族や貴族が習うべき基礎学の時間の合間。束の間の休憩時間は、この教師を勤める女性と雑談を交えた雑学の時間でもある。
早くに夫に先立たれて以来、再婚もせずずっと一人身のこの女性は、貴族の子女に教育を施す家庭教師として生計を立ててきた。その実績が買われ、子爵家から始まり伯爵家、侯爵家、公爵家と歴を積み、今や王族の家庭教師を勤める程となっている。
そんな彼女の施す教育は、大変に厳しく辛いものがある。
何故なら、彼女から教鞭を受ける"ローゼリア王女様”は、王妃様の実の子では無いから。
王が、下働きの侍女に手を掛け無理矢理寵妃とし身籠らせ、そして産まれた子供だから。
孤児院出身で、二親が誰ともわからない侍女。周囲の反対を押し切り寵を与え、彼女の元へ入り浸った。彼女が産後体調を崩して死亡するまで、王女様の母親は王様からの絶大なる寵愛を頂いていた。
だから、王妃からしたら面白い分けが無いのだ。
王家に嫁いで以来、その様に王から寵愛を向けられたことは一度もない王妃が嫉妬しないわけが無かった。
王妃様の嫉妬は、死んだ母親の変わりに幼い王女様に向けられることになった。
だからメリーザ婦人の態度も、他の王族に向けるものと違って、ローゼリアに向ける態度は刺々しく冷たいものとなっていた。
勿論それを、この時の王女様が知るよしもない。
「青き血?血が青いの??」
「はい。左様に御座います。王女様は聞き及んだ事は御座いませんか?民でも知っている、ごく一般的な話ですのよ?」
始めて耳にする『青き血』と言う言葉に幼いロザリーが小首を傾げて聞き返せば、教鞭を振るう婦人は片掛の眼鏡の奥で目を細め、そんな事も知らないのかと言いたげな小馬鹿にした様な口調で返してきた。
その話し方に『まただ……』と、胸の奥にシクリとし痛みが走る。
けれど、教えを与えてくれる存在は、
新しい話、知らない言葉への知的な欲求は、極端に情報の少ない離宮生活ではとても新鮮で、胸に走る痛みよりも好奇心の方が幾分も勝り、気が付けば疑問を片端から投げ掛けていた。
「高貴なのは、王族もそうなの?」
「左様に御座います。正当なる王族の方々にも、尊き青き血が流れているので御座います」
「でも、わたしに流れている血は、赤い色よ?」
「それは当然です。王女様の母君が、侍女と言う下賎の身だからです」
さも『当然の事も知らぬのか』と、見下した口調、意地の悪い顔付きを隠そうともせず、その講師は言葉を続ける。
それでも、他の誰かと会話を交わすのは、この離宮ではこの機会しか得られない体験で、どんな言葉でも、態度でも、心が痛んでも、自分と違う他者との繋がりはここでしか得られるものではなかった。
「はは君……おかあ様?わたしのおかあ様は、下賎の生まれなの?」
『ええそうです。王女様の母君は、爵位のない平民の出。その上、両親も居ない孤児だったのですから、王女様の身体に流れる半分は、尊い王の血。けれどもう半分は、何処の出自かも判らぬ卑しく下賎の穢らわしい孤児の血なのです。……ですから、王女様は下賎の母君の血を受け継いでおいでで、穢らわしい赤い血の色をお待ちなのですよ。だからこそ、王女様は身の程を知らなくてはなりません。他の正妃様のお子とも、側妃様方のお子とも違う、卑しく穢らわしい血を併せ持つ下賎の王女なのだと』
『下賎』、『卑しい』、『穢らわしい』、『身の程を知りなさい』。この講師だけではない。他の講師も、この離宮で王女の世話をする侍女ですら、王女に対して侮蔑の態度を取り、それらは常態化していた。ずっと、何年も十何年も……。
積み重ねられる毒の言葉は、幼い王女の心に深く染み込んでいった。
「お前のような陰気臭い顔をした者が同じ王族だとは、心外だな」
目の前に立つ男は、ローゼリアが視界に入ることすら拒絶するように吐き捨てた。金色の髪を短く整え、冷たさを感じさせる氷青の瞳を持つ異母兄。この国の第一王子ハーミルその人だった。
「そんなに暗い顔をして、王族としての誇りは無いの?自信の無い顔をして人前に出るだなんて、あり得ないわ」
第一王子に追随して眉を潜めるのは、同じ配色を得ながら華やかで艶やかに見える第一王女シェセリーナ。
「やっぱり、使用人ごときが産み腹のしていた出では、高貴さに限りが有るんじゃないのか?」
「まだそんなドレスを着ているの?みっともない。しかもそれ、何年も前に私の着ていたものじゃない。新しいドレスを仕立てる予算も無いなんて、貴女本当に王族だったの?何処からか紛れ込んだネズミじゃない??」
国王陛下に呼ばれ、時折顔を合わせる異母兄姉から投げ掛けられる言葉は、大人達の態度を過分に汲み取って反映したものか、時に辛辣で容赦の無い鋭い刃となってローゼリアの心を傷付けた。
同じ年頃、同じ父親を持つのにこんなにも召し使いからの扱いからして違うのか。
『私は要らない子』
『穢らわしい卑しい血を引いた下賎の王女』
その言葉もまた、ローゼリアの心を縛り付け、薄くなった笑顔すら表面から消していった。
ガシャンッ!!
「きゃっ!!」
陶器の砕け散る音と、侍女の悲鳴とが室内に響いた。
「運んでくるのが遅いのよ!!どうして祝賀や晩餐の度に私の食事がおろそかになるの!?貴女達は私の専属侍女でしょ!それなのに主の世話を疎かにして、一体何処で何をしているのかしら!?」
只でさえ、忘れられがちなローゼリアの食事。それが何時もより遥かに遅く、新配属の侍女に何度か申し付けてようやく運ばれてきたのだ。
それも、食事ではなくお茶と少量のお菓子が。
それを見て、空腹に苛立つローゼリアが、腹を立てないわけが無い。手にしたティーカップを侍女めがけて投げつけたのが、現在の状況である。
壁に当たって砕けた破片は、侍女の顔を掠め、侍女の白い頬に一筋の赤い筋が出来上がる。
「も……申し訳ございません!!現在厨房は、第三王女の誕生祝賀会の調理で忙しく、第二王女様の食事提供まではもう暫くかかるそうで……」
「そう。
低くなったローゼリアの声に侍女はそっと顔をあげた。
ローゼリアの青い目には、暗い影が宿り少女らしさは感じられない。そこに宿るのは、無かそれとも……。
「あら?あなた……顔から血が出てるわ……」
「あっ……」
侍女の頬に滲む赤い一線をローゼリアの右手がなぞり、白い侍女の頬に赤い色が広がる。
「あの、お手が……汚れてしまいます。王女様……」
「ねぇ、貴女…。貴女は確か、子爵家の出よね?」
「は、はい。私の実家は、子爵家ですが……。それがなにか……?」
ローゼリアの暗い瞳に光が灯り始める。何か興味を引くものがこのやり取りの中に有ったのだろうか?
その瞳を見た瞬間、ギクリと侍女の体は強張った。。
「貴方の血………赤いのね?」
うっそりと笑う、その僅かな笑みがとてつもなく恐ろしい笑顔に見えて、侍女はスルスルと力無く床にへたりこんだ。
「ひめ……さま……?」
恐ろしい。けれど、主のこの後の動向を把握しなくては、監視を命じた侍女長に報告できない。だから、どんなに恐ろしくても逃げ出すわけにはいかなかった。
「赤い血……。お前の血は、赤い血。青ではない。高貴な者の持つ青の血ではない。赤い、汚らわしい、下賎の民に流れる血の色……。子爵家は、貴族よね?貴族なのに……。貴族でも、子爵家は、高貴では無いの……?」
それなのに、ローゼリアに“下賎の姫”と見下す視線を向けていたの?影でヒソヒソと影口を囁きながら……。
「私と同じ、下賎の赤い血……」
自分と同じ血の色に、王女はすうっと目を細め、口の端を僅かに持ち上げてうっすらと笑った。
───初めて見た。自分と同じ赤い血を流す者。
それが、堪らなく嬉しいのか、それとも同じ赤い血を持つ者なのに、これまで蔑まれてきたが故の怒りなのか、『ウフフフ……』と笑う。
けれどローゼリアの中に、新たな疑問は直ぐに浮かび上がった。
侍女の頬からうっすら滲む赤い血を見ながら、“それなら高貴な青い血とは、どの地位に居る者を指すのだろう?"新たな疑問を、疑問の答えを直ぐにも知りたいと思った。こんなにも簡単に、人は血を流す。こんなにも簡単に、赤と青の判別が行えるのだ、
疑問は、答えが簡単に見られることから強い好奇心となって膨らんだ。
『貴族は高貴な青い血を宿す者。王女様には、半分下賎な平民の血が流れているから、血の色が赤いのです』
幼い頃から、そう教えられてきた。ずっと。ずっと。ずっと。
………なのに。
子爵は貴族の中でも、地位的には下位の方。
その子爵家出の娘の血は、赤かった。
なら、『高貴な青い血』になるのは、どの地位から?伯爵?それとも侯爵?公爵?
もしかして、純粋な王族だけが青い血だったりするとか?
疑問は、疑問を呼ぶ。答えを与えてくれる者は、ここには誰も居なさそうで。
ふと、今日は第三王女の誕生パーティーだったことを思い出した。
王宮の庭園。煌びやかなエディスの庭園でガーデンパティーを開いている筈。
あそこなら、殆どの地位の者が参加していたわね。
ローゼリアは、聞いても誰も答えてくれないなら、自分で直接確めてみれば良いと思い立った。
─────きっと、答えはあそこにあるわ!
蔑まれ、蔑ろにされ育ったローゼリアは、歪に顔を歪め、ニタリとした薄い笑みを浮かべながら、庭園へと足を進めた。
煌びやかな衣裳に身を包む身なりを調えた紳士淑女達。
音楽に合わせ踊る者。ワインやシャンパンを片手に談笑する者。豪華な料理の数々に舌鼓を打つ者など、その姿は様々だ。
華やかな宴から離れた離宮。そこまで楽器から発せられる旋律は風に乗り届いてくる。
ローゼリアは、庭園の入り口に向かっていた。
王族の誕生パーティーに参加するだけあって、盛装で参加する貴族達は皆、真新しく煌びやかな衣装で、普段着…それも少しくたびれた感のある流行遅れのドレスを着たローゼリアは明らかに場違いで浮いた存在として視線を集めていた。
「まあ、あれは第二王女様?……祝いの席に、何てみっともない格好でいらしたのかしら!」
「仕方が有りませんわ。第二王女様のご生母は名も無き侍女だそうでは有りませんか。教養も無ければ財もない。きっと祝賀向きの装いを用意出来なかったに違い有りません』
『それにしたって…!それならばいっそ、この場に姿を見せない事こそが、筋では御座いませんの?あんなみっともない格好を晒されたのでは、王家の威信にも関わるでしょうに。側仕えは何をしていたのかしら?」
本来なら、この様な公の場に赴く際、側仕えなり侍女なりがローゼリアの行動を止めただろう。もしくは、何処からかそれなりに見えるドレスを用意して着替えさせた筈だ。
けれど今、ローゼリアが着ているのは朝着替えた薄桃色の色褪せも見える使い古しのドレス。
元は亡き王太后の物だか、その中でも古い物からローゼリアに御下がりとして回される。
王太后の娘達…元王女達も何度かは袖を通したことがあったかもしれないそれらは、時代遅れも甚だしいデザイン。幾ら元は高貴な者の所有でも今はただ、時代遅れの遺物だった。
「これはこれは、第二王女様。めでたい席ですのに随分と変わった格好をなされておいでですのね?」
「あらあら、今日は第三王女様の誕生祝いの席ですのに、その様なお召し物だなんて……」
向けられる視線は、"まともに公の場に出るドレスの一つも無いのか”と言う憐れみの視線より、『お前は、王の血が流れているだけで、王族でも何でもない』と告げるもの。
専属侍女や従侍、異母兄妹が向ける視線と何ら変わらない。
ただ、この貧相な体に流れる血の半分が、王の血だと言う、ただそれだけ。
王の血が流れるからと言って、王族の末席に連なるものとして敬われるでも、他の王族の様な礼を尽くされる訳でもない。
「そう。今日はリーゼの誕生日なの。だからこんなに賑やかなのね。それなら、私もなにかお祝いの言葉を送らなくちゃ。……でも、その前に色々と知りたいことがあるのよね」
ニコリ。穏やかな、それでいて妖しさを感じるローゼリアの薄い微笑み。
その微笑みは、王族らしい華やかな微笑みであると同時に、人々の心を惹き付ける美しさを湛えていた。
ヒュウッと音を立てて、ローゼリアの笑みに見入っていた紳士の横を風が横切る。
はて、なんの音だ?と言う疑問は直ぐに答えが分かる。
「ぎあああぁぁっ!!!」
「あ゛あ゛あ゛っーーー!!」
「うわあああぁぁっ!!!……て、手が……手があぁぁっ!!?」
幾人もの紳士淑女が、右の手や肩から先を失い、真っ赤な鮮血が流れ出した。
「赤い……みんな、血が赤い………」
肩から先を失ったのは、伯爵位の男性。腕を切りつけられたのは、子爵婦人。手首を切り落としたのは公爵家の子息。
爵位が公爵位までは、私と同じ赤い血が流れるのね。
「キャアアアァァッ!!」
「お……王女様、一体何を!?」
「どういうつもりですか!?何の目的でこんな無体な事をなさるのです!?」
淑女達は、悲鳴をあげながら逃げ出した。
慌てて駆けつけた警備兵が、ローゼリアを取り囲む。腰に提げた剣を抜き出し、その剣先を差し向けた。
「ああ……。公爵家の出でも、血は赤いのね」
物凄く残念に思えた。ここまで来れば、高貴なる青い血の者に出合えると思ったのに、皆々赤い血を流すのだから。
「お……王女様。第二、王女様!!この様な無体は何ゆえですか!?」
「こんなことをして、どういうつもりです!!?」
うるさいわね。
「手を落とすなんて……。アースは右手が利き手なのよ!?こんなの酷いじゃ有りませんか。あんまりだわ!!」
うるさい、うるさい……うるさいなぁ。誰も答えてくれないくせに、自分達の事ばかり、ローゼリアに要求する。どうして責められなきゃならないの?私は別に悪いことなんてしてないのに。
「と、とにかく、王女様は自室にお戻りを……」
「これ以上の問題行動は困ります。どうか、大人しく自室にお戻りください!」
警備騎士の中の何人かが、ローゼリアに自室へ戻るようにと促す。
「ちょっと!これは何の騒ぎなの!?エリーゼの誕生祝いで何してるのよ!?」
いち早く騒ぎの場に現れたのは、第一王女。
「だ、第一王女様。そ…その……。第二王女様が傷害騒ぎを起こしまして……」
騎士がこの場の状況を怖々と説明する。
「はあっ?なんですって!?何なのよそれ!!」
ことの仔細を聞いた第一王女は当然、激昂する。
「ちょっと、ローゼリア!!貴女そもそも何しに来たのよ。そんなみっともない格好で現れて、エリーゼの誕生パーティーを台無しにする気!?」
淑女の仮面を張り付けたまま、声には強い怒気と嫌悪が混ざる。
「パーティー…?台無し…?」
そう言えば、今日ここに大勢の貴族がいるのはリゼの誕生祝いだったからか。
「そうよ!知らないわけが無いでしょ!?とにかく、貴女はこの場には相応しくないわ!今すぐ自分の部屋に戻りなさい!!」
普段なら、普段のローゼリアならば、シェセリーナの怒気を少しでも感じたら、萎縮し怯えその言葉を聞いていた筈だった。けれどこの日、この時、ローゼリアの心に恐怖は微塵もなく、純粋に『高貴なる青い血』ヘの探求心が大きく勝っていた。
────だから。
シュパッ!!
シェセリーナの右手を、黒い影が横切った。
衝撃は、一瞬。白い精緻なレースに小さな宝石を縫い付けた手袋が、立体の形で宙へと飛んだ。
ボトリ、地面に落ちたそれを認めた瞬間、その直後起こる焼けるような激痛。吹き上がる赤い雫が、シェセリーナの自慢のドレスを赤く染める。
「きゃああああぁぁっ!!?あつい!アツい!!熱い!?痛い、痛い、痛い、痛いっ……!!」
怒りの滲み出す淑女の顔は、この時ばかりは流石に剥げ落ちた。襲いかかる突然の衝撃と灼熱の熱さ。それが引いた瞬間には激痛が襲い、辛うじて地面に倒れ込むと言う醜態だけは踏みとどまっていた。
あぁ。シェセリーナ
「……でも、シェセリーナ異母姉様は、母君が伯爵家出の側妃。正妃の子ではないから、血が赤かったのかも」
それなら、正妃の子である第一王子は?第三王女は?彼等なら……。彼等の血こそ、高貴なる青い血なのかもしれない。
なら、確認するべきよね?
それにしても、さっきよりも騎士達からの殺気が凄い。皆怖い顔をして、どうしたのかしら?別に、切れた手や腕は再生薬が有るんだから問題ないでしょうに。再生薬が有れば、斬れた欠損だって、ちゃんと再生する。だったら問題ないじゃない。
ちゃんと治るのに、みんな何をそんなに怒っているの?
突きつけられた剣は、今にもローゼリアを突き刺さんとばかりの、距離と空気。
「私はただ、知りたいだけなのに……」
────邪魔しないで!!
ローゼリアから放たれるのは、風の魔法。真空に近い鋭く研ぎ澄まされた風が刃が、相手を切り裂く。ただの風では断ち切ることの出来ない、骨も鉄も、それは見事に綺麗にスッパリと切り裂く。
「うわあああぁぁっ!!」
「ぎゃああぁぁぁっ!!」
ある者は両の手を、またある者は肩から下を、足を失い、辺りは流血と恐怖による阿鼻叫喚の地獄絵図。
「キャアァァ!!だ、第二王女の乱心よ!!」
確かに、ローゼリアは人々を攻撃した。ただ、幼い頃から繰り返し教えられてきた高貴なる青い血をただ見たいが故に。
会場の前方。一際華やかな装飾と花が飾られ、一段高く設置された雛壇。そこが今日の主役、第三王女エリーゼのいる場所だった。
「一体、何の騒ぎなの?私の誕生日に、どういうつもりかしら?」
遠巻きにもハッキリと聞こえ始めた人々の悲鳴。その響きに、エリーゼは眉を寄せて不快を露にした。
澄み渡る晴天。心地の良い風。立派に育った樹木の新緑の繁った隙間からは木漏れ日が射し込め、作られた日陰は火照った体を癒すには丁度良さげで。
「何があった?」
丁度、二人の元に騒ぎの詳細を伝えに来た騎士から、報告を受ける。
その内容に、二人は再度顔を見合せた。
「ローゼリア……あの人、一体何のつもりなの?」
「招かれてもいないエリーゼの誕生パーティーに来て、一体何のつもりだ!!?」
二人は騒ぎの中心、ローゼリアの元へと駆けつけた。
「ローゼリアお姉さま、これは一体何の騒ぎよ!?」
傷付いた人々から流れる赤い鮮血。それが地面に倒れ込む無数の人々から流れ、美しい庭園の樹木を赤く塗らす。
立ち込める血臭、痛みによる呻き声、助けを求める悲鳴。第三王女の誕生を祝う祝賀パーティーが一転、流血の惨劇会場になるなど誰が想像したことか。
「あぁ。エリーゼ誕生日おめでとう」
にこり。悲鳴の響く中、場違いなほど艶やかな微笑みを浮かべるローゼリアに、二人は異質なモノを見るような目を向ける。
「何を笑っているんだ!こんな事して、こんな中で……」
『周囲を見てみろ!!』とでも言うかの様に、辺りに視線を向けるハーミルに、ローゼリアは何を慌てているのかわからないとでも言いたげにキョトンとした表情を浮かべた。
「あら、怪我は治癒薬や再生薬、回復魔法を使えば簡単に治るでしょ?
確かに、切断した腕も手も回復薬の上位薬にあたる再生薬を使えば、完治も不可能ではない。けれど、流石にこの大人数を一度に回復しきるだけの備蓄など、王城とて有るわけがないのだ。
その事を知らずローゼリアは、その薬があれば可能だと言う知識のみで「大丈夫よ」と言ったのだ。
──全然、大丈夫な訳が無いだろう!!
ローゼリア以外の誰もが思った。
それでもハーミルは、移動の合間にも医師や治癒師の手配を済ませ、ローゼリアを捕えるべく新たな騎士の手配も済ませていた。
「何で、こんな事をしたんだ?」
ハーミルにとって、ローゼリアは取るに足らない平民の母親を持つ異母妹だった。特に気にすることも無かったが、母親である王妃が彼女を侮蔑していた。そこに疑問を抱く事も今まで微塵も無く、同様にローゼリアを貶める言葉を掛けてはいた。
「私の侍女が血を流したの。それがね、赤い血だったの。その侍女は子爵家の出身なのよ。貴族には『高貴なる青い血』が流れているって教わったけど、違ったみたいね。伯爵子息も侯爵婦人も公爵も、あぁ、シェセリーナお姉さまも、流れた血は赤かったの。それなら、みんな卑しい下賎の人間なのね?」
残念だった。折角、ここまで来てこれだけの魔法を放ったのに、未だ『高貴なる青い血』の持ち主が現れないのだから。
「あ、でも。もしかして、シェセリーナお姉さまのご生母は側室だから、血が赤いのかも」
ローゼリアがパッと明るい目をした瞬間、ハーミルは嫌な予感がした。いや、予感と言うよりより確信に近い身の危険を感じた。
魔法防御を展開してある。ある程度は防げる自信はあったが、母親が平民だとはいえローゼリアも紛れもなく王族の血を引く娘。これまでロクに交流を持ったことも無い異母妹の魔力の底は、計り知れないモノのがあった。
『バキイイィィンッーーー!!!』
耳障りな大音響が響く。ローゼリアの放つ魔法と、ハーミルの結界とがぶつかり合う音だが、その後も連続でバキッ、バキッ、バキッと鳴り、そして……。
「キャアァァ!!」
「うわああぁっ!!」
「何の騒ぎだ!!ローゼリア、貴様一体何をして、お……っ!?」
ハーミルだけじゃない。後ろに控えていたエリーゼからも悲鳴は上がり、更には騒ぎを聞き付け現れた国王オーヴェルの首がゴトリと地面へと落ちていた。
途中まで聞こえていた父王の声。それが不自然に途切れ、理性を失いかねない激痛をこらえて振り返れば、首を失い血飛沫を吹き上げる父王の姿が。膝から崩れ落ち、地面に膝を付いた格好からゆっくりと地面へと全身が倒れ込む光景が目に焼き付いた。
「お父様も赤い血なのね。一国の王でも赤い血……なら、国王も卑しい下賎の身なの?」
ぶつぶつと呟くローゼリア。
「ローゼリア……お前、父上に…王に、何て事をしたんだ!!?」
「なに?何って、首を落としたこと?大丈夫よ。ハーミルお兄様。再生薬を使えば、また生えてくるでしょう?」
キョトンとした顔のあと、ぱあっと明るく笑うとローゼリアは答えた。
首を落としても、再生薬を使えばまた生えてくる。その事を微塵も疑った様子もなく答えたのだ。
体の一部、肉体の末端の欠損であれば確かに再生薬で元に戻る。けれどそれは万能ではない。あくまで生命の維持とは関わりの無い部分の再生であって、本体から切り落とされた首は再び生えることはない。
生命維持の機関部分の欠損は、『死』を意味する。その事をローゼリアは、全く理解していないのか、それとも再生薬を死をも覆す万能薬と信じているのか……。
大丈夫。例え手を失っても、足を失っても、王国が誇る再生薬は神の祝福の元に作られる。あらゆる欠損を再生し、健全な肉体を保つのだとメリーザ婦人が言っていたのだもの。
だから、首が切れ落ちたってまた生えてくるわ。全く問題は無いでしょ?
それなのに、どうしてそんな『信じられないものを見た』って顔をするのかしら?
ドンッ!!
ローゼリアの体を揺らすほどの衝撃と共に、左胸の辺りから白刃が突き出てきた。
灼熱の杭でも打たれたような激しい痛みと、気道から競り上がる苦しみ。
「ぐ…ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ…!!」
口一杯に広がる鉄の味と血臭に顔をしかめる。口から垂れ落ちた生暖かい体液を袖で拭えば、見知った赤い色ではなく初めて目にした青い色が袖に広がった。
「青い………血……?」
胸から突き出た白刃の先から滴るそれも、鮮やかな青い色の血で。
「私の、血が……青い。………それなら、私が、私こそが高貴なる者、なのね……」
知りたいと願った。会いたいと祈った『高貴なる青い血』を持つ者が、まさか自分だったなんて。
「あははは……私こそが、高貴なる青い血の主だった。私こそが高貴なるモノ。お前達は、下賎な赤……」
ローゼリアは、歓喜に震えた。
「それなのに、私を殺して……どう、なるのかしら……?呪われろ、みんな、みんな……私を傷付けた、全て呪われろ……」
再生薬での回復なんて許すものですか!!私を傷付けた。心も、体も、命までも!!
しかし人の急所の一つ、心臓付近が傷付いたのだ。只で済む筈もなく、目からは光が丘失われ、ズルリと力無く体は崩れ落ちた。
だから、許さない。ユルサナイ。赦さない。
本来、再生薬での治療が可能な筈の、一部肉体の欠損。それが、いかな治癒師の治療でも、再生薬でも元に戻ることは無かった。
ただ、止血のみが可能だっただけで、この日腕や手足を失った貴族は多く、この事からローゼリアによって損なわれた部位の再生が叶わないのは、青き血の呪いとして後世に伝わっている。
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