質問の多いスープ屋さん
タカナシ
「最後は必ず私が勝つ」
「…………まじか」
入社5年目の健康診断にして、要注意、『高コレステロールの為、受診を勧める』という結果を受けた僕は、さっそく帰りの電車から一駅分歩くダイエットを決行することにした。
一日30分以上の運動が良いとされているが、とりあえずは一駅。慣れたらもう少し運動をしよう。いつも最初から全力でやりすぎて三日坊主になりがちだから、今回は無理なく長く続けて見せるっ!!
そう心に誓いながら普段歩くことのない道を線路を頼りに歩いていく。
半分くらい歩いたところで慣れない運動に足が悲鳴を上げ、空腹感でお腹がキュ~と締まり始めた。
「くぅ、辛いっ! 何か食べたい……」
たった一駅だから大丈夫だと思っていたが予想外に辛く、今回も三日坊主になるかもという意識が頭をもたげたその時、
「んっ? この匂いは」
コンソメの香しい匂いに敏感に反応し、つい目を向けてしまった先には、『スープ専門店 ひらめき』という看板がライトに照らされている。
僕はまるで誘蛾灯に誘われる虫のごとく、ふらふらとそのスープ屋へ。
「まだ夕飯食べていないし、スープなら体にもいいだろうし。コンビニ飯よりは確実に良いだろ。自炊よりもきっとプロが作ったほうが栄養バランスとか取れているに違いない」
謎の良い訳をしながら、スープ屋の扉に手を掛けると、そこには珍しい張り紙がしてあった。
『ウミガメのスープ。入荷しました』
「ふ~ん、ウミガメのスープなんて飲んだことないな。美味しいのかな? いやいや、珍しいだけで、初めてのところは無難なものを頼もう」
そう心に誓いながら扉を開いた。
中からは、先ほどまでとは段違いのコンソメの匂い。そこに、玉ねぎの甘い匂いやトマトの酸っぱい匂いなども混ざり、まるで
店内は喫茶店を思わせるようなカウンター席とテーブル席。
小奇麗な店内に美味しそうな匂い、これは期待出来そうだぞと思っていると、
「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」
澄んだ声が投げかけられ、僕はその方向をみると、そこには店長と思しき女性がほほ笑んでいた。
背筋の伸びたその美しい佇まいに一瞬言葉を失ったが、女性が小首を傾げるのを見て、慌てて、「ひ、ひとりです!」と答えた。
「ただいま、テーブル席がいっぱいになっておりまして、カウンター席でもよろしいですか?」
「もちろんです」
僕はカウンター席にすでに座っている男の人の後ろをぶつからないように通り、一番端へと座った。
「こちらメニューになります」
メニューには、コーンスープやオニオンスープ、ミネストローネはもちろん、シチューに豚汁まである。
「う~ん、まずはオーソドックスにコーンかオニオンスープあたりが無難かな。いや、しかし、今の空腹具合なら豚汁も捨てがたい」
うんうんと悩んでいると、同じカウンターに座る男性の元にコーンスープとパンが運ばれてきた。
とろとろのコーンスープにパリッとしたフランスパン。バターが染みわたり、ときおりパキッと焼きたてパン特有の皮がさける音がより魅力を際立たせる。
「ごくりっ」
生唾を飲み、僕も同じものを注文する。
数分後、僕の元にもコーンスープとフランスパンが届く。
黄色いスープはまるで極上の美女のように、その美貌と匂いで僕を誘う。
慌ててスプーンを掴むと一口すする。
「っ!!」
なんだこれ、もう言葉にならないほど旨いっ!!
コーンの甘さが、コンソメのしょっぱさがなんとも言えないハーモニーを奏でる。
人間美味しすぎるものに出会うと自然と笑ってしまうようで、「ははっ」と声が出てしまった。
幸いにも笑い声は小さかったようで、周囲に聞かれた様子はない。
僕は安堵しながら、次に音を鳴らす熱々のフランスパンを掴み、一口大にちぎる。軽くコーンスープを付けて口へと運ぶ。
「うまっ!」
口いっぱいにコーンの甘さが広がり、その後にフランスパンのふんわりサクッとした心地よい食感が広がる。バターの風味もマッチしていて心地よい。
空腹も手伝い、一気にスープとパンを平らげる。もちろん最後の一滴も逃さぬようスプーンでスープの皿をすくってだ。
食後、スープとパンの余韻に浸っていると、同カウンターの男性が店長の女性へと声をかける。
「すみません。そろそろウミガメのスープを出してくれるかい?」
「かしこまりました」
店長の女性はうやうやしく一礼すると、先ほどとは別のメニューを男性へと渡す。
そう言えば、扉に張り紙がしてあったっけ。
僕は好奇心から、男性が見ているメニューを覗いてみる。
そのメニューにはとてもスープとは思えない名前が並ぶ。
『負けるが勝ち』
『逆転ホームラン』
『最後は必ず私が勝つ』
『だいどんでん返し』
「えっ? これがメニュー!?」
思わず声をあげてしまうと、男性から睨まれた。
改めて男性を見ると、黒のTシャツに金髪、三白眼での睨みは一般人のそれとは思えない怖さがあった。
なんで僕はこんな人のメニューを覗いてしまったんだ。
後悔先に立たずとはこの事だろう。
「兄ちゃん、この店初めてかい?」
「え、ええ、はい」
「クイズは好きか?」
なんの質問か分からなかったけど、正直に「はい」と答えると、男性はニカッと笑みを浮かべた。
「そうか、そうか、なら、ここは常連である俺が一つ奢ってやろう」
男性は親し気に僕の隣の席に移ると手を挙げて店主の女性を呼ぶ。
「店長、これ、2人前で」
男性は『最後は必ず私が勝つ』を指さし注文した。
「ふふっ、常連さん、ウミガメのスープはサービスの一環なので、奢りもなにもないでしょう」
「ちょっ、それは言わない約束でしょ! せっかく常連ぽいことをしたかったのに」
見た目とは違い、フランクな男性に僕はほっとしながらも彼らが話すウミガメのスープとはなんなのか考えを巡らすけど、まったく分からないので、店長の女性へ質問する。
「ところで、ウミガメのスープってなんなんですか?」
「ああ、そちらはお初でしたね。では、説明させていただきます。ウミガメのスープとはクイズの一種です。他には水平思考クイズと呼ばれたりしますね。基本のルールは――」
店長の説明では、ウミガメのスープとは、不可解な状況が示され、それがなんのことかを当てるクイズらしい。ただし、そのままでは答えに辿り着けないので、出題者にイエスかノーで答えられる質問をすることができるそうだ。
「では、特別に簡単な問題を1つ。タイトルは『火の無いところに』です」
――その建物には火の気ひとつないのに、そこに居た人にどうしたか聞くと火事ですと答えます。一体なぜ?――
「えっと、その問題に質問していけばいいんですよね」
「はい」
う~ん、どういうことだろう。
ふと、隣を見ると、常連さんはニヤニヤと笑みを浮かべ、すでに質問もせずに答えがわかった様子だ。
「とりあえず、悩んでても仕方ない! その建物に火の気がなかったということは、その建物では火事はなかったんですよね?」
「ええ、その建物で火事はないです」
「なら、他のところではあったんですか?」
「はい。他のところではありましたね」
他の所の火事に関係するってことか?
そんな建物なんて……。
「えっと、隣の家が火事?」
「いいえ、違います」
他に、関係する建物なんてなくない?
火事に関係する建物、火事に関係する建物……あっ!
「もしかして、その建物って消防署ですか?」
「はい!」
「じゃあ、消防署に消防車が一台もないから、そこに残っていた人にどうしたか聞いたら、火事ですと答えられたんですね!」
「はい。正解です」
店主の女性は嬉しそうにニコリと笑みを作りながら正解の声を上げた。
「やった!」
「ほほぉ、兄ちゃん、意外にやるじゃねぇか。まぁ、常連の俺なら今くらいの問題は質問なしでも余裕で解けるけどな」
「そうなんですね!」
僕は素直に感嘆の声を上げる。
「大丈夫ですよ。常連さんも初めは今より、もっと時間かかりましたから」
「いや、だから、店長、そういうのは言わないでくれるかな」
「失礼しました。ですが、それでしたら常連さんも折角正解して喜びに浸っている新規さんに水を差すのは如何なものかと思いますよ」
「うぐっ、たしかに。すまんな兄ちゃん」
常連さんは手刀を作り謝罪の言葉を述べる。
「いえいえ、そんなことないですよ! それにすごく面白かったのは変わらないですし!!」
「ふふっ、気に入って貰えたようで何よりです。では、どういったものかご理解いただけたところで、本番といきましょう。タイトルは『最後は必ず私が勝つ』です」
――イシバシは勝負をしてVサインを出した。だが勝負に彼は負けていた。しかし、彼は喜んだ。いったいなぜ?――
僕はよく分からない状況に首をひねる。
Vサインを出したということは勝ったということだよね。でも勝負には負けているのか。でも負けて喜ぶのも変だし……。
ぐるぐると頭の中で考えていると、隣の常連さんがさっと手を挙げ、質問を口にする。
「イシバシは人間?」
「はい。人間です」
「イシバシとその後の彼は同一人物?」
「はい、同じ人物ですね」
「え? 人間じゃなかったり、同じ人物じゃなかったりするんですか?」
僕は思わず、店主ではなく、常連さんの方へ質問してしまう。
「ああ、ウミガメのスープではよくあることだ。俺が考えるコツは、不確定になりそうな情報をどんどん確定させていくことだな」
「なるほど、なら僕からも質問ですが、勝負に負けて喜んだ結果イシバシさんはVサインを出したのですか?」
「いいえ。違いますね」
「おっ、兄ちゃん、良い質問だ。なら、勝敗が分かる前か?」
「はい」
勝負の前にVサインか……、なにかの宣言かな。
そんな風に考えながら自分でVサインを作り眺めていると、その様子を見た常連さんが、小さく、「あっ」と声を上げた。
「Vサインってじゃんけんのチョキか?」
「はい」
「じゃあ、勝負はじゃんけん?」
「はい。じゃんけんです」
「なら…………んん?」
そこで常連さんは言葉に詰まった。
僕も黙り込んで考える。
じゃんけんまではいいとして、なんで負けて喜ぶんだ?
じゃんけんで負けて喜ぶパターンなんて、僕知らないぞ。何かあるか、そんなこと?
「チッ。じゃんけんからじゃ辿り着けないか。なら、イシバシから攻めるぞ! ずばり、イシバシである必要はあるか? 山田とか田中じゃダメか?」
「はい。イシバシでなくても成り立つ場合はありますが、基本的にはイシバシがいいでしょう。山田、田中では成り立たないです」
「イシバシが関係するのか? いったいなんだ?」
またしても常連さんは考え込み、言葉を失うが、僕は常連さんがしたその質問を聞いて、脳裏にとある映像が浮かび閃いた。
「わかりました! そのじゃんけんは勝った人が奢りますよね?」
「はいっ!」
店主はにこやかに力強く答えた。
「わかりました。そのイシバシさんは、じゃんけんに勝った人が奢る勝負をしていて、チョキを出して負けたから喜んだんだっ!」
「正解です」
全てを察した常連さんは、椅子から転げ落ちるのではないかという勢いで体を後ろにそらす。
「かぁー、なるほど、あのテレビ番組か。やられたぜ。確かに負けたのに、実質勝ってるわな。くぅ、しかし、まさか兄ちゃんに先に答えられちまうとはな常連の名がなくぜ!」
「いやいや、常連さんが色んな質問をしてくれたから答えが分かったんですよ。僕独りじゃ絶対分からなかったですし」
「おお、兄ちゃん、良い事言うね! さてと、それじゃ、ウミガメのスープも飲んだことだし、そろそろ行くか。それじゃ、兄ちゃん、またな」
常連さんは手をひらひらと振って会計を済ませて出て行った。
僕は常連さんが店から出ていくのを見送ってから、自分も帰ろうと席を立ち、レジまで向かう。
「すみません。おいくらですか?」
財布を取り出し、店長さんへ尋ねると、
「いえ、お代は先ほど、常連さんからいただきましたので大丈夫ですよ」
「えっ!? 奢るって、ウミガメのスープだけじゃなくて全部だったの」
てっきり店長さんとのやりとりからウミガメのスープだけだと思っていた。
これは、また今度来て、お礼を言わなくちゃ。
こうして、僕は2つのスープを目当てに、一駅歩くダイエットが三日坊主になることは無く、次の健康診断では正常値を叩き出すことになるのだった。
(完)
質問の多いスープ屋さん タカナシ @takanashi30
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