三分足らずの余命

藤井杠

1部 終着点

第1話 走馬灯


「・・・・・君はさぁ、もっと違うところを見るべきだと思うんだ。そうすれば、少しはこの世界もましに見えてくるんじゃないかなぁ?」



・・・うるさいな、ほっといてくれよ。


 頼むから。




 生温かいシャーペンが脳天に思いきり突き刺さり、ここが教室であったことを思い出す。

ぼんやりした頭を上げると、終業の鐘が空きっ腹に響く。 


 教室を出ると、ぶわぁと音を立てて、いやに柔らかい空気が僕の身体を包む。校舎を出ればさんさんとした太陽がその大きな顔を頭上に覗かせ、クーラーで冷え切った身体へと頭痛をもたらしてくる。しかしそれも一瞬の事で、ものの数分もすればじんわりと汗がにじみ、永遠とも思えるような暑さの中を駅へと向かうだけだ。

 駅まで続く、平坦で長いコンクリート作りの道には、もう夏だというのに、季節外れの蒲公英の葉がその小さな身体を伸ばし、太陽の光を一身に受けている。眩しいくらいに。


 そのうち、いつの間にか駅に着いていた。いつもの習慣、何も変わらない毎日が今日も過ぎていく


筈だった。



 階段を降りると、ホームに電車が入ってくるところだった。いつもの鈍行にしては少し遅い到着。二両編成の列車は、通勤帰りや帰路につく人でそれなりに混雑している。

 電車に乗り込むと、デッキ近くの特等席が取られていた。仕方なく、ドア付近のボックス席に身体を預ける。

 まもなく車体が揺れ始め、駅名をなぞるだけの子守唄が、次第に遠ざかっていく。

 


次に見た景色は、また駅の中だった。

 電車の重厚な機械音がコンクリート壁と共に世界に鳴り響く。いつもターミナルからは賑やかな人の声が聞こえてくるのに この空間はどこかがらんとした、


あぁ、そうか。

 これが夢なのだと気付いた後、この夢を見るようになった時のことを思い出し、記憶の懐かしい憧憬がふと、浮かんだ。

 それは、確か祖母の家に行った時、だっただろうか、僕は高熱を出して寝込んでいた。その時もこの夢を見た、気がする。(幼い頃なのではっきりとはしないが。)

ホームに流れてくる電車を、乗ることはせずにただ眺めていくだけの、そんな夢だ。


昔からつまらない奴だな・・・



 歩みを進めると、ホームに入る長く、薄暗い廊下には無数の落書きがあり、それはホームからの淡い光を受けてもなお色あせたまま言葉を並べる。

そう、此処で僕は夢を見たんだ。


・・・また、特等席が取られている。今度は子供だった。だが、此処はホームだ。他にも椅子はある。あまり綺麗ではないが。とりあえず昔見た記憶を追う。

 特等席からひとつ離れたベンチに深く腰掛けると、座面から錆び付いた音がする。電車が来る気配は、今のところない。

 一息つくと、隣りからの視線を感じた。子供がこちらを見ている・・・様な気がする。しかし、特に気にはせず、ホームを眺める。蛍光灯の明かりに羽虫が集まるとその身を焦がし、耳障りな音を立てていく。 

・・・・まだ見ている。なのに視線を向けるとそっぽを向く。が、こちらが目を離すと再び視線を送る。何なんだよ。


「・・・何?」

子供にかけるような口調、言葉にはあまり相応しくはないと思ったが、どうせ夢なんだと考えると、素に近い部分が出てくるのかもしれない。

子供の方はというと、丸い目をさらに見開き、

心底驚いた、という顔をしている。

「びっくりした・・・と思っているでしょ?

残念、正解でした!まさかお兄ちゃんの方から話しかけてくるなんて、ちょっと意外だったな。てっきり僕が話しかけるまで待ってるかと思ったけど。」

まるで堰でも切れたようにベラベラと話し出し、こちらから話す機会を与えない。

「そういえば、お兄ちゃんの名前って何て言うの?『お兄ちゃん』だとなんだか他人行儀だよね。ね?」


何故そんなになれなれしい。が、所詮子供の戯言。ほどほどに付き合うか。親でも来ればすぐにやめるだろうし。


しゅう。佐久間 修だよ。」

「しゅう、修!修お兄ちゃん!」

そう言いながら、楽しいのか、ただふざけているのかは分からないが、口先で僕の名前を口笛のようになぞっている。

しばらく聞いていると、それによく似たメロディが錆び付いたスピーカーから流れ出した。

 途切れ途切れの電車を知らせる音が構内に響きながら、鉛色の体を押し入れる姿は昔の記憶とは少し、違う気がした。

音楽が鳴り終わると同時に扉が開く。乗客の数はまばらで、一番最後に、生後間もないであろう赤ん坊を抱いた若い夫婦が降りて行った。初めて見るはずなのにどこか見覚えがあるのは、気のせいなのだろうか。


「修お兄ちゃんのお母さんだよ。」

「あの頃は・・・確か、修お兄ちゃんが生まれてすぐのことだったんだ。お爺ちゃんが・・・」

思いもしない一言が耳に届いた。拭ったはずの想いが胸中にふつふつと音を立て、その頭を出そうとする。ほどなくして、再び電車の到着を知らせる音楽が響き出す。先ほどまであんなに心地よかったメロディーが、今は疎ましく、耳に張り付いてくる。

 また電車が入ってくる。先程と同じく、客数は少ない。一番最後の客は、三歳ほどだろうか。男の子が駆け下り、その後を困ったように母親らしき女性が追っていく。聞いてもいないのにその声は答えを口にする。

「あの頃はね、修お兄ちゃんのお母さんが、

あの時は初めての友達が、それで・・・・」


流れ、降りていく僕は、あの時へと近づいてくる。一番見たくない、僕に。

 強固な電車はその歩を緩めることなく、次々と僕の元へやってくる。扉が開き、客が降りる。


が、男の子が降りてこない。すると、電車のドア付近で動く影が一つ。小学五年程の、おそらく【僕】は、扉が開いているにも関わらず、電車から降りようとしない。

・・・此処以外に降りるところがあるのだろうか。少年は酷く曇った目で、まるで行き先を見失っているような、ひどく不安定に見えた。


人の事は言えないんだろうが。


 ふと、少年と目が合う。

気づいた時には身体が勝手に動いていた。胸の中の異物が鮮明になるのを感じながら、その足は止まらない。電車の中の少年に手を伸ばす。

 後もう少し、のところで、あの耳障りなメロディがホーム内に突如響き渡った。

行き先掲示板が回送の文字を示し、車内は暗くなり、窓ガラスには冴えない少年の顔だけが映る。過ぎゆく憧憬と、何かがかき消えるのはほぼ同時だった。


「なんであいつが此処に来るんだ?」

「本当はね、来なかったんだろうけど。僕も驚いたよ。でも、君が一番分かってるんじゃない?」

どこか悲哀を含んだ眼差しで、そいつは言う。


「どういうことだよ。・・・はっきり言えよ」

「聞きたくないのに?」

「!」


「逃げてばっかりは格好悪いよ、修お兄ちゃん。分かってるんなら自分からいかなくちゃ」

「お前に何が分かるんだよ。逃げ道も無い、回答すらできない俺に、今更何が出来るんだよ。」

「・・・君はさ、問題を解いている途中に他人から見られるのが嫌いだよね。ましてや採点されても点数ばかりで答案はろくに見やしない。『良し、合格、正解』自分が評価されなきゃ見ようともしない。評価された君がすべてなのかい?人間は他人で作られるものなのかい?」


こいつの言葉一つ一つが、胸中に住み憑いた奴の逆鱗を逆撫でる。

分かってる。分かっているのに、「そいつ」は牙を剥く事しかしない。強く握りしめた筈の右手は虚しく空を切るだけで。いつの間にか頬を伝う物は止まることを知らない。拭っても拭っても、あの日が消えることはない。


 祖母が亡くなったのは小学五年生の時。蝉の声が煩くまとわりつく、夏の日だった。数年前から入退院を繰り返していたが、その年から急に容体が悪化し、僕らの元から旅立っていった。僕は特別おばあちゃんと仲が良かった、とかは無く、むしろ祖母との面識はほとんどなく、見舞いに行ったのも両親の時間が空けば、位だった。

 病室内で眠る祖母の手はまだ温かく、じんわりと冷たく、硬くなっていった。

・・・涙の溢れる理由が分からなかった。


本当に、腹が立つのに、俺の手は耳を塞ごうとせず、こいつの流す言葉を受け入れている。

「・・・そんなことすら罪なのか?そんなんじゃ人間はとんでもない罪人なんだろうな。」

「罪を犯すことが悪じゃないよ。その罪を背負った上でどう生きていくか、それが大切なんだよ。罪を知っているから苦しくて、罪を知らないから幸せで。」

「難しいこと言うんだな、見た目の割に。」

「意外に傷付くことさらっと言うよね・・・気にしてるのにさあ。」

涙は、止まっていた。


「君はさ、もっといろんなものを見るべきだと思うんだ。限られた知識の中じゃ、限られた思考しか出来ない。沢山のものを見れば、それだけ様々な考えとも出会える。」

「見る…か。」

「悪くないよ?そんなのも。」


聞きなれた音楽が構内に流れ始める。回送列車は始発へと変わり、少ない乗客がちらほらと乗り込んでいく。立ち上がると、ぐっと身体が重く感じた。夢なのに、不思議な感じだ。

「またね。修お兄ちゃん。」

「・・・そう言えば、お前の名前は何て言うんだ?『お前』だと、なんだか他人行儀みたいだしな。」


「あれ、まだ言ってなかったっけ?

僕は、そうだな・・・リサト、そう!リサトって言うんだ!」

そう言うリサトの顔は、本当にむかつく位の笑顔で、自然と綻びを直すのを忘れてしまった。

「じゃあな、リサト。」

電車に足をかけると、急に睡魔が襲ってくる。

メロディの奥でかき消されるあいつの声は、どこか遠かった。


夢の中でも眠るとなると、次に目覚めた時


僕はどこへいくんだろうか。



 車体が大きく揺れる。目を開けると車内はすっかりまばらになっていた。どうやら数駅寝過してしまったようだ。車窓の外はもうすっかり暗くなり、真っ黒な景色のみを映している。

一体どれほど寝過してしまったのかと咄嗟に腕時計で時刻を確認する。

この時間だと、もうすぐトンネルを抜ける頃だろうか。





○月△日。祖母の家に行く。数年前から、具合が悪いにも関わらず、未だ笑顔を見せてくる姿は胸が苦しくなる。

○月□日。急に容体が悪化する。医者によるともう長くは無いとのこと。本人には隠しておこう。いつまで持つかは、分からないが。



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