前編 (ドラッグ開発の記録)


脱法ドラッグの一ユーザーだったころ


私のハンドルネームは滅智蓮寺 熾(めちれんじ おきし)です。化学用語の「メチレンジオキシ基」から取っています。2012年に初めて脱法ドラッグを使い始め、そのあと今に至るまでずっとドラッグに囚われています。私がドラッグと出会った頃の印象的な体験談を下記の記事に書いています。



この記事で述べたドラッグとの出会いの後、やがて私は当時の大手通販サイトだった「アップ屋」などからドラッグを買いこみ、ドライオーガズムを得るために試行錯誤するようになりました。しかし結局いつまでたってもできず、ドラッグを使っているときは部屋は荒れ放題になりました。どうも当時主流だったタイプのドラッグ(カチノン類)が私に合わなかったのだろうと思います。


業者への転身


収入を得るための将来の展望もなく、ドラッグを使って貯金を減らし続ける日々がしばらく続きましたが、2014年になると、脱法ハーブを吸ってから自動車を運転した人が起こした事故のため、日本政府が本気で取り締まりを始め、法規制を強化したために国内の脱法ドラッグ製品にはきちんと効く物が無くなりました。特に2014年8月の規制は影響甚大で、8月までの脱法ドラッグはきちんと効いていたのに、9月以降の脱法ドラッグはまともに効かず、「量が足りないのか?」と思って、思い切って大量摂取すると、腸を傷めてしまい、しばらくの間酷い下痢が続いてしまいました。


体調不良から回復すると、私はむしろこれは商機だと判断し、自分で考えた脱法ドラッグを売りさばいて儲けようと決心しました。すでに規制済みのドラッグの構造を少し変えれば簡単にヒット作が生み出せると考えていました(この考え方は根本的には正解です。ただしいくつかの壁があることに私は後で気づきます)。また、前記の記事で書いた強烈な体験談のように、依存症ドラッグビジネスは儲かるという確信がありました。


大失敗


私は、化学物質を自分で製造する能力がなかったので、「受託合成」と呼ばれるやり方で化学会社に製造してもらう方法を取りました。私は英語のドラッグ関係の論文などをざっと見て、この構造なら間違いなく強力な薬効を持つだろうという構造(物質A)を考案し、普通自動車一台分くらいのお金を投じて1kg以上を注文しました。当時の脱法ドラッグ界隈で知識人とされて一目置かれていた「けみラボ」(別名:フェンタニル・ケミ速)という少年が、ツイッターのヘッダー画像に、このドラッグとほぼ同じ構造のCG分子画像を載せていたことも、もしこれを作れば間違いなく効くだろうという期待を後押ししました。私は、このドラッグは間違いなくMDPV(超強力な覚醒剤)と同レベルか、それ以上に効くと期待を掛けていました。


そしてやがて化学会社から、試験製造した際のサンプルが少量届きました。私は期待に胸を膨らませ、それをごく少量から摂取し始めました。効果を感じられないので徐々に摂取量を増やして行きましたが、一向に期待していた効果が現れません。薬効が期待外れであることに焦り、さらにどんどん摂取すると、不眠にはなるくらいの覚醒感があることは分かりましたが、全く売れそうにない代物でした。しかも、大量摂取したおかげで腸を壊してしまい、しばらくひどい下痢が続きました(前述の2014年9月の失敗と同じ失敗を繰り返してしまいました)。


ここで私は自分の構造活性相関(化学構造から薬物の薬効を予測する理論)の予測が失敗したことに気付きます。なぜ効かなかったのかを考え、色々と調べてみても、特に思い当たるものが無いのです。脂溶性が高すぎて(Marvin Sketchというソフトで推算したlogPが5を超えていた)、血漿タンパク結合率が高すぎて脳までほんとんど到達しなかったのではないか?という仮説を立てましたが、自分でもこじつけのようにも感じられます。この記事を執筆している現在でも、結局よく分かりません。この経験は、意気揚々と脱法ドラッグ業者を目指していた私の最初の大きな挫折となりました。


中華リスクによる僥倖


そして、ここである事件が起きます。発注した化学会社より、

「当社と中国の現地工場の間で連絡の不行き届きがあり、発注した量よりも少ない量しか製造されていなかったため、これから追加で製造を行わせます。全量を納品できるまでにさらに時間がかかってしまいます」

との謝罪がありました。私は、このずさんな中国らしいミスを、逆に願ってもない幸運だと思いました。私は化学会社に、

「すでに製造した量の代金のみを支払い、残りをキャンセルすることはできますか?」

と尋ねたところ、向こうは二つ返事で受け入れてくれました。こうして、私はこのクソケミ(薬効の悪い化学物質)に払う予定だった代金のうち、約3分の1を払わずに済んだのです。


受託合成から自宅合成へ


手元には1kg以上のクソケミが残りましたが、この物質については売ることをあきらめ、さらに別な有望構造の物質(物質B)を化学会社に発注することにしました。前回の物質と同じく、カチノン類ではあるものの、かなり構造が異なった物質です。前回はlogPが高すぎたので、今回は推算logPを適度なレベルに下げました。私は、今度こそ間違いなく超強力な覚醒剤が完成すると思っていました。しかし、前回は推測不可能な原因により良ケミを得ることに失敗したので、もしかすると今回も失敗するのではないか、という胸騒ぎがしました。そこで私は、

「初めから化学会社に大量に発注すると失敗作だった時に損害が大きいので、自分で少量ずつ有望な化合物を試作してみて、もしそれが良ケミであったら化学会社に大量に発注するという方法をとるのはどうだろうか?」

と考えました。ちょうど、前述のように化学会社のミスである程度のお金が浮いたので、このお金を化学実験の費用に充てればよいと考えました。


なお、私は化学合成に関しては完全な素人で、小学校から大学院までの教育機関に通ったこともありません(つまり不登校)。そのため、簡単に作れそうな物質を探すことが最初の仕事でした。当時の私は、「一段階反応で合成できる物質なら、素人の私でも作れる」と考えました。そこで白羽の矢が立ったのがトリプタミン類です。ツイッターで知り合ったマッドサイエンティストのAさんを師と仰ぎ、アレクサンダー・シュルギン氏のレシピ(TiHKALのネット版)を参考にしながら、ある種のトリプタミン(物質C)を合成しようと努力しました。


色々と試行錯誤しながら頑張ったものの、結果的にこれは上手くいかず(現在の私には何が原因なのか推測が付いています。具体的には高極性溶媒で反応させるべきところを「どちらかといえば高極性と呼べるくらいの溶媒」を選択してしまった点と、トリプタミンが酸に弱いのに、最終処理時に大量に塩酸を入れて、しかも加熱して水分を飛ばそうとしたために完全に分解してしまったらしい点などが思い当たります)、やがてトリプタミン類の合成は諦め、フェネチルアミン系覚醒剤の合成に舵を切ることになりました。また、化学に詳しいBさん、Cさんとも知り合い、特にBさんとはかなり長いこと化学に関する意見交換をさせていただきました(残念ながら、今はツイッターでブロックされています)。


また、それと並行して私は最初に受託合成で手に入れた失敗作「物質A」を、化学薬品を作用させて良ケミに変えようとする努力も行いました。物質Dを作用させてフッ素化しようとしたり、物質Eを使って水素化しようとしたりしました。しかし、おそらくどちらも失敗しました。


そして、私の二個目の受託合成作品である物質Bを受け取って、試しに摂取してみたところ、大きな期待を掛けていたにもかかわらず、ほとんど薬効を感じませんでした。この時は本当にショックで、もしかすると化学会社がきちんと製造できていないのではないかと疑ったほどでした。ここで私は自分の能力の限界を悟り、また残り資金が厳しくなってきたので、これまでのような、まとまったお金を投じて化学会社に目的化合物を発注するビジネスモデルは捨て去り、少量ずつ自分で新規化合物をテスト合成するビジネスモデルに完全に切り替えることにしました。


なお、物質Bについては「私が特異体質であるために効かないのではないか?」という一縷の望みをかけ、何人かにサンプルを配ったところ、大部分の人にはほぼ効かなかったのに、Dさんという女性にだけはまるでMDPVのように効きまくり、飲食を忘れるほどハマって脱水症状になってしまったということも起きました。しかし、特異体質の人にしか効かないのでは売れるはずもなく、物質Bもまた不良在庫と化しました。


実験三昧


その後、2015年~2018年までの間は悠々自適に様々な実験を行い、色々な物質を作りました(この部分の化学実験については、引退後にでも公表します)。2016年後半には、初めて自作のドラッグをEさんとFさんの二人の方にサンプルとして無料で贈呈しました。この物質は、当時外国ですでに流行の兆しを見せていたα-PiHP(覚醒剤の一種)でした。お二人からの評判は結構よく、私は

「ついに自分も他人に摂取してもらえるレベルの品質のドラッグを作れるようになった」

と、自信を深めました(この時はまだ蒸留装置は買っていなかったので、現在と比べれば純度は低いです)。


意志の弱さの自認


しかし、化学実験の腕に対する自信を深める半面、私の精神力のもろさを痛感させられる出来事もこの裏で起こっていました。α-PiHPを製造し、EさんとFさんに送るために1グラムずつ封筒に入れた後、私はドラッグの品質をテストするために、手元に残ったα-PiHPをガラスパイプに入れて吸煙しました(品質が悪いと、炙った時に喉が痛かったり、焦げが多く生じたりする)。すると、このドラッグは吸っても中程度の高揚感しか生じないものであるにもかかわらず、どんどん追加摂取したくなったのです。そして、手元の残りをすべて使い切り、さらに差し出し予定の封筒を破って、その中の1グラムを使い切り、それでも足りず、もう一人の封筒も破って中身を一部使いました。そして、結局二人に発送する予定だったのに、Eさん一人にしか発送できず、量も1グラムから0.28グラムに減ってしまったのです。でも、Eさんはこのサンプルについて大変高く評価してくれ、私にとっては大きな励みになりました(事あるごとに、「またもらえないか?」としつこく言われており、その依存性の強さを実感しています(笑))。なおFさんに対しては、その後再度製造したα-PiHPを1グラム送りました。


そして私は、その後もまたα-PiHPで自分の予定を乱すことになります。私は販売代理店より前金でα-PiHPの受注生産を頼まれたのですが、その時も同じように出荷前に一度自己摂取したら使用を止められなくなり、大幅に納期を破ってしまいました。ドラッグの魔力は恐ろしい物です。


一時的な栄光


α-PiHPはすでに外国で有名になりつつあった既知物質でしたが、私の夢は、既知物質のコピー生産ではなく、世界初の新型脱法ドラッグを作ることです。2016年12月には、ついにある程度の薬効を持つ新規化合物を作ることに成功しました(物質F)。そして2017年春以降、この物質を結構多くの人に無料で配りました。そのうちの一人であるGさんは、「プロブロラー」を自称するほどのブロン常用者でしたが、物質Fを使用している期間だけ、なぜかブロンをピッタリやめられたそうです。ただ、このドラッグは覚醒剤の一種ではあるものの、いわゆる「スマートドラッグ(頭脳を明晰化させる薬物)」や「抗うつ剤」というレベルの薬効しかなく、アップ屋で売られていたような、キメセク(薬物を摂取しながら行うセックス)に使えるような強力な薬効は持っていませんでした。多くの人は「コンサータよりは強いがリタリンよりは弱い」と評しています。


没落


その後も、いくつかの化合物を試作して配ったりしましたが、α-PiHPを除いて、物質Fを上回る出来の物はありませんでした。ここら辺が私の頂点の時期でした。2018年ごろになると、軍資金が欠乏するようになり、ドラッグ開発には使う予定ではなかった虎の子の貯金を投入するようになります。しかし、それでも資金不足は打開できませんでした。この頃にはもう、資金不足のためやりたい反応があっても試すことができず、あらゆることが停滞するようになりました。


なぜ私が資金不足に陥ったのかについて、今は下記のような理由があったと考えています。


1、初期の受託合成で大金を投入しすぎたこと。これは、まだ化学合成が自分では出来なかった時期なので、致し方ないとも言えます。少量の受託合成を頼むという方法もあるのですが、受託合成という物は、少量であっても大量の場合とそれほど値段が変わらないことが多く(500g~1kgあたりから差が付きはじめます)、それなら最初からそれなりの量を頼んだ方が良いと判断したのです。

2、ドラッグ開発用の軍資金から食費などを支出してしまったこと。私は実家で暮らしているので、食品は完全に親に依存することも可能でした。しかし、コーヒーやお菓子などを自分で買ったりしており、それをドラッグ開発に使う予定だった軍資金(手元の財布と分離保管していなかった)から出していました。もともと食費などは時間の経過とともに掛かり続ける物なので、開発が遅れれば遅れるほど軍資金が目減りすることにつながりました。

3、身分証を取得するために月額費用を払い続けたこと。私はこのビジネスを行う際、架空名義の保険証を使うことに決めました。ある人に頼んで、私が毎月の社会保険料を払うことと引き換えに、保険証を手に入れたのです。しかし、この出費も前項の食費と同様に、ドラッグ開発期間が長引くほどに無視できない額となり、しまいには途中から滞納してしまいます(なのに保険証は返却していません。政府よごめん!)。しかも、私は念のためにもう1枚、同じ方法で保険証を手に入れて手元に置いておいたので、経費の額は2倍になりました。実際、この2枚の保険証のうち、口座開設やアマゾンギフト券換金などの身分証として使ったことがあるのは1枚だけですので、今から考えると2枚目を保有するのは完全に無駄でした。初期は、ビジネスの成功までにそれほど年数が掛からないと思っていたので、やがて入ってくる利益で賄えると思っていたのです。とんでもない浪費でした。

4、時間の経過とともに脱法ドラッグ業界がやせ細っていったこと。2015年ごろはまだ脱法ドラッグショップが林立していましたが、規制の強化により脱法ドラッグブームが過ぎ去ると、あっけなく多くのショップが廃業してしまいました。2017~2018年ごろに私(または販売代理店)が営業を掛けることができるショップは数えるほどしかなく、また営業を掛けても返事なしのところがほとんどでした。ギリギリで私は自分の品物をショップに売れる時期を逃してしまったのです。

5、私の部屋にゴミが多すぎて何事もスムーズにできなかったこと。おそらく、最も大きな問題点がこれです。冒頭で述べたようにアップ屋があった時代にドラッグをしつつ、1リットル紙パックに排尿したりして、それをきちんと片付けずに放置したりしたまま、いつしか部屋はゴミが山のように積もり、虫が大量に発生するようになっていきました。最盛期には、部屋の高さの半分くらいの高さまでゴミが積もっていたと思います。「この記事」で書いたコンテナを使用したりしましたが、それを上回る勢いで実験用品や試薬を揃えていったため、効果は限定的でした(それでも非常に有効です)。何か化学実験をしたりするためには、最低限部屋が整理されてないと身動きが取りづらいのですが、私は大規模な整理整頓を後回しにしました。その結果、作業のペースが遅くなり、いたずらに時間が過ぎてしまったのです。休業中の2019年の後半以降に精力的に片づけを行い、大量のゴミを捨て続けており、今は何とか場所が空きつつありますが、まだまだ終わりそうにありません。


これらの反省点を見返すと、おぼろげながら、私に何らかの発達障害があるのではないかという結論に至ると思います。なお、私自身は化学実験をするときは、よくADHDの人がやるような失敗をしたことはありませんでした。器具を割ってしまったことはありますが、それは部屋の狭さが原因でぶつかったりしたために起きたことでした。そのため、私はADHDではないと思っていたのですが、前記のように金銭的な出費の放漫さや、部屋の散らかりよう、そして問題を先送りする傾向など、もしかすると何か発達障害が隠れていたのではないか?と自分で気づき始めています。


譲れないポリシー


2018年末には、それまでサンプルをよく送った相手であるHさんとの間に亀裂が入ります。私は当時かなりの資金難に陥っていましたが、すでに買い込んだ試薬をうまく活用して、それなりに効くと思われるドラッグ(物質G)の合成に着手していました。試作品は収率が低く、純度も悪かったのですが、かろうじてサンプルとして送れる量を確保できたので、Hさんに送りました。その後Hさんは物質Gを気に入ったらしく、これは売れると判断したようです。そして「買い手が見つかりました」と言ってくれたのですが、私はこの時、ある理由(秘密)でしばらくネットを絶っており、彼に返事できないまま放置してしまいました。


私が再びネットに戻って彼に返事の遅れを詫びると、彼は意外なことを言ってきました。「ヤクザをなだめるのに大変でした」と言われたのです。私は、ここで彼の紹介しようとしている買い手が暴力団であったことに初めて気づいたのです。ここで私は一度冷静になって考えます。元々、私が不道徳な脱法ドラッグ業界に参加する大義名分には、「違法薬物を販売している暴力団が儲からないようにする」というものがあったのです(森鷹久さんとの対談を参照)。ここでポリシーを破っては、私の心が崩れてしまいます。


また、私がまだ本格的な合成を完了できずに反応の進め方で悩んでいるのに、向こうの都合で怒りだすような相手とは危険で取引できないと判断しました。また、Hさんは私に対して、私がある悪事を働いたかのような情報を私を責める材料として使い、私がそれの根拠を尋ねても無視するので、一層Hさんに関する不信感が増しました。


そして、私が今回の取引を断ると、Hさんは急に私に対して冷たくなり、言葉に敵意が見られるようになりました。私はここに来て、Hさんが「熾君のファンです」と常々言っていて私に迎合的だったのは、単に無料でサンプルをもらえるからそう接していたにすぎないのだ、と分かりました。「この人との関係は、潔く切ろう」と決断しました。


逆風


また、私はしばらくやり取りをしていなかったBさんから、いつの間にかツイッターでブロックされていたことを知ります。Bさんは先述の3人の先生(Aさん、Bさん、Cさん)のうち、最も親しくしていて最も情報交換が多かった相手です。なので、彼から見捨てられたことはかなりのショックでした。


さらに、追い打ちを掛けるように日本政府は2018年11月に3-フルオロエチランフェタミン(3-FEA)を指定薬物に指定しました。この物質は外国でかなり流行しており、非常にドーパミン作用が高い覚醒剤とされていました。そのため、私もいつかこの物質を作って売り出すべく、原料をある程度買いこんで準備していたのです。なぜ、買ってすぐ作らなかったのかというと、製造時の副反応(過剰還元)により、エチル基が外れて規制薬物である3-フルオロアンフェタミンが副生してしまう懸念があり、どのように対策すればよいのか迷っていたからです。私の仕事があまりにも遅いために、この物質を売り出す好機を逸してしまったのです。


このように、2018年末の私は資金不足に加え、人間関係や法規制などの逆風を受け、もはや何事もどうにもならない状況になっていました。


休業の決意


ここに来て、私は合法ドラッグビジネスを一旦休業することを決意します。資金は完全に尽き、手元にある試薬だけでやりくりして良ケミを作るのは前途多難そうです。しばらくこの仕事から離れて、「ただの一般人」となって特に何もせず、休養しながら身の振り方を考えてみることにしました。


この時は結構本気で普通に一般労働者として就職する選択も考えました。特に一般企業で高く評価される資格や職歴は無いので、かなり給料は安いでしょうが、それでも貯金をすれば再度ドラッグの開発のための軍資金は手に入ったと思います。ただし就職経験がないので雇われるかどうかも不安でしたし、もし就職したとしても、「ドラッグ開発の資金を稼ぐための就職」というのでは、あまりにも人生をドラッグに掛け過ぎているのではないか?という疑問も感じました。「数年やって芽が出なかったのに、一般就労してまでまだお金をつぎ込むのは、あきらめが悪すぎるのではないか?」と。


その一方で、私が今後、どの業界で一番活躍できそうかを考えた時に、最もありえそうなのはドラッグ業界なのであるということは明らかでした。これまで散々お金をつぎ込んで、勉強しながら化学実験をしてきた知識と経験があるので、未経験の分野で就労するよりは、もうちょっと頑張ってドラッグ分野で何か成功の糸口をつかむ方がはるかに楽であるということを認めざるを得ませんでした。


暇な日々


身の振り方に関する結論を先送りしたまま、衣食住に不自由のない自宅で、私はひたすらインターネットで暇つぶしをし始めます。これまでは化学実験とか薬学の話題を意識的に取り入れていましたが、資金難で実験ができない今となっては、もうそれらは「懐かしの話題」です。化学の話を見ると、「私も過去に化学実験をやっていたなあ」という、一線を退いた人のような気分で眺めていました。


この頃からはツイッターなどのメンヘラ界隈をよくウォッチするようになります。それまではジャンキー界隈をよくウォッチしていましたが、私が資金欠乏でメンヘラ化したこともあって、おのずとメンヘラ界隈に引き寄せられていったのだと思います。そして、ひょんなことから大手メンヘラ系LINEチャット(以後、「LINEチャットA」)の存在を知ると、人脈作りのためにそこに入会し、LINEでも人脈を広げていきました。


人の人生を狂わすマッドサイエンティスト


休業したとはいえ、過去に作ったドラッグのストックはそこそこあったので、それらを配布することはできました。そして、少なくとも下記の二人の人生を狂わせてしまったのです。


ある日、私はツイッターでIさんという人と出会います。この人は昔から私のサイト『嗜好性薬物の世界』をよく読んでくれているファンで、私とツイッターで出会えたことに感動していました。彼には、親にブチ切れてコタツを破壊したというエピソードがあり、「ヤバい奴」と思われていました。彼は、私のドラッグを試したがっていたので、物質Fを送ってあげました。するとこのドラッグはとてもよく効いたようで、彼はずっとそれを使い続け、ある日突然ツイッターの更新がなくなりました。


彼が突然いなくなったことには、彼の周辺の多くの人の心配を呼びました。私はサンプルを送った関係上、彼の住所や電話番号(住所を伝えられた時に書かれていた)を知っていましたが、電話を掛けても「電源が入っていないか電波の届かない場所にある」という音声が流れ、また自宅を訪問しようにもお金がありませんでした。彼をウォッチする人達が集まる2(5)ちゃんねるのスレッドでの話し合いの結果、私はメンヘラ界隈の有名人のJさんという人に、Iさんの住所を伝えて、もし暇なら訪ねてみてほしいと言いました。ところがその数日後にIさん本人がツイッターに戻ってきたのです(住所をJさんに教えた件については後で小言を言われました)。


戻ってきた彼によると、どうも私のドラッグを使い続けていたらある日急に覚醒剤精神病が起こって、誰かに追われているという妄想が生じ、警察に保護され、1か月ほど精神病院に入院させられていたとのことでした。精神病院は警戒が緩いので隙を見て脱出したそうです。本人が書いた体験記を下記に貼ります。




なお、精神異常になるまでは、物質Fでキメオナ(薬物を摂取して快感を増幅しながら行うオナニー)をしていたそうです。これまでサンプルを送った皆さんの感想では、物質Fはそれほど強力な薬効の物ではなく、また性的快感をほとんど増幅することはないという物であったため、覚醒剤精神病になったり、キメオナで強い快感が得られたりしたというのは私にとって驚きでした。おそらくIさんが特異体質であるか、あるいはその時大麻を併用していたためにそうなったのだろうと思います。


また、私は薬物関係のブログを書いているKさんという人ともツイッターで出会いました。Kさんも私のことを知っていて結構尊敬してくれていたようで、出会えたことに感激されました。Kさんはブロンやさまざまな処方薬の経験豊富な人で、以前結構メタンフェタミン(覚醒剤・違法薬物)の使用経験があり、今はやめているという人でした。彼に対しても私の作品である物質F(と他1種類)を無料で送ってあげました。するとブロンよりはるかに効き、「ちょっとシャブのよう」と言われました。


Kさんとはツイッターで親しく薬物談義をしました。ひょんなことから、Kさんの家には血液が詰まってしまって使い物にならない注射器があることを知り(静脈注射に用いた注射器は、血小板の作用で針の中で血液が固まってしまうことがよくある)、私は軽い気持ちでその注射器を復活させる方法を教えました。その方法とは、「針の穴の中に、髪の毛を通して掃除する」というもので、元々は以前ツイッターで交流のあったメンヘラ女性(現在はブロックされている)から伝授されたものです。そうしたらその注射器は見事に復活し水を吸えるようになり、Kさんは私が送った物質Fを水に溶かして静脈注射してしまいました。


Kさんは過去に注射したメタンフェタミンを思い出す感覚を感じたようです。そしてどんどん物質Fの静注にハマり、私が送ったサンプルでは飽き足らず、某所より同等物質を購入して使用を続けたようです。


その後、ツイッターではいつも小説の設定を述べていたりしていて饒舌なKさんでしたが、ある時より一層饒舌に(躁に)なったようなツイートが目立ち始めました。その直後、いきなりツイッターの更新が途絶え、Kさんのタルパ(わからない人はググってください。私もよく分かりません)のアカウントも更新が途絶えました。そしてしばらく経った後Kさんはツイッターに戻ってきて、覚醒剤のスリップ(再使用)で逮捕されていたと報告したのです。たった1回買っただけなのに、その売人が逮捕されたので芋づる式に家宅捜索が来たようです。とても不運です…… やっぱり私がスリップのきっかけを作ってしまったんですよね……


精製作業


2019年2月に、私は物質Aを精製して高純度にすることを試みました。物質Aは、化学会社によれば純度は98%以上であり、それなりに高純度の物でしたが、色は茶色っぽく、異臭にまみれていました。外観と臭いだけで、明らかに低品質を感じさせるものだったのです(と言っても、おそらく化学会社の分析が間違っていたのではなく、臭気や着色の原因になる不純物が1~2%含まれていたということだと思われます)。


私は物質H、物質I、物質Jを用いて加熱再結晶を行いました。すると、汚らしかった工場出荷時の物質Aは、見違えるほど純白になり、ほぼ無臭になりました。これで私は、「化学工場よりもうちの方が高品質な製品を作れる」ということに気付きました。ただ、いくら精製しても元がクソケミなので商品価値がないことに変わりはないのですが…… なお、今回のサークルクラッシュは、この時精製した物質Aの取引が発端となります。


復活?


ドラッグビジネスを休業し、ただの一般人としてメンヘラ界隈に入り浸るようになり、私はこれまでと違った他者からの評価を得るようになりました。ジャンキー界隈(脱法ドラッグ界隈)の人々と交流していた時は、私は馬鹿にされることが多く、強い敵意を持たれていることも多かったのですが、メンヘラ界隈の人からは、人にもよりますが知識人として尊敬の視線を注がれることが多かったのです。例えば、おーぷん2ちゃんねるの趣味一般板は私のせいで脱法ドラッグ専門掲示板と化してしまっていますが(私があの板に初代の脱法ドラッグスレッドを立てたため)、あの板での私の評判は散々で、常に罵倒され続けている状況でした。しかし、LINEチャットAなどではちょっと薬理についての知識を述べただけで、純粋な尊敬のまなざしを注がれることが多く、私の自己評価は回復していきました。


そして、私が「名作ではなく佳作」と評していた物質Fについても、アップ屋の商品を求めているジャンキー層には売れないものの、鬱やADHDに悩むメンヘラ層に対してならば十分売れるのではないか?と考えるようになりました。とするならば、物質Fや場合によっては物質Aのような弱いドラッグでもそれなりに市場での勝機はあるはずだと確信しました。(とはいっても、最終消費者に小売りする業態は摘発の危険性が高いので、私はバルク量(10グラムとか1kgとか)の卸売りしかやるつもりはありません)


私は徐々に元気を取り戻し、軍資金さえ回復すれば、現状を打開できそうな気がしたのです。私の手元にある全財産はすでに使い切っていましたが、私の親が私名義のお金を持っていることは知っていました。私は意を決して親に頼み、その預金を100万円以上手に入れることに成功します。そして、不足していた備品や試薬類を買いこみ、再度化学合成をするための準備を整えました。(なお、滞納していた社会保険料については放置しました。国家よ、すみません。いつか払います)


本来であればすぐ化学実験の再開に着手したいところなのですが、部屋が汚いという大きな問題が残っていたので、そのあと何か月も掛けて暇を見てはゴミを処理し、少しずつ場所を広げて行きました。このため、本格的に化学実験を再開できるのは、2020年の春になってからでした。結局2019年は、全く新規化合物を作らない1年になってしまいました。しかし仕事を捨てて自由人になって羽根を伸ばしたこの1年はとても良い1年になりました。

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